長い散歩

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 06年モントリオール映画祭グランプリ作。
監督奥田瑛二の三本目。脚本山室有紀子、桃山さくら。
因みに桃山さくらは、妻の安藤和津と長女と次女の合作名。
 五十歳を過ぎて映画監督に伊丹や北野のように目覚めた。
なんで映画なんか監督するのか、もうとっくに娯楽の王座から
滑り落ちているのに。定年後絵を描いて二科展に入りましたと
いうのと同じではなく、最終おもちゃが映画監督。素人でもいい。
 ただこの「長い散歩」は素人器用ではなく、
しっかり映画を目指して、こころに届く映画言語になっていた。
 そして何より映画のもつ力を手に入れているところが幸運だ。
それは、時代性である。
去年綾香ちゃん事件を経験している日本人としてこの映画を
観るとき、5才の少女の孤独をどれだけ平地に降りて感じられるか
幼稚園で踊った天使のパンツ。そのときの翼をつけたまま毎日
を園にも行かず、高岡早紀の母親の男出入りに翻弄されながら
ひとりでアパートの外で待つ夜がある。
 そこへ校長を定年退職した緒形拳演じる松太郎が隣に引越してくる。
夜な夜な少女サチに対する暴力は、すさまじくなり、松太郎は
体を鍛えて、母親の情夫を叩きのめして、サチを連れて
山奥へ逃げていく。
おじいちゃんと青い空を見に行こう。白い鳥が飛んでいる。
ふたりの旅がはじまった。
愛知県警は、これを誘拐事件として追跡する。
途中心を閉ざしていた少女サチは、松太郎に祭りではぐれて
見つけられ「置いてかないで」と距離が縮まる。
後半高地に向かうローカル線の駅で自殺願望の孤独な青年と
出会い、サチも懐いた矢先ピストルで自死してしまう。
妻子供を顧みなかった松太郎は、懺悔の思いで青空に一番近い
山にサチと登る。青い空、白い雲、そして白い鳥ー。
サチは、自分の紙の翼で飛んだ。そして落ちてきた。
松太郎は、しっかりと自分の人生でできなかった抱擁でもって
サチを受けてとめた。
この映画が映画として成り立った場面は、こことラストの地方駅での
自首して別れを告げる松太郎とサチの群集の中の抱擁である。
はっきりとサチが本気で行かないでとすがるシーンをロングで
とりつづける。映画的一瞬だ。
 ATG映画でデビューして、熊井啓の「海と毒薬」で再び映画に
戻ってきて熊井監督に気に入られ、シャシンの現場を見てきて
体得した映画術である。
 どうして今実の子供を愛せないのだろうか。
この映画は、それに答えてはいない。虐待が虐待の親をつくる。
それは、たぶんこの映画が発想されたとき、奥田監督は家族生活
に失敗した老人が主導ではじまったと思う。だからサチの生活の
背景と問題提起が二次的になって、むしろ天使の羽をもつ不幸な
少女は、松太郎にとっては、救済として描かれる。
ラストカット刑務所から出てきた松太郎は、サチの幻影を見る。
でも現実は、今日も今もどこかで幼い子供が虐待され、まだ
小さな世界しか知らないまま命を絶たれている。
川に流され、バイクの荷物ボックスに押し込まれ、殺されている。
この戦争のない日本でしかも若い親たちが・・・・
ここから発想すると地獄のような生活から逃げられたサチにとって
松太郎は、救済なのだ。そういう映画になれたと思う。
 この『長い散歩」で感じたのは、よく出来ている。まじめな姿勢と
ブレッソンなどに通じるある種のロマン志向もいいけれど、
ただ音楽の入れ方がすごく気になったということ。あのピアノテーマ。
特に松田翔太の自殺願望の青年と少女サチがはじめて心を
交わす焼いものシーンでベタに入れずサチが青年から熱い芋を手に
取るところで音楽が入るか、転調するともっとぐっとくるのだがと思った。
しかしそれにしても緒形さんでなきゃここまで老人の旅を見せられ
なかったのではないだろうか。
久々に良かった。高岡早紀もみんな演者としてよかった。
刑事役の奥田さんだけが、監督業と兼任のためか、ステレオタイプ
の刑事になっていたのが気になった。
まあ、でも映画が映画としてよかったから贅沢はいわないけどね。
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by stgenya | 2007-06-07 11:11 | 映画・ドラマ
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