ブラック・ダリア

d0068430_1038135.jpg

ブライアン・デ・パルマ監督作「ブラック・ダリア」
 「殺しのドレス」「LAコンフイデンシェル」など妖艶で怪しげなサスペンス
を得意とするデ・パルマがジェイムス・エルロイ原作「ブラック・ダリア」を
映画化した。
 ヒッチコックに傾倒して、わくわくして殺人事件を覗き見るようなサスペンス
映画をつくってきて、いつも画面に停滞がなくながれるように最後の顛末
まで見せる手腕が定評だが、今回は、膨大な原作の脚本化と最終編集で
かなりスピーディーに切っている。
 それがある意味物語を説明するのにいっぱいいっぱいだった感がある。
エルロイは、実際に1947年1月15日に起きた有名な迷宮少女惨殺事件
「ブラック・ダリア」を題材に、ふたりの元ボクサーバッキーとハリーの刑事
を主人公にすえて、恋人のケイやハリウッドをつくった大富豪の娘と
その家族などの人物設定を丁寧に創作して、長編推理小説にしている。
 だから事件の犯人の謎解きは、ハリウッドという巨大な富と闇の世界の
家族劇にゆだねて、それに翻弄されるリー・ブランチャード刑事とその妻
ヨハンソン演じるケイのBDの刺青をされた過去や馴れ初めとその凶悪犯
の出所というエピソード。またリーとボクシングで親友になり、父親の介護
費用で面倒をみてもらったバッキーは、事件の鍵をにぎる富豪の女マデリン
との関係で話の筋道を解いていく役目をする。
 ここまで書いても書ききれない人物設定の絡まった糸をどうやって映画
するのか、それが脚本と監督の役目だ。
単純にどこかで省略しなければならない。
そして犯人を追う刑事とその関係者が見えない犯人に狙われていくスリル。
これが足らなかったように思う。
 レズクラブ、エロフィルム、無声映画、口の裂けたピエロの絵と道具立て
はしっかりあり、シナリオ的キーワードは、似ているということ。
殺されたいつも黒服を着ていた女優志望だったダリアに似ているから
会いに行ったというヒラリー・スワンクのマデリン。
やはり被害者に似ていたという死んだリー刑事の妹。これが彼がこの
事件にのめり込んでいく動機付けになっている。
しかし肝心のダリアとマデリンはそんなに似ていないという致命傷がある。
 またバッキーとケイの関係は、ここを示すための道案内役になって
しまっている。実はシナリオ的にはこれが弱いのだと思う。
主人公が殺されかけるほどのサスペンスはない。
語り部の扱いは物語をつくる上で大変むつかしい。
 デ・パルマは、色調をくすませたり、音の入れ方や場面転換のカット
つなぎに工夫をしている。これらはいままでの映画のつくり方の延長線
だが、なんせひとつひとつのシークェンスが短く、カットつなぎも辛いので
流麗なデ・パルマカットにならなかったのが、惜しい。
それにしてもスカーレット・ヨハンソンは、魅力的だ。
彼女が部屋で着替えているところや、入浴しているところに殺人者の手が
のびてくるというハラハラドキドキのシーンがやっぱりあってこそデ・パルマだ。
 実際の事件の被害者は15,6歳の少女だったらしいが、第二のダリア
として狙われるのがヨハンソンという意訳でもよかったのではないだろうか。
どうせエルロイの原作も作り事なんだから・・・・

 
[PR]
by stgenya | 2007-04-14 11:38 | 映画・ドラマ
<< バージニア工科大学乱射事件 マッチポイント >>