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大嶋拓監督による青江舜二郎伝「龍の星霜」

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大嶋拓著による父青江舜二郎の評伝「龍の星霜」を読む。
親の人生を探求することは、そのまま子のルーツを探ることでもある。
それは、もしかしたら大嶋拓監督作の映画「カナカナ」や「火星の我が家」
にそのDNAが色として出ているのかもしれない。
秋田の新聞に連載されたこの「龍の星霜」は、新鮮な発見があった。
異端の劇作家・青江舜二郎。
明治37年秋田生まれ。一高東大を出て小山内薫に師事。
本名大嶋長三郎。23才で戯曲「火」(新思潮)発表。
築地小劇場の新劇運動の草分けに参加。
1958年「法隆寺」で岸田戯曲賞。
鎌倉アカデミアや日大で講師つとめたり(津上忠氏は教え子)、
テレビ草創期に番組づくりに関わる。
また昭和36年の第三次ムーランで野末陳平さんらと
芝居を書く。小崎政房らが中心になってやったが半年で終了。
この、当時新人俳優だった財津一郎も加わった第三次ムーランがムーラン復興
の実質的な最後となる。
そしてこの前に久保田万太郎との間で盗作裁判に巻き込まれる件は圧巻。
戦前に青江の書いた「一葉舟」を昭和34年に演劇界の重鎮久保田万太郎が
「一葉伝」として盗作をする。これに抗議して裁判沙汰になった。
大家にして作家の高齢と弟子筋だとの思い込みと気のゆるみ・・・
この辺の記述は、あまり知られていないことでハラハラする。
この時久保田を弁護したのが直弟子の阿木翁助。しかし青江が勝訴する。
そして最終的に仲裁に入ったのが菊岡久利だった。
ここでかつてムーラン脱退事件で対立した阿木と菊岡が絡んでいるのに
不思議な感じを覚える。
ただこの事件で青江氏は、演劇界から外れてしまう。
晩年は、竹久夢二や石原莞爾、宮沢賢治などの評伝執筆で評価を得る。
昭和58年78才で永眠。
 しかし大嶋拓氏に「ムーランー」の映画がきっかけでお会いしてこの本
の存在を知らされるまでは、自分は演劇人ではないので青江舜二郎氏も
知らなかった。「一葉舟」盗作事件も知らなかった。
今回これを読んで志が高くてもまっすぐに歩めない運命があったことを知った。
この秋田から出て来た作家魂がどこかに灼けボックリのようにくすぶっている
ように思えてならない。それは又、子孫や青江の芝居に感銘した人の心の
奥深いところにホロホロと燃えている気がする。
 それにしても血のつながりとは不思議なもんだ。
子が親を疎う人もあれば、親の偉大さに敬う人もある。
でも親殺しもまた親の存在の発見であるし、
それは取りも直さず自分の発見でもある。
この「龍の星霜」(春風社)は、父親への愛に満ちた評伝だった。
amazon「龍の星霜」
by stgenya | 2011-11-28 03:13 | 文学
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