ヒューゴの不思議な発明

'HUGO'ヒューゴの不思議な発明
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 原作B・セルジュニック脚本ジョン・ローガン監督マーティン・スコセッシ
出演エイサ・バターフィールド、クロエ・C・モレッツ、ベン・キングズレー
製作GKフィルムズ、インフイニタム・ニヒル。出資にジョニー・デップ
 1930年のパリ。リヨン駅から始る映画と父と子のつながりの物語。
スコセッシがはじめて3Dに試みた映画愛に満ちた正攻法のドラマになっている。
ターミナル駅という巨大な人間の現実世界の裏側でせっせと時計の
調整を一人でやっている孤児ヒューゴの心の支えは、亡き父の残した
機械人形を完成させること。これが物語の柱になっている。
そしてヒューゴの屋根裏部屋の散歩者のように覗き見る駅で働く人たち
の生態素描が設定として面白い。しかしこの駅の表舞台に姿を表す時は、
泥棒小僧。毎日のパンを盗み、店の商品も失敬する。そんな表との接触で
おもちゃ売店のおじさんと少女イザベルに遭遇する。
そしてここから父の残した機械人形のノートとおもちゃ店のおじさんとの
やり取りから映画初期に活躍したジョルジュ・メリエスがその売店の
おじさんだったという帰結に向かう。
 高校生の時に読んだ岩波新書の「映画藝術」などに書かれていたメリエス
や最初のリュミエール兄弟の「列車の到着」や「工場の入口」などが
出て来てとても懐かしかった。
その映画史とその時代に世界ではじめてSFXを考案した映画人・メリエス。
そしてそんなメリエスが没落して晩年は、リヨン駅の売店で働いたなんて
驚きだった。スコセッシがメリエスへの敬意をささげる姿勢に関心。
その映画狂たるスコセッシの作戦は、ファーストシーンから組まれている。
ヒューゴが時計部屋から覗く駅の活写は、無声映画になっている。
つまり売店のおじさんとイザベルの会話の声は、当然聞こえない。そして
次に鉄道保安官とヒューゴの追っかけは、無声映画の定番。しかも
これは、私見だがこの背の高い保安官サシャ・バロン・コーエンの姿
が戦前のルノワールなどのフランス映画の常連のガストン・モドに似せ
ているように思った。懐かしい愛すべき怪優ー。(偶々かもしれないが)
 ただ3Dは、心理描写に向かないといわれるがここでも孤児の淋しさ
や売店主のおじさんパパジョルジュの苦渋などの表現では、気がちって
脚本構成の組方のズレと相まって少し難しい気がした。
つまり映画研究者がラストに出て来てヒューゴの心の拠り所だった
機械人形の秘密がメリエスの愉快な短編作品群に結びつけてくれるが
ここの部分にヒューゴの父親がそのメリエスの「月世界旅行」に
どれだけの愛情や情熱があったかを語られていれば、ヒューゴの目で
はじまるこの物語の感動がもっと深まったと思ってもったいない。
それからCGの欠点がこの映画でも現れた。群衆カットにそれが顕著。
列車に轢かれそうになって助かるシーンや駅構内で保安官にヒューゴ
が捕まるカットでも周りの群衆の反応が切迫感がないのだ。
大俯瞰から降りて来るカットや長い長回しでもCGだと緊張感が抜けて
いる。それはブリットのカーチェイスと同じ現象だと言える。
しかしそれにしてもちょうどこのころ日本では、目玉の松ちゃんや中山呑海、
伊藤大輔などが京都大将軍で活躍していた。
にっぽん版ヒューゴがあってもおかしくない。
映画への愛、先人への敬意がなさ過ぎるのがいまの平成にっぽんの
情況である。
まあ、シネコンで満員御礼は、スコセッシ教授にはまずは良かった。
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by stgenya | 2012-03-12 06:19 | 映画・ドラマ
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