ローラーとバイオリン(シリーズ処女作の頃)

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1960年「ローラーとバイオリン」。脚本アンドレイ・コンチャロフスキー。
 共同脚本と初監督がアンドレイ・タルコフスキー。
ニューヨーク国際学生映画コンクール第一位。
つまりタルコフスキーの国立映画高等学院の卒業制作。
20世紀に生きた映画作家で最も映画的な映画をつくった
映画監督がソ連から追放されたアンドレイ・タルコフスキーである。
その偉大な監督の映画処女作が本作品48分。
 映画にとって映像と音がすべてである。
美と喪失。
物語に合わせてフレームで俳優の姿を望ましい構図に切り取り、
音をつけてつなぎ合わせると映画らしくなる。
優秀なカメラマンさえいれば素人でも監督できる。
これだけ日本映画にこの10年新人監督が出て来て、どれも
延びて行かないのは、どうしてなのか。
 らしくカットをつくるのでなく、創造的な思考の元で俳優の動き
を切り取り、それをさらに物語のテーマと重なり合わせて行くという
極めて美的な活動がないと魂の通った映画にならない。
タルコフスキーほど、たえず音を映像をどうすれば創造的映画に
なるか考えながら映画をつくった人はいないのではないか。
 バイオリンを習う小学生のサーシャは、近所のいじめっ子と喧嘩
をしては負けてしまう。家の近くで道路工事をやっていた青年
セルゲイに助けられる。そして二人は友だちになり映画に行く
約束をする。親子ほど年の離れた肉体労働者と音楽家のたまご。
この区別をされるのを嫌うサーシャ。
しかし母親は、セルゲイとの付き合いを危ぶみ阻止する。
少年は、鍵を掛けられた部屋で最後に夢想する。
映画館広場で待っているセルゲイの元へ走って行く自分を。
 この単純な物語をどう映像化しているか。
タルコフスキーの構図の特徴的なものに、距離を縮めるフレーム
インがある。一人の人物が映っていてカメラの端から大きく別の
人物がFr-inする。ここに1つの関係が現れる。これに人の代わりに
風船を階段の下で出す。少年の夢や期待としての象徴がこれに
あり、のちに「鏡」では実際に宙に母親が浮く。
次にいじめっ子が出て来て、セルゲイがinして少年と友情を持つ。
又バイオリン教室での少女とサーシャとの関係をサーシャの椅子
の上に置いていったリンゴとこれを待ってる間に少女が食べる
というシチュエーションを表すのにFr-inをうまく使っている。
このように入れ込みのカットは、二つ以上の関係性を示す。
ただ彼の場合、ときどき距離が縮まっている。
バイオリン教室で練習しているサーシャを先生がワイプする。
その度に黒画面の次は、時間と距離が飛んでいる。
これを「ぼくの村は戦場だった」のファーストシーンで少年がロング
で歩いてFr-0utするとカット割らずすぐに大きくカメラ前にFr-in
する不思議なカットへとつながる。
 そして二番目が教室に行く途中で商店のショーウィンドーの鏡や
ガラスに乱反射する風景をファンタジーとして使っている。
ここでもうタルコフスキーの重要なアイテムが出てくる。
落ちたリンゴの群れ。これは次の「ぼくの村は戦場だった」の
ラストにも出てくる。実際ロシア人はリンゴをよく食べる。
これこそは、タルコフスキー的な創造性である。
日常の中の非日常。
多重に鏡にものが映るのを日常ぼくらは、経験している。
しかし彼はこれを映画のカットのモチーフとして見事に
使うのである。リンゴが落ちて映る。それを見て拾って
教室へ行く。そのリンゴを少女が食べてしまう。
最も映画的な映画「鏡」で追憶で見る祖母が飲んだ紅茶
のカップのなくなった痕に湯気が消えて行くのを静かに
捉えて祖母がいたのかいなかったのかわからなくして
しまう。この日常ある湯気の消滅を非日常の道具として
使って追憶というテーマを表現しようとしている。
これがオカルト的さえあるタルコフスキーのファンタジーである。
そしてラストの逢えないセルゲイの元へ水に濡れた(水
も重要なファクター)広場を走って行く。
ここに彼は自分の幼少期に別れた父アルセーエフとの再会
を夢想しているのではないだろうか。
彼が一環して求めている父との抱擁。そしてその距離感である。
瑞々しく詩的で美しい本作品は、タルコフスキー映画のまさしく
はじまりである。
 最後にタルコフスキーと仕事をしてきたプロデューサーの
エリック・M・ワイズベルク氏(「鏡」など)が70代で今年の三月
病気で亡くなったことをお悔やみ申し上げます。
エリックさんとは、シベリアで一緒に仕事をしたことがあり、よく
タルコフスキーの話になると、「鏡」でいつもヘリコプターを
使って草の波立ちをつくるのに大変だったと回想して笑って
いたのを私はよく覚えている。
あんなに精力的で誠実な人がタルコフスキーと一緒に仕事
していたというのは、よくのみ込める。
タルコフスキーは、まさしく自分のイメージに誠実であろうとして
いた監督だったのだから、同じような人をよぶのだろう。
モスフィルムを去った彼に対して、残った当時のロシア映画界の
スタッフたちがどれだけ尊敬の念をもっていたか。
1986年「サクリファイス」を撮ってがんで亡くなったタルコフスキー
は、ロシアだけでなく創造的映画の発展に対してどれだけ大きな
喪失だったか。
アンドレイ・タルコフスキー様。あなたの映画に対して成した業績は
まだまだぼくらにとって目標として高く存在しています。
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by stgenya | 2007-06-22 00:43 | 映画・ドラマ
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