クラッシュ

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 ポール・ハギス監督脚本のアメリカ映画。
「ブロークバック・マウンテン」と競ってアカデミー賞作品賞を
獲得。
 「運命じゃない人」で新しい映画脚本構成が進化して「パズル
構成」をタランティーノからの亜流であると言ったが、この作品
も構成が凝っていて、「トラフィック」のような「パラレル構成」を
編んでいて、時制をすべて一日戻して、冒頭の自動車事故と
路肩の藪で発見される黒人青年の死体発見とラストのその正
体が刑事の弟だと戻ってわかるところで終わる構造になってい
る。
 しかしここで平行して描かれるそれぞれの人間模様と人種
模様は、まったくストーリー的な関係性はなく、場面展開の度
に初めて護身銃買うペルシャ人父娘だったり、高級車を盗ま
れる白人の地方検事夫婦だったり、同種の車に乗っていた黒人
のテレビディレクター夫婦が人種偏見をもつマット・ディロンの
巡査に職務質問され妻が辱められる。又盗難にあった地方検
事の家では、鍵を付け替えるが、刺青を入れたヒスパニックの
鍵屋を信用せず、新たに鍵つけかえる・・・・黒人青年による車
泥棒から、全く関連のない人種たちがそれぞれに連鎖的に関
わっていくミステリアスな導入から展開部まで飽きさせない。
 ロサンゼルスという人種の坩堝の街でお互いに人種偏見と
富裕層と低層家庭、アメリカ人と新移民者、それから最後は
タイ、ベトナムからの不法移民の子供までヒリヒリと火花を散ら
す中で民族雑居の社会のひとつのパラドックスをこの監督は
描いてみせる。
 かっての社会派映画と趣が違うのは、そこだと思う。
「さまざまな人がロサンゼルスでコンクリとガラスの壁に遮られ
て生活し、お互い交わらない。ただ偶にクラッシュして火花が
散るだけだ」
 こんな理不尽な社会で貧しき善人が抑圧している差別主義者
を最後は糾弾するか、改心させるかのかつてのような単純な
プロットではこの現在の生きにくさを掬いとれない。
そこでポール・ハギスは、それぞれにパラドックスを考えた。
人種差別者の巡査は、病気の父の介護を甲斐甲斐しくしている。
そして後半自分が辱めた黒人の美人妻を交通事故から命を
救う。又そのマット・ディロンの巡査に嫌気がさして、別の班を
希望した若い巡査は車ドロの黒人青年を警察の尋問から救うが、
もう一人の車ドロの黒人青年をヒッチハイクで乗せて勘違いで
車の中で発砲して殺してしまう。
 また鍵屋に鍵を修理してもらったにも関わらず泥棒に入られ
たペルシャ人の雑貨やが保険も降りないことから頭にきて鍵屋
に思わず発砲するが助けに入った鍵屋の小さな女の子の背中
は傷ひとつなく、奇跡的に助かる。
(このカラクリは見てのお楽しみ)
 このようにこの辛い内容の映画が見終わった後なんとなく清清
しい気持ちになるのは、この逆説が利いている。
都市生活者は、何かを常に犠牲にして暮らしている。人種や貧富
では、人の善悪の顔はわからず、クラッシュして初めて血の流れ
た人の顔になる。
 この映画は、監督の個人的な車盗難事件から家の鍵を取り替え
た体験から発想されているという。
 全体に深みのある短編小説の印象を与えるのには、やはり初め
の黒人刑事と車ドロに成り下がった弟との関係など柱になるところ
が他より、人物設定がうすいからだと思う。これは残念だった。
 やはり長編映画は、テーマと主人物が一本の大きな力でつなが
っていないと感動は呼ばない。感動的な鍵屋と娘の話と黒人刑事
の話がつながっていないところが短編集に留まった要因だろう。
 シナリオは、構成で話をつくる。これをいじるとき、視点が問題に
なる。今回「神の視点」と題されたが、これは、そう容易なことでは
ない。
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by stgenya | 2006-08-07 15:47 | 映画・ドラマ
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