懺悔

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「懺悔」監督テンギズ・アブラゼ。1984年グルジア映画。
脚本ナナ・ジャネリゼ、T・アブラゼ、レゾ・クヴェセラワ。
 1991年ソ連邦が崩壊したときのペレストロイカとグラスノスチの
象徴的な映画となった映画。やっと岩波ホールで初上映されている。
ロシアの南部にある小国グルジア映画といえば、「ピロスマニ」を
思い出すが、確かにこの映画も幻想的なシーンなどがあるが民族的
な色彩の映画かと思ったから、第一印象ではベルトリッチの「暗殺
のオペラ」に近いテイストの映画だった。
 25年も前につくられた寓話に満ちた小国の映画が東京で21世紀
になって上映され、当のソ連ももうない。
同国でだって制作されて2年たってから上映される憂き目にあい、
さらに一年たってモスクワで上映され大ヒットした。
スターリン批判を内包した政治的な内容がこれらの紆余曲折の運命
を背負ってしまう要因だったのだろう。
 さて内容は、ある都市で一人の「偉大な」市長が死んだところか
らはじまり、その男ヴァルラムの葬儀では、さまざまな人々が悲し
みの弔辞を述べ立派な墓地に埋葬される。しかし次の日その息子夫
婦の家の庭に埋葬したハズの父が立っている。
発見した妻も夫も慌てて埋め直すが又又庭に掘り返されてしまう。
墓地に見張りをして、孫が銃で撃って一人の女が掘り返していた
のがわかり、裁判にかけられる。
そこでこの女は、その死んだ「偉大な市長」ヴァルラムの悪政に
よって画家だった自分の父親が連行され殺されたことを告発して
いく。時には幻想的なシーンを盛り込み、又まるでミュージカル
オペラ風にその独裁者の迷走執政が繰り広げられる。
当時はまだ公然とスターリンと体制批判が難しくて架空の市長の
話にして、いかに愚かに市民を粛正していったかを寓話という
スタイルでもって多層的な構成のシナリオにした。
あのタルコフスキーはもっとSF映画と父への追憶の映画をつくっ
ただけでパリからモスクワへ戻ることができなかった。
この「懺悔」で特に母と幼い娘が強制労働に出されて帰ってこ
ない父親を探しに行くところがいい。噂では蓄財車庫の貯蓄場
で切り出された材木に囚人が名前を彫り込んでいるというので
その父の名前を泥だらけになりながら探す場面は、胸に迫る。
20世紀に現れて消えていった科学的理想的な政治体制が何を
もたらしたか、粛正された命の数が膨れあがればあがるほど
悲劇は、人のココロの離反につながる。
この映画は、オペラを歌う独裁者ヴアルラムを演じたアフタンデ
ィル・マハラゼの独特の風貌と演技は、滑稽さと悲しみまでも
表現して驚いた。告発や寓意の映画は、演じる俳優によって下手
をすると陳腐なプロパガンダになってしまう。
この映画はどの演者もイキイキとしてスタンダードの画面の中で
何十年たっても生きていた。
そして又このころの映画を観ていて、最近の日本映画と比べて
ドラマの質が違うように感じた。それは、人物がセリフをしゃべ
る際に「対立」という作法がこの20年ぐらい前までは歴然とあっ
たように思う。対立は、葛藤を通して悲喜劇の帰着をもたらす。
ある意味わかりやすい。今のドラマは、「対立」しているように
見えても根本的な対立ではなく、ハッピーエンドを導くための
作法としてしかなく、主人公の中だけの「対立」のような気が
する。これは、心地いいようでなんなく嘘くさい。
それが今の日本映画に蔓延して抜けきらないように思える。
この「懺悔」というグルジア映画は、もう一度ぼくらの映画情況
を見直し思い返して、ドラマとは何かのカウンセリングをしてく
れたようで新年に気持ちを新たにするにはちょうどよかった。
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by stgenya | 2009-01-11 07:53 | 映画・ドラマ
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