ヨコハマメリー

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 中村高寛監督の「ヨコハマメリー」。
これは、ドキュメンタリー映画と名乗っているが、きわめて巧みに
組まれた「ハマのメリー」をめぐる劇映画である。
最後に驚くラストをもっているトリック映画と言っていもいいだろう。
 ここではこのドンでん返しを言ってしまっては、まだ見ぬ人のため
に掟破りとなるので控えるが、これは、なかなか最近の映画では、
味わえないほど心地いい騙され方だ。
私的には「シックスセンス」以来である。
 30歳の監督にとってこの白塗りの老いた街娼を映画にしようと
思ったときには、もう当の本人がヨコハマから姿を消していた。
正確には、95年に姿が見えなくなった。
 映画は町の人たちの噂話からはじまる。どうも高齢になって故郷に
帰ったらしい。昔は、米兵相手のはぐれの街娼だった。皇后さまとか
きんきらさんとか呼ばれていた。メリーと呼ばれたのは、ここ20年
だという。その最後の影ながら面倒を見ていたゲイボーイでシャンソ
ン歌手の永登元次郎との交流を縦糸に紡いでいく。
本名も明かさないメリーさんのかろうじて動く映像がその元次郎の
コンサートに花束を持ってきた荒い一瞬の記録映像でしか出てこない。
かつてメリーさんの元気なころに映画にしょうとしてぽしゃった福寿
プロデューサーたちの途中まで撮った映像があったハズがその撮
済みが行方不明になってそれもない。
 よくありがちなつまらないドキュメント映画のように対象に迫れない
とその周辺のことや人にカメラを向けていく。
そこから戦後のヨコハマが時代考証的に語られる。
脚本家杉山義法や五大路子、団鬼六、山崎洋子、広岡敬一そして
写真家森日出夫の唯一街娼「メリーさん」を捕らえた写真が間に
挿入される。
 後半元次郎さんが末期がんになって治療しているところやその
自分の母親との別れた人生談に話が動いていき、映画の冒頭の
今は亡き「永登元次郎、杉山義法・・」に捧ぐという字幕を見ている
ぼくら観客は、メリーさんに肩入れする元次郎の歌に感動する。
こころから歌うその人生の思いがメリーと自分の母とに重ねてられて
情緒的である。
ただこのままだと原一男の「全身小説家」の二の前かと思う。
井上光晴という末期がんの小説家を追っていきながらどこに落とし
どころをもっていっていいかわからず佐賀の出身がたどれば、
朝鮮だったという虚言癖のあった井上の不確かな話に持っていこう
とするがそれが衝撃の事実にもならず井上という作家の実像に
迫りきらないうちに映画は、井上の死でおわってしまう。
この「ヨコハマメリー」は、最後にそこに陥らず、ラスト故郷に帰った
メリーさんからの手紙で元次郎がそのメリーがいた筈の老人ホーム
で慰問コンサートをひらく・・・・・・
 ただこの映画は、普通時間を字幕等でいつどこでと知らせるという
ドキュメントの手法を飛ばしているのでこの驚くラストができたが、
実際は「ヨコハマのメリー」という気位の高い、父親が亡くなって娼婦に
なった動機や米の将校が忘れられず横浜に居座った経緯など
その本当の正体には、迫っていないのだ。
そういう意味では、優れたドキュメントとは言えない。
映画をよく知っている若い中村高寛のドキュメント劇映画である。
あのオーソン・ウェルズの「市民ケーン」で使われた「ローズ・バッド」
と同じ作用を「ヨコハマのメリー」は果たしているといえる。 
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by stgenya | 2006-10-16 14:51 | 映画・ドラマ
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