寝ずの番


 マキノ雅彦監督の初監督作。
近年の日本映画の状況がものすごいバブルの製作状態である。
年間300本以上が作られ、100本の映画が次の年の上映待ちを
している。劇場はマイカルにしても東宝にしても名前があって
儲からないと小屋にかけないから、余った100本の内半分以上が
上映されないで待てずにDVDで出すようになる。
 小屋の方もそこを二本立てなどアイデアはいろいろあるだろうに
と思う。1989年前後のバブルを少し思い出して寒気がする。
毎日のように東映の制作から電話がかかってきて誰かスタッフ
を紹介してくれないか・・・朝いないと断ったばかりで又夕方かかって
くる。現場はテレビの2Hで今監督になったS君が助手がいなくて
韓国の日本語のわからない留学生しかいなくて、役者とスタッフが
怒鳴りあって名高達郎などの俳優部がスケジュールを書いていた。
 プログラムピクチャーの時代でも最低のスタッフ構成は撮影所ごと
にいて忙しい中にも教育ができた。それがバブルが弾けてみんな
すっ飛んだ。誰でもできるようになった分、いいもの、磨かれたもの
がすくなくなった。あの悪夢のような頃もやたら安易に素人監督が
出ては消えた。若い女作家(ーー輪舞曲)や俳優、会社社長など
 ただ今回のマキノ監督は、違うと思う。
あの伊丹作品の重要な俳優で、周りを固めている笹野さん、岸辺
さん富司さん、中井貴一といいタックルが組めている。
映画は、落語家の葬式に集る弟子達の浮世話。
そして座敷芸と春歌の饗宴。
何やら伊丹の「お葬式」ばりに面白そうだと期待して銀座まで行った。
 最初のカットから違和感があった。臨終に集った弟子たちの
グループショットが決まっていないのだ。サイズもアングルも
ルーズなのだ。「そそ」事件のオチで木村が中井の後ろ頭を殴ったら
ぽんと黒味にいくタイミングも少しずれている。
おまけに師匠からの見た目でみんなが画面に覗き込むカットで
ピンが甘い。後から師匠が顔をだすとそちらに合っていた。
これは、ピン送りをしなければいけない。それをしない逆説の意味
もない。津川さん自身の話だと風邪をひいていて撮影の初日で
しかも二日であの病院のくだりを撮らなくちゃならなくてつらかった
と云っている。撮影がしっかりしていないと初めての人のときは
苦しいことになる。普通はラッシュの時点で撮りなおしのカットだ。
 森田芳光作品を手がけた光和インターナショナルの鈴木さんの
企画でそこは製作として吟味してほしかった。又脚本の大森が
ダメである。どう話をつなげて転がしていこうと考えたのだろう。
へそがない。師匠から一番弟子、そしておかみさんと死んでしまう
のにアイデアがない。そして師匠と弟子の関係ももっと何かある
のではないだろうか。関西落語の重鎮の葬式と一番弟子の葬式と
タレント、マスコミが来てと違いがあるが、笹野さんは実に芸達者
だけれど超売れっ子の落語家(たとえば明石家さんま)という風に
見えない。脚本にも演出にもそれを匂わせていない。変だよ。
そして四番弟子の茶髪の木下ほうかが最初の病院のシーンから
ずっと異物としてしか見えなかった。単品で他の話だったら存在感
があるのだろうが、落語家の四番弟子という役どころに成りきって
いなかった。逆に最後まで変な存在感があって画面をぶち壊している。
 プリンプリンの田中もぎりぎり。これだけ編集カットがマスターショット
を長く使うとそれだけ出演者のチームワークが必要になる。
昔の池田満寿夫の「エーゲ海~」もそうだったがエピソードや
ワンカットが良くても全体としてつながって流れていないと映画
にならない。おかみさんと師匠、弟子たちのそれぞれの思い、
そして人は必ず死んでいく。どう生きたか、とは、又どう死んだか
の裏返しである。所詮人間、ちんぽとおめこ。
死人のカンカン踊りは、最高のネタだったと思うがね。
へそが見つからなかったけど、中井貴一は素晴らしかった。
本当にうまくなっていて驚いた。ここの夫婦を語り部に広げても
よかったのではないだろうか。
名優・マキノ雅彦監督、もう一度「たそがれ酒場」のような映画で
いい脚本といいスタッフで挑戦してもらえるだろうか。
葬式の夜。お遺体にはロウソクの火を絶やしてはならない。
寝ずの番をしてやろうではないか。
日本映画の素晴らしい先輩達の火を絶やさず、現場はスタッフを
戒め、評論家は、コマーシャリズムに乗らず、
寝ずの番をしようや。いや、本当ーに。

 
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by stgenya | 2006-05-19 15:25 | 映画・ドラマ
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