今村昌平、葬儀。旅立つ。

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 今村昌平監督が5月30日がんで亡くなり、今日代々幡斎場で
午前中葬儀があり、煙突の煙となって旅たつ。
 涼しい天気の中代々木上原からきつい坂を上り、斎場に行く。
さみしくて味気ない葬儀場だった。
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 戦後派監督の第一人者だったイマヘイが亡くなるとは、イメージが
湧かなかった。「にっぽん昆虫記」「人間蒸発」の俊英がいつしか
カンヌの常連になり、巨匠とよばれるようになっていた。
 いま考えると長編劇映画は、「黒い雨」をのぞいてほぼすべて観ている。
どの作品も大小の期待はあるにしても駄作がなく、人間描写が面白い。
博多の映画館で「にっぽん昆虫記」を記録映画と勘違いしながら観た
のが、たしか最初で文芸座、並木座、三百人劇場で「豚と軍艦」、
「赤い殺意」、「人類学入門」、「神々の深き欲望」などを追いかける
ように観ていった記憶がある。
 どれも泥臭くて、したたかでグイグイラストへ引っぱっていく力に
満ちて実験的ですらあった。
入社すぐ小津さんの戦後の傑作(東京物語、晩春など)にサード
助監督でついて映画人生をスタートさせたが、本人は嫌々だった
らしく(のちにやっぱり撮影に対するこだわりに影響は受けたと
云っているが)、闇市時代に見た黒澤の「酔いどれ天使」が映画始める
きっかけだというので、タイプとしては黒澤さんの動的なものに近かった
のではないだろうか。
 そして60年代にドキュメントに傾倒していく中で10年近いブランクが
あり、映画学校をはじめたりして「復讐するは我にあり」で復活する。
これからの活躍がすばらしいものだった。
ひとりの作家がスランプになり、新たなテーマと向き合うようになれる
時代がいい作家ほど繰り返しある。
この前友人F氏がイマヘイさんのことに詳しい人で、その辺の件、東映が
深作でやろうしていたところ、原作の佐木さんがイマヘイを推薦した
らしいと教えてくれた。偶然だった。ドキュメントで得た調査癖がここで
ますます花咲くようになる。
 ぼくにとっては、大切な監督のひとりだったが、個人的なことで言えば
新宿西口の居酒屋街で夜、「泥の河」の藤倉プロデューサーと歩いていたら、
バッタリ会って藤倉さんが「今村さん!」と呼び止めて挨拶したのが12年前で
初対面だったような気がする。向こうも二人づれでお互いかなり酔っぱら
っていて次の飲み屋にいくからそそくさと別れた。
これが最初で最後だったが、あの独特の片眉にしわ寄せて、
スネたようにしかめる癖は、まさしく「何がやりたいんだ」
「ホラか本心かすぐばれるぞ」と言わんばかりの
圧力があったのを覚えている。
 借金とやりたい企画と戦ってきた大きな映画人が「新宿桜幻想」という
映画企画を残して逝ってしまった。
冥福を祈ると同時にもう一度あの「しつこい生き方」から何かを少しでも
学ばないといけないなあ、と今思っている。
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by stgenya | 2006-06-06 17:18 | 映画・ドラマ
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