ぼくがいない場所

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「ぼくかいない場所」I am/jestem
脚本・監督ドロタ・ケンジェルザヴスカ。ポーランド映画。
とてもまじめないい映画である。
クンデル少年の目がいい。素人でオーディションで見つけた
らしいが、柳楽のカンヌ主演男優賞だったらこのクンデル役
のピョートル・ヤジェルスキ君にもやらなきゃいけないんじゃ
ないかと思うほど自然で見終わっても健気でつよい力をもった
表情が焼き付いて離れない。
  まずこの映画を見て人間は、生まれてきて仮の家で仮の
姿で仮の生活をしているということが思い知らされる。
ぼくたちは、今いる自分はたまたまこの姿でこの環境でいる
がそこには必然はない。仮の姿かもしれない。
しかし他の誰でもよかったが、逆に他の誰でもない。
この仮の不憫な自分を受け止めることが生きるということ
ではないだろうか。
  男出入りが烈しく精神的に不安定な母親から捨てられた
クンデル少年は、孤児院から脱走するところから始まり、
母のもとに来ても居づらく村の不良少年たちからも追い立て
られて川の廃船で寝泊まりしてくず鉄拾いで生計をたてる
ようになる。
 その廃船の前のお屋敷の女の子と心を唯一通わして
どこか遠くへ行く望みをもつようになる・・・・
少年の孤独と行き場のないやるせなさ。
ちょうどトリュフォーの「大人は判ってくれない」のような
映画であるが、まず画がきれいである。
カメラがたえずローアングルで美しい構図をつくっている。
どうもこの女流監督の夫のアーサー・ラインハルトという
人がカメラを担当した。
説明の少ない事実だけが淡々とつづられている。
家族からはみ出した少女と社会からはみ出した少年。
この日々の生きる行為がリアルなのだ。
子供たちをここまで自然に演技させるのもなかなかの
力量だが、映画が物語をもって画と画をつないでいく
ときに、幸運にも成功した作品は、無駄がなくその中から
人間の生きた姿と置かれた社会との肌触りがしっかりと
出てくるものであるが、この作品は、まさしくそれだった。
経済的な貧困と崩壊した人間関係とがはっきりとした
社会では、この映画のように力づよい作品がでてくる。
かつての日本映画もそうだったように。
大島渚や羽仁進のそれぞれの処女作がそうであった。
  この映画の女流監督が悲惨な境遇の少年に唯一心の
拠り所にブリキのオルゴールを小道具のシャレードとして
つかっていたのがオーソドックスだが手堅かった。
同じ子供の映画をつくるとしても日本の最近の行定も
含めて少年ものは、あまりにも生ぬるくて力の差が歴然。
 最後に少年クンデルを救うミニくい妹と少年を警察に
通報する美しい姉という図式が女流監督ならではと思った。
シナリオを作る際ついここでロマンスを書きたくなって
しまうが、そこが姉妹の心の奥深くまで踏み込んでいく
ところにただ者でない洞察力を感じる。
ビスタサイズ。98分。原題のとおりjestemただそこに
いて風や水の冷たさを感じて子供時代の眠っていたもの
を思いだし心に響く映画だった。
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by stgenya | 2007-10-31 22:57 | 映画・ドラマ
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