武士の一分

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 山田洋次監督・藤沢周平原作の時代劇三作目。
映画において俳優の役割の大きさを実感させられる映画だった。
興行映画とは、二枚目がいて、筋がよく、いい画(ヌケ)があって成り立つ。
山田洋次が進んできた映画道もこの本道から一度も離れない。
(あの寅さん映画も二枚目はマドンナだけでなく寅さんそのものだった)
今回の「武士の一分」は、この三要素の中でも二枚目(主役)の選択が
大きかった。
 木村拓哉がいい。俳優とは何だろう。
兼ねがね渡辺謙と役所広司とが日本人俳優としての最高レベルに行って
いると書いてきたが、ここに木村拓哉が近づこうとしている。
では、この映画の中でそれは、何か。
俳優がひとつの役にピタっと入り込んでいること。
言い換えれば見事にその役を生きていること。
呼吸し、その時代の風に吹かれ、その境遇に翻弄され、その一瞬一瞬を
観客と一緒に生きている。そこにある筈の作家や演出家の見えない所作を
微塵も感じさせずまるでドキュメントとして俳優の演技が動いていることだ
と思う。
 東北の下級武士の田舎のお城勤めの青年をその方言が醸し出す特別
秀でた訳でもなくごく平凡な男の人柄として木村拓哉が生きていたことに
いままでテレビドラマや失敗した映画出演作とちがって驚いた。
こういうことができるのなら10年もこの人を映画界が放っておいて松竹と
いう老舗の会社が傾き、あの大船撮影所を更地にしてしまったことを悔む。
 プロの映画プロデューサーが給料貰って何やっていたのだろうか。
野球だって専属契約があり、大物選手や監督を引っ張ってきて会社を
持ち直すのに・・・。
 話はそれたが、この若い俳優をもっと前からいい監督につけて映画を
作っていたら今ごろ木村拓哉は、ブラピやトム・クルーズとコンビのヒット
映画をつくっていたかもしれない。
 まあ、ひとつだけ木村拓哉に関して私なりに不満のあったのは、頭と終り
に特に表現している平素の下級武士の素顔にいつも彼がテレビなどでやる
少し照れて吹き笑いしながら台詞を言う人懐こい演技に、もう一パターン
別の引き出しでやってもらえたら、全く新しいキムタクを見れたと欲張る
のだけれど・・・
 又壇れいの清楚な魅力も書いとかなければならない。
特に島田上司との不義が見つかった日の加世が帰ったと新之丞に顔見せ
するときの襖の壇れいの横顔の艶かしさは、カメラと照明部の職人の為
せる技である。デジタル班に怒鳴ったという長沼カメラマンの気迫が俳優
にも伝わるのである。現場その場は、時間だからもういいでしょ、後処理
でなんとかするからとは行かないのが「武士の一分」である。
 このテーマは、いまの日本に多々ないだろうか。
教育で子育てで行政の場面で、みんなおかしいなと思うことに慣れすぎて
××の一分を忘れて捨ててきたことが今のおかしな事件や人間の満ちた
世の中になっているように思うがどうだろう。
 少し長くなったが、この映画の構成ではじめて山田作品に山本一郎と
平松恵美子という脚本家が加わっているが、難をいうと加世の裏での使い
方が甘いと思う。あれだけの仲のいい夫婦が不義をする過程を逃げて
しまっていることと離縁されてその間どうしていたのか、もっと書き込んだ
方が島田との復讐劇に切実感があったと思う。
またもうひとつ「隠し剣ー」のような決闘に勝つためのアイデアがあると
もっと迫力がでたと思う。
 とにかく人情とさわやかな笑いとを下地にした地方武士の話を快く撮って
いる。山田洋次にもう一度キムタクで次も組んでもらいたい。
伝統ある松竹映画の監督の一分として。
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by stgenya | 2006-12-07 15:29 | 映画・ドラマ
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