ぜんぶ、フィデルのせい

d0068430_548254.jpg

2006年完成のフランス映画「ぜんぶ、フィデルのせい」。
監督・脚本ジュリー・ガヴラス。
世界は、飢えている。
ひとつのオレンジをどうやって食べるか。
その答えは、出たのでしょうか。
本当にその答えでいいの?
この映画脚本のこれが後半でへそになる。この温度差を政治的に
まじめに感じてしまうと楽しめない映画になる。
 この映画のよさは実は送り手の意図に関係なくアンナ(ニナ・ケル
ヴェル)の天然そのもののこどもの表情を通して、おとなの世界が
どう見えているかという視線を映画としてリアルに捉えているという
ところにあるのではないか。
「地下鉄のザジ」や「大人は判ってくれない」などのことも目線の
フランス映画のDNAがこのギリシャ系フランス人の女流監督にうけつ
がれている。
 ストーリーは、弁護士の父と雑誌記者の母をもつ裕福な家庭に育った
9才のカトリックの学校に通うアンナとまだ幼い弟の身にある日突然、
キョーサン主義が入り込んでアンナの生活が乱されていく。
父親は、スペインの反フランコだった叔父の死をきっかけにやってきた
その叔父の子の家族を家に滞在させたことから南米チリのアジェンデ
政権の話になって、父と母は、政治的に目覚めてアンナたちを預けて
チリへ行ってしまう。
そして帰ってきたら、母も闘志に父も髭の赤い人になっていた。
仲良しだったお手伝いさんもクビにして、安いアパートに引っ越しして
しまう。怒ったのは、アンナ。どうしてこうなるの?
「ぜんぶ、フィデル・カストロのせいよ!」とキューバ難民のお手伝い
さんは、吐き捨てる。
 家の中は、南米の政治活動家で毎晩溢れ、アンナは、学校で宗教の
時間を出なくなり、母は、雑誌で「中絶」法案賛成の署名に奔走する。
ここでこれが1970年の話であると断って置かないといけない。
あの時代、世界中が政治の時代だった。
結局アンナは、こんな両親に抵抗反発しても最後は、普通の小学校へ
転校して少しは理解するというところで終わる。
 撮影は、極端にロングショットの少ない、ミディアムショットの
連続でカット割りされている。つまりこどもの目線で1時間39分を
追っている。ラストカットの新しい小学校の校庭で遊ぶ子供たちの
中のアンナで初めての俯瞰カットになる。
「Z」のコスタ・ガヴラスの娘だそうだが、このジュリー・ガヴラス
は、これが長編劇映画の初監督だという。
演出的にダンケツとチューゼツのカツドウの度に引っ越しするという
シナリオの面白さを出すためにも、ここで移動・転換のアイデアを
忘れているところが残念だった。せっかく子供目線で統一してみせた
のに、引っ越しがはっきりとわからない。両親がいきなりチリに行く
のもわかりにくい。ドキュメントなら字幕を一つ入れるところか
飛行機が飛ぶか、引っ越し荷物がトラックで運ばれるかするだろう。
たった一つの子供のおもちゃでも場面転換に使えたと思う。
パリの五月革命を経た後の1970年代の政治的な流れや背景が
その後現在どういう位置に来ているか、オレンジを単純に均等に
分け与えただけで人間は満足しない厄介な存在だとわかってしまった
現在では、この映画でアンナの目覚めがもう一つ進んで描かれてい
ればよかったと思うが、この映画の場合おとなの社会を理不尽に思う
アンナの目線が新鮮でユーモラスなところがよくて印象に残る。
それは、とりもなおさず同じく政治的な映画をとりつづけた監督
の娘だったジュリー・ガヴラスの自分の自伝に近かったから
ではないだろうか。
[PR]
by stgenya | 2008-01-20 07:02 | 映画・ドラマ
<< 母べえ プラネットテラーin Grin... >>