石内尋常高等小学校 花は散れども

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「石内尋常高等小学校花は散れども」脚本監督新藤兼人。
現役監督96才の新作。制作近代映画協会。
 いや。全編カットつなぎで若々しい。映画の冒険をしていた。
黒澤さんの「まあだだよ」と同じ師弟がテーマでその中に
老いと死を前にした生の有り様がトツトツと語られる。
しかし新藤兼人は、ドラマライターである。
映画監督と職業ライターのふたつのわらじを歩んできた最
古参のめずらしい映画人だ。
だから今度の新作でもドラマとは何かを自覚しながら、随所
に映画的冒険をしている。
長い新藤兼人の映画の「芝居」を書くというキャリアの中で
確かな手法として勝ち取ったドラマの書き方を見事にさらりと
やってのけている。それがさわやかで少しも衰えていない。
では、それは何かというと、人物をカリカチュアするという事。
ドラマライターを極めた達人は、リアルなドラマなどとっくに
卒業してしまった。初期の「心」や「人間」などATG作品や
川島雄三に書いた「しとやかな獣」のように人物を少し大げさ
にカリカチュアすることでドラマの発火点を仕組み、キャラク
ターとストーリーを同じに爆破へと加速させるのである。
これは、演劇的であるがゆえにそのシナリオをくみ取り、肉体化
する演出家と俳優がその力量を試される。
ホントらしさをどんな表現をしたら出せるのか、
ただ登場人物に成りきって「君が好きなんだ」とセリフを言え
ばいいのか、オーバーに言うことでそのセリフの形がころっと
変わって見ている人の心に落ちてくることがある。
これは高等技術だが出来る人がやればドラマになる。
それぞれいろいろな人生を送ったけど定年退職して病気で老年
言葉が不自由になって死んでゆく恩師をかつての生徒がみんな
で見守る、そこには、サスペンスもどんでん返しもない。
初恋の良人とみどりのすれ違いの恋がながれているだけのスト
ーリーである。だからむしろこのカリカチュアをあえて使った
のだろうと思う。どの人物もオーバー気味にセリフを言う。
そしてその心の内で葛藤しているものをぶつける。
それがある時は優しさだったり、思慕だったりする。
柄本明の市川先生の大げさな演技は見事だった。
何よりファーストシーンの三吉の居眠りを叱ってそのわけを
聞いてオレが悪かったと泣いて謝るツカミは、素晴らしく
「花は散れども」というドラマ列車に有無を言わさず乗せら
れてしまった。そして後半先生が脳卒中で倒れて言葉が不自
由になると、今度はカリカチュアしたセリフ回しでないと伝わ
らない仕組みになってしまう。人間出せない声を無理に出すと
きは、最低限必要なことしか言えない。これがドラマライター
の勘と技である。ラスト近く先生は浜辺で良人に質問して蟹は
なぜ横に歩くか」と問いかけ良人に「生きものも人間もみな
それぞれですね」と解答を導き出す。
人生に対する作家の見事な最小の答えである。
大竹しのぶもトヨエツもよかった。柄本以外にこの役は今でき
ないだろう。大杉漣は少し失敗しているように見えたが何より
徳をしたのは、三吉役の六平直政だ。生きていたら殿山泰司が
やった役で居眠りばかりして役所の助役から村長についになる
いい役だ。たぶん近年で六平の一番光った映画になっている。
六平さんが死んだら間違いなく私は代表作にこれを一番にあげ
たい。出世して東京の良人のアパートで六平とトヨエツが鰻を
食べて満足して横になるシーンでビールびんが変な倒れ方をす
る。観客はクスっと笑った。現実にあり得ないゆっくりとした
倒れ方に新藤さんは、セリフだけでなく画面そのものもカリカ
チュアするのだ。出世したって村長。大したことないよな、俺
たちといった意味を付加させている。この実験精神に驚きと若
々しさを感じた。
そしてもうひとつこの映画で驚いたことがある。
それは、クライマックスの浜辺で良人が「結婚してくれ」とみ
どりに頼む件で大竹しのぶのみどりがアップで「断る」と心と
裏腹なことを言う。そのとき大竹しのぶの顔が「乙羽信子」にな
っていた。一瞬目を疑ったが本当だった。
大げさに吐き捨てるセリフ回しが乙羽さんになっていた。
これは監督がそうさせたのか、大竹さんが自分で研究してやった
のかわからないが、こんなことが起きるんだとびっくりした。
新藤さんが自分でよく言っているが、人間年取ると枯れてくる
なんてウソだ。ますます生臭くなっていく。
この96才の新作でそのことをちゃんと証明してみせた。
すごいことだ。
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by stgenya | 2008-10-04 17:53 | 映画・ドラマ
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