潜水服は蝶の夢を見る

d0068430_21353283.jpg

 「潜水服は蝶の夢を見る」」脚本ロナルド・ハーウッド、
監督ジュリアン・シュナーベル。 主演マチュー・アマルリック。
雑誌ELLEの編集長だったジャン=ドミニク・ボビーの実話原作
を元に映画化されて第60回のカンヌ国際映画祭で監督賞を
とった作品。
 この原因不明のロックト・インシンドロームという全身麻痺
の病気があることにびっくりした。何も動かない体で唯一左目
の瞬きだけが世界とつながっている。ただこれをどう映像化する
かである。この映画はこの左目の瞬きを前半主人公の主観だけで
絶望として見せて、この悲劇を受け入れてふたたび世界と
コミュニケーションをとる覚悟ができた地点から後半は、客観
描写にきり変わるという手法でうまくつくっている。
 人が仮死状態で動けない体から回想と空想で物語りを展開し
ていく映画でかつて「ジョニーは戦場へ行った」や「オール・
ザット・ジャズ」などの名作があった。
ではこの域に「潜水服はー」が達しているかといえばそうは
なっていない。それは、何に原因があるのか。思いめぐらす
ところは、シナリオだ。
 「戦場のピアニスト」の脚本家ハーウッドは、片目の瞬き
のYesかNoで読み上げるアルファベットで自伝を書き上げた
という事実に甘んじすぎたのではないだろうか。
極めて映画的なこの奇抜な事実をモチーフとして、これ以上
ないのだから、ほおっと筆を安んじたような気がしてならない。
 この映画の後半の主人公ジャン・ドーの自伝を通してもっと
この人が家族や妻や愛人についてどう思ったのか、あるいは
死というものを目の前にしてどう感じたのかを明確に整理し
てほしかった。あの肉の塊となったジョニーは、青春の真っ
只中で戦場での現実をモノクロとカラーとで明確に見せてくれ
た、またボブ・フォッシーは、妻と愛人と娘と母という女の
間で芸人としての世界への別れを明確に切り取ってくれた。
そこでこの「潜水服ー」では、事実の羅列から大きく
飛躍できなかった。この飛躍こそが脚本家の腕のみせどころ
だったハズなのに・・・
シナリオ構成を見てみると、1瞬きとコミュニケーションの
発見 2出版社筆記の女史と自伝作成 3スピーカーフォンと
妻と愛人の関係 4車椅子と海辺の風景 5発作と死 
この間に90才を超えた孤独な父がいて自分より息子が先に
逝くかもしれないことの深い悲しみ(ベルイマン映画で懐かし
いマックス・フォン・シドーだった)と家族でドライブに出
かけて息子を乗せて走っているときに発作が起きて植物
人間になる過程も描かれる。ただ・・・ 
 ここでジャンは、妻に対してどう思ったのか、愛人に対して
どう感じたのか、自分の歴史として父に何を言えるのか、
死を覚悟して神とは何だったのか、そして極普通の生活者と
してこの潜水服で深海に沈められた気分はどうだったのか
この辺がドラマ的に反応していないから、最後まで見て
烈しく心動かされなかった。
有名雑誌の編集長でモテモテだったジャンは、原作を読んでない
からわからないが、女というタームで切っても掘り下げられた
のではないか。
 看護婦、言語療法士、出版社筆記女史、妻、愛人ときれいな
女ばかりが出てくるわけだから、これらを蝶のイメージと
ダブらせてもっと深く描けるように思える。
原題は「潜水服と蝶」といって夢は、入っていない。
でも蝶の夢として動けない体で唯一できることとして成り立
ったと悔やまれる。
瞬き以外に世界とつながってできることは、想像力と記憶と
劇中でもモノローグとして言っているけれどこの想像力と
記憶は、又映画の醍醐味でも基本でもある。
ここから突破口が開けたハズである。
映像としてキレイにうまくつくっているのにもっと中身を
練れれば傑作になっていた。
現実のジャンは瞬きひとつで書かれることは、限られていた
だろう。そこをもうひとつ飛躍してクライマックスへ飛べた
ら、生き生きとして蝶がスクリーンに幕が下りても舞って
いたかもしれない。
それは、想像力と記憶によって。
[PR]
by stgenya | 2008-02-24 23:47 | 映画・ドラマ
<< マキシム・ムンズクさん、黒澤明... 市川崑「花ひらく眞知子より」(... >>