この天の虹

d0068430_19263678.jpg


「この天の虹」(昭和33年松竹)脚本監督・木下恵介、出演高橋貞二
 久我美子、田中絹代、笠智衆、川津祐介、田村高広、大木実
 たまたま観たこの映画にびっくりしてしまった。
木下恵介のフィルモグラフィーにこんな映画があったことに
驚いた。木下恵介は、實は映画の可能性に挑んでいろいろな
タイプの映画を作った。
 この映画は、ドキュメント色があり、またむしろ八幡製鉄
所のプロパガンダのスタイルになっている。よく売れっ子の
エースがこんな映画を撮ったなあと思った。
d0068430_4332514.jpg

この古い映画を今どうして取り上げたかというと自分の育った
街だったからだった。八幡製鉄所は、1901年日本最初の官営
製鉄所で街全体が企業城下町で小学校のクラスの8割方が八幡
製鉄所に関わっていた。そして職員のために作られた五階建て
の当時最先端の鉄筋ひし形の穴生アパートは、私の町で同級生
や初恋の娘がいたりして、小学校から高校までよく通って、
遊んだ場所だったので個人的に懐かしく興味を惹かれた。
 
d0068430_44537100.jpg

 話は、製鉄所の全体の工程や施設の紹介しながら、独身寮に
住む作業員の高橋貞二が、田中絹代と笠智衆に間に入ってもら
って秘書課の久我美子と見合いをしようとしていたが、久我は
設計課に勤めるエリートの田村高広に惹かれていて、高橋貞二
の求愛が周囲の努力も虚しく実乗らないで終わるというもの。
 田中絹代のいる桃園アパートは、高校の同級生がいた時代
のものと変わっていなかったし、工場の中は、山手線の中と
同じぐらいの広さで溶鉱炉から圧延工場、洞海湾の積み出し
施設までどこに行くにも循環バスで移する規模の大きさも今と
同じだった。高校生のときに実際に高炉の建設のバイトをし
てバス定期を買って夏休みの一ヶ月働いた経験もある。
 だから今回は、映画の話というより自分史についてつい
考えさせられた。起業祭といって八幡製鉄所の誕生日を北九州
全体で祝い、小中学校が休みになり、町にサーカスや芝居小屋
が出て数日間カーニバル状態だった。私の家は、製鉄では
なかったが友だちのアパートや一軒家に住む優等生など
と交わって、この映画に出てくる職工と技術者との差は、
確かにあったことを知っていた。木下恵介は、この結婚相手の
問題を極めて現実的な描き方をした。
 ただ今回のこの木下映画の特徴は、この映画がデビュー
になる若い川津祐介を狂言回しのように使い、尊敬する高橋
貞二の恋の手助けを最後までする姿にある種のお姉キャラ的
な描き方をしているところにあって、兄弟映画の要素がある。
又音楽を現実のコンサートや水上ダンスの曲にのせて、物語
の人物の会話による進行を描いていて手際よい。
さすが天才的である。戦前に軍国映画も撮ったけど木下流
人間ドラマにしていたから、お手の物だったかもしれない。
 しかし自分の育ったルーツに田中絹代、笠智衆、久我美子
などが来ていたとは、驚きと同時に光栄である。
この日本最大の製鉄所には、筑豊から石炭を運ぶために
堀川を使って高倉健の父親の船が活躍したし、若松では
火野葦平が小説を書き、また実際に製鉄所の文芸部には
「無法松の一生」を書いた岩下俊作がいたし、その後輩
には佐木隆三も昼間作業服で働き、夜小説を書いた。
 この映画では、定年退職した老後が心配だというモチ
ーフが出て来るが、私たちの中学生時代=ちょうど新日鉄
に合併した頃には、小学校卒の職工でも50才で退職する
ときには一軒家を会社が建ててくれたりして終身雇用が
しっかりしていた。
d0068430_5442758.jpg

 この「この天の虹」に出て来る夢の象徴の工場
の煙突から出る七色の煙は、学校の校歌に歌われていて
もいたが、やがて公害でその歌詞を変更する所も出て来た。
それにしてもこの異色の木下恵介の企業映画が自分の
記録として極めて貴重な記録映画になっていたことに
個人的に感謝したい。
 映画は、人の恋愛と同じで巡り逢であり、文化記録や歴史
ひいては社会学的な実証記録のツールだとつくづく思った。

 
[PR]
by stgenya | 2013-03-31 05:56 | 映画・ドラマ
<< 幻のニホンオオカミを追いつづける男 東京家族と故郷 >>