そこのみにて光輝く

d0068430_0494214.jpg

「そこのみにて光輝く」脚本高田亮、監督呉美保、制作ウィルコ、配給東京テアトル
 出演綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉、高橋和也、火野正平他。原作佐藤泰志。
 公開6週目の新宿テアトル。半分の入り。
なかなかつややかで哀しく美しい映画だった。
何より池脇千鶴がいい。彼女のキャリアからこれだけ女を演じたものは、
見たことが無い。女優が自分の中の何かとピーンと触れ合った時に本能的に
体現する僥倖の瞬間を見せてもらったように感じた。
太地喜和子などとイメージが重なる。そして綾野剛もいい。「シャニダール
の花」の時もそうだったが、あの、前髪で隠れた細いナイフのような目は、
今回も有効な演技道具となっていた。
 そしてこの映画を観ていて、柳町光男の「さらば愛しき大地」を思い出
していた。あの、色褪せない、日本映画の珠玉のセックスシーンの
秋吉久美子の妖しさを思い浮かべた。池脇千鶴のちょっと太めの肉体から
発する切羽詰まった輝きが挿入の時の喘ぐため息に後光のように
反映していた。
この女流監督のこの原作を映画化するに当たって、肉体的感性を主軸に
置いたことは、この映画の完成度に貢献し、成功したと思う。
それは、この映画の中で映画的なつなぎだなあと思った箇所があり、
そこに肉体主軸の策略が見えた。どこかというと主人公達夫と千夏が
初めて結ばれるシーン。ふたりがキスをして絡み出したシーンの次で
男の尻丸見えでセックスが始まっている。千夏は、喘ぎながらも
「もういいでしょ」と逃げるシークゥンス。
ええ?と思うと、それは、達夫とのセックスではなく、愛人の中島
とのセックスに入れ替わっている。つなぎとしては、映画「卒業」で
ミセスロビンソンとのセックスシーンがいつの間にかプールの
浮きボードに乗るシーンと入れ替わったとの編集的には、
同じなのだが、ここで愛を感じた達夫とのセックスの次に
愛を感じていない中島とのセックスへ移行して、
初めて中島を拒絶する。
好きな男ができたら、女は、別の男を本気で受け入れられない
というメッセージであるように編集している。これは、
女流監督の力だと思う。
シナリオでは、達夫とも中島ともキスするという行為でしか書
かれていない。そこをセックスシーンに撮影では入れ替えている。
監督の力量をここに感じる。
 それからこの不遇な作家佐藤泰志の作品の映画化が、デフレの
失われた20年の若者の群像の現代にぴったりハマっている。
限られた職しかなく、その牌のために身を切り刻んでいる今の
若者の姿が見事に表している。
 まるで行き場がなく、泥沼の底で魚が交尾している姿にこの
二人の男女が丸写しで久々に骨太で秀逸な映画だと思った。
中上健次の原作映画化と通じるものがある。路地と泥沼。
「千年の愉楽」もこのキャストでやれば、違ったかなと余計な
ことをつい思ってしまう。
6週でこれだけ入っていれば、ロングランだ。
いや、それにしても池脇は、徒者ではないよ。


 
[PR]
by stgenya | 2014-06-02 01:57 | 映画・ドラマ
<< 新作映画「道しるべ」 新作への最初の道標 >>