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メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬

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 トミー・リー・ジョーンズの監督主演作品。
なぜか今年は、ソソられて見に行く映画が俳優が監督する
ものが多い。これは、ハリウッド版。
企画から自分で絡んでいく方が望みの内容の映画で演技
できるからだろうか。このおじさん、窓外をじっと見詰めてい
るだけで渋くて絵になる。
 ストーリーは、「21グラム」のギジェル・アリアガの脚本で
三部構成でそれぞれの埋葬事情が語られる。
国境警備隊がコヨーテが埋葬された死体を漁るのを発見
するとこから始まる。次に新任の警備隊員バリー・ペッパーが
間違えて不法移民のカウボーイ/メルキアデス・エストラーダ
撃ち殺してしまい、慌てて埋める発端へ時制を戻す。
この間に砂漠の退屈な町に来たバリーの新婚夫婦の生活が
紹介され、トミーとメキシコから潜り込んだエストラーダとが
馬を介して親しくなり、一緒に働くようになる件を回想で刻む。
そして最後の埋葬であるエストラーダの腐りかかった死体を
死ぬ前にトミーに漏らした「オレが死んだら、故郷のヒメネス
に埋めてくれ」と言った言葉どおりに犯人のバリーをつれて
メキシコへと旅立つシークェンスになる。
 男の友情の世界とメキシコ国境不法移民のやるせない生活
と渇望。鋼のように硬い罪と罰の報復。
テーマもよく、トミーもバリーもこの上なくよい。
しかしなぜか物足りない。
なぜだろうか。この本の欠陥は、やはり肝心のメルキアデス・
エストラーダの描写が細切れの短い回想だけに留まったこと
にあるのではないか。
 あれだけ犯人のバリーをこき使って腐ってもヒメネスに埋めに
いく主人公の想いの強さを単に「気のいい馬好きの不遇なメキ
シコ移民」との友情と既成事実として語られても心は落ちない。
それが結果として彼の言っていた写真の家族も美しい町ヒメネス
も幻だったと逆転させても・・・
 メルキアデスの姿がうすいのだ。
もし正攻法過ぎてつまらないという理由でメルキアデスとの友情
を中心に描かないのなら、現実の時間軸である執行者と罪人の
償いの旅にスポットを当てる必要がある。
この場合よく南米文学などにあるロードムービー風にするなら、
死体を運ぶトミーとバリーののっぴきならない二人だけの旅で
パニッシャーと罪人との人間関係が微妙にずれて交差していく
ことで起こる何かを蛇の眼のように見つめだすという手法もある
だろう。そこにメルキアデスのヒメネス(心の故郷)が、トミーの
ヒメネスになり、バリーのヒメネスになる。
いったいヒメネスとは何だったのか。
バリー・ペッパーがいい俳優である。ペニスの塊のような立派な
体をもち、女に裏切られる男の心に住んでいる拠り所がもっと
明らかになっていたら、もっと感動できたのにと悔やまれる。
生まれた町は美しく、そこに行けばやさしい妻と子供が待っている。
デッキチェアに吹く風は心地よく、テキーラの酔いともにシエスタ
を誘う。
 しかしその土地は、荒れ果ててぺんぺん草が生えている。
つらいが男たちは、前へ生きなければならない。
トミー・リー・ジョーンズおじさん、映画の狙いは何度でもやれる。
3度といわず・・・・、
そしてあなたの「ヒメネス」を語ってください。
by stgenya | 2006-09-14 11:36 | 映画・ドラマ
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