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ミリオンダラー・ベイビー

今年の米アカデミー賞作品賞を受賞したC.イーストウッド監督作。
後半脳死状態になった愛弟子の自殺幇助するラストが問題になった。
「許されざる者」のときもそうだったが監督としての彼の手腕は、手堅い。
オーソドックスて゜丹念に役者の芝居を見せるしっかりとした演出て゜ある。
 この映画の場合元ボクサーだったモーガン・フリーマンがこの物語の
語り部であり、すぱらしい演技をしている。この設定か゜なければかなり
薄っぺらなものになっていただろう。
 ボクシング映画の常套は、人生の困窮からの脱出である。
主人公が貧しい方がいい。さらに家庭環境か゜複雑で不幸な生い立ちを
抱えていればいる方がなおいい。そして勝つことでその困窮を克服する。
 この映画もその例にもれないつくりになっている。たた゜イーストウッドが
違うのは、アメリカの地方都市に生きる貧しい人々をアメリカの現状として
眺めている点をしっかりと押さえているところだ。
 アイルランド語の名をもつ女ボクサーが勝ち試合でちょっとした油断から
半身不随の植物人間になる。ここで敬虔なキリスト者たるトレーナーは、
殺してくれという33歳のボクサーにて゜きないと答えるが悩んだ末女の逃げた
父親がこどもの頃に足の悪い犬にしたように自らの手で殺すのである。
この点いくつかの疑問がある。彼女が医学が進歩して助かるという望みは
完全に絶たれたのか、このまま植物状態であることに経済的絶望があった
のだろうか、なによりも彼女自体生きる意思を無くした確証のようなものが
この映画のラストから読み取れない。
それか゜なければトレーナーは単なる殺人者になってしまう。
前作もそうだがイーストウッドは、野生で生きるものは本来どうあるべきか
ということを云いたいようだ。人間は、所詮荒野でひとりでも生きていかなけ
ればならないという強い観念それを音楽も自分主演も自分監督も自分という
手法で映画をつくっている。ペシミストの映画である。ここが荒野から遠くなっ
た平成の者には受け入れざる者になっている気がする。
 因みに同じようにペシミストの意思で同じ手法の映画を作っているのが
北野武である。ミリオンダラー・ベイビー_d0068430_1455074.jpg
by stgenya | 2005-10-14 14:57 | 映画・ドラマ
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