バベル

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 バベルBABEL
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ作品。脚本ギジェルモ・アリアガ。
雨の日比谷で観た。そして劇場から出てくるといきなり日テレの記者に
何か気分が悪くなるようなことはなかったですかとカメラを向けられた。
中盤のディスコのシーンのフラッシュ・カットのことか、どうってことないよ
と答えると不満そうに
「でも何か少しは不快な気分になりませんでしたか」と誘導質問。
「別に。あなたのニュースネタには適いません。それより映画の内容
そのものがもっと面白いのかと期待はずれで不快だよ」
と付け足すと若い記者は、苦笑いでカメラのスウィッチを切った。
 モロッコの高地で一丁のライフルをジャッカル退治に農民が購入
するところから物語が始まり、東京では聾唖の女子高生と父親との
葛藤が点描され、破綻の兆しのあるブラッド・ピットとケイト・ブランシェット
のアメリカ人夫婦がモロッコバス旅行でライフルを購入した農民の子供
から狙撃され、瀕死の状態で何もない村で足止めされる。
そしてその夫婦の母国アメリカでは、ふたりの子供が子守りのメキシコ
女に自分の息子の結婚式に出席したく国境を超えてメキシコへ
連れて行かれる。東京では女子高生・菊池凛子が母を亡くし、
性のめざめとハンディキャップで孤独な欲望にこころが翻弄されて
街を彷徨い、歯医者や刑事に感情を爆発させる。刑事は彼女の父
役所広司のアフリカ旅行でガイドにお礼でプレゼントしたライフルが
どうも犯罪に使われたらしいと告げに来たのだった・・・・
 「21グラム」のイニャリトゥだけあって、パズル構成とパラレル進行で
脚本をつくっている。そしてこのやり方でよく使われる手持ちカメラで
の撮影。まるで衛星放送のニュースを見ているようなカメラワーク。
とくに瀕死の妻の救援を待っているブラピがツアーのバスに置いて
行かれる場面では、ロングショットと手持ちで臨場感を出していた。
 映画として地球的な規模で人種や国を跨いで監督の云う愛と孤独
のテーマを描いて、ひとつの退屈なカットもなく、又俳優の生きた
演技を切り取りながらうまくハッピーエンドにまとめている。
やさしく甘味なギター曲も最後まで雰囲気を醸し出していい。
しかし何かが足りない。カンヌで最優秀監督賞を穫った作品で
あるにもかかわらず見終わってこれだけって思ってしまう。
理由はいらない。世界はこうして、南米での蝶の羽ばたき方で上半球
の異常気象が起きるといわれているフラクタル理論のように
知らないところでつながっている。高層マンションに住む孤独で金持
ちの日本人の気まぐれが貧農の少年を殺人犯にし、メキシコの砂漠
で白人の子供を迷子にし、子守りは不法就労で捕まり、モロッコの
少年の兄が撃ち殺される。
  世界はつながっている。バベルの塔を建て神に罰をうけたように
人間は、バラバラになり矛盾を抱え込みながらその連鎖を繰り返す。
監督はそういいたいのだろうが、菊池凛子と役所広司の愛と孤独は?
ブラピとケイトの愛と孤独は?子守りのアドリアナの愛と孤独は?姉の
裸を覗き見たことを告げ口された弟のモロッコ少年の愛と孤独は?
  厳密にいうと雰囲気の域を脱してすべて描かなくても滲み出て
くるような仕上がりになっていない。また斬新で新しい手法の確立
でもない。「クラッシュ」や「トラフィック」で既にみられた話法である。
昔映画は、ひとつの家族を描いて長編を感動作にした。
いまひとつの家族に収まらない場合。多様なものの中に心寄せ
を紡いで長編をつくろうとすることがある。
 作家がテーマに迫りきらなかったとき、よくあることだが、複数の
設定を広げてそれぞれに負担を負わせて逃げることがあるけど
まさかそれではないだろうね。
 役所広司の妻は、どうしてピストル自殺したの?そのことと聾唖の
凛子の孤独とどう影響するのだろう。エリートサラリーマンの役所が
不具な娘に十分な愛情をかけてやれなかったための家族崩壊
なのかな。二十歳前の萌え出るような聾唖の人の純粋な性の
発露を実体験として目の当たりにしたことがあるが、それは苦しい
ほどの純粋さだった。何も変わらない。
凛子の悪意と孤独の元を指し示さないとイニャリトゥさんが物語
の都合で使ったということになってしまわないだろうか。
凛子が踊るクラブのフラッシュ・カットより、そのことに映画の種を
蒔いた方がよかった気がする。
だってこれだけの力量があるのだから、
やれる筈じゃないだろうか。
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by stgenya | 2007-05-02 07:33 | 映画・ドラマ
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