母べえ

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「母べえ」原作野上照代。脚本山田洋次と助監督の平松恵美子。
監督は、時代劇三部作を撮った山田洋次。松竹制作。スタジオは東宝。
 初日に渋谷で客は7割ほど。年配者が多かった。山田洋次ファンか
吉永小百合ファンか、「同胞」や「学校」を生きてきたような善良そう
な人たちが多かった。
さて、映画はどうだろう。
治安維持法の下で思想犯として捕まり、一家族が離ればなれにされる
戦前の暗い日本を母と姉妹が書生の山崎や義理の妹の久子らの助けを借
りて生き抜くという話である。
 山田洋次にしては、珍しくヘソが曖昧な映画になってしまった。
この映画を観ていて、演技とは何か? 主演女優の凋落とは何か? という
ことをずっと考えさせられた。
はっきり言うなら吉永小百合がダメなのだ。
これだけのキャリアと直向きな姿勢がありながら、田中絹代のように
大女優が年をとっていきながら成長して、その年々の味を出していけ
ないのは、どうしてなのだろう。
主演をつづけて112本目とか言って、その映画が映画として成り
立たないで何の意味があるのだろう。学校の成績で優の数がこれ
だけ取ってきましたと言って学問で何を自分として得たかという
ことがつかめてない人と同じではないか。
少し厳しいかもしれないが、最後の大女優としたらこの演技でいいの
だろうか。正直ラストに幼かった妹照べえが大きくなって、母の臨終
に駆けつける戸田恵子のほんの数分の演技でやっと泣けた。
何が違うのか。関川夏央が吉永小百合のことを恋慕の気持ちをこめて
日活時代以降で名作がないと言っているが、それは、頭で演技して
いるからではないか、と思う。
俳優は、シナリオを最後まで読んでいる。でも夫が捕まった時、子供
が警察で駄々をこねた時、書生が自分のことを好きだと教えられた
時、実際の人生では、すべて予期せぬ出来事だ。でも役者は、本を
読んでいる。だからここではこんな気持ちと自分の中でつくって体
の外へ演技として表出する。名優、名演技、名作の名シーンは、
見事にそこにはじめて体験して台本上の人物があるがままに自然に
存在する瞬間を捉えて観客を魅了する。
吉永小百合の場合、それが頭でわかってから演技しているように
見えてしまう。やさしい母親像、芯の強い妻像、模範的な女性の
理想像。そんなことをいつの間にか吉永さんが背負ってしまって
まじめな人だからそこから外れてはいけないという線が彼女の中に
どこかあるのではないか。人間ってどんな立派な人でも心がぐらつ
くことや乱れることがあるから、人のココロを捉えられるのでは
ないだろうか。
 はじめにそんなことを感じたのは、警察署で面会にきて父に会わ
せてもらえず署長に頭を触られた子供の照べえがその男の手を払い
のけた時に母べえが烈しく照べえを叩いて署長に謝るシーンの吉永
さんの演技を見て、アレ? と思ってからずっと頭で演技している
ことが気になって仕方なかった。ここで夫に不利にならないように
思わず我が子に怒ってしまう。この思わずがそこに感じれなかった。
「キューポラのある街」で演技開眼して、大女優になって再び浦山
桐郎と「夢千代日記ー」に出た時に浦山監督と決裂してしまった
事件があったが、善から逃れられず悪を描けなければ人間を描いた
ことにならないのではないだろうか。
 逆に言うなら、日本の生きる女性の模範を最後まで演じつづけた
女優といえる。戦後の荒廃した世の中で明るく強く理想をもちつづ
ける美しい希望のアイドルは永遠でいてほしいと思っている人たち
もいるのだろうが、映画が映画として成り立つためには、もっと
深いものが日頃の努力から勝ち取って来なければならないと思う。
 シナリオ的に見ると、2点が気になった。
板東三津五郎のドイツ文学者が拘置されて、どのような拘りで釈放
されないのか、映画では支那との戦争という言葉を聖戦と言い換え
るよう検事と対立するシーンがあるが、もっと具体的なものが話の
進み具合と一緒に効果的にあったらよかった。
そしてもうひとつは、書生の浅野忠信と夫のいない母べえの間に
恋愛のカタチが曖昧で逃げているように見えた。
山田洋次得意の「寅さん」的思慕愛というか「無法松」的な人妻に
密かに思いを寄せて決して打ち明けず死んでいく一途な恋慕を
これでもやりたかったのだろう。
ただそれが吉永さんと山田監督の間で一致していたのだろうか。
 今こそ日本が間違ったような戦争を避けるためにもこういう映画は
必要である。戦前の日本人は、どうして戦争してまでも一等国に
なりたかったのか、息子を兵隊にとられて亡くした親が敵を討って
ほしいと思ってますます戦争にのめり込んで同じように敵にも子を
とられた親がいて、無惨な原爆があって、戦争は二度とごめんだと
思うようになる。「母べえ」はひとりの母親とふたりの子供の物語
である。鶴瓶も壇れいもよかった。子役は一生懸命でよかった。
浅野はもっと笑いのツボが明確にできたらよかった。三津五郎は
今までない役でよかった。吉永小百合は、凛として老いてもきれい
でよかった。ただこの合格ラインではなく、100点に近いよかった
がほしい映画だった。
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by stgenya | 2008-01-27 04:00 | 映画・ドラマ
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