チェ・ゲバラ/39歳の別れの手紙

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「チェ・ゲバラ/39歳別れの手紙」製作ワイルド・バンチ他。
 CHE part Twoこれを本来一本にして休憩を入れて
見せないのが商売。なんでつづけてやらないのと思う。
 しかし物理的に出来ない。28歳のパートワンがシネマス
コープ。この39歳のパートツウがビスタサイズ。上映の際
にレンズを変えないといけないようにつくっている。
 前の作品とくらべてさらに淡々としている。
カストロのゲバラの手紙の肉声とニュース映像から変装
してボリビアに入って、ジャングルでゲリラを組織する処
から最後の渓谷で捕まって銃殺されるまでをただただ
ゲバラに即して追ってゆく。
 弦楽器の哀しい調べとともにレクイエムの様相を呈して
いる。再びソダーバーグは、ドキュメントのように撮ってい
る。最後のゲバラが撃たれたときの主観カメラの映像を
観ていて、何年か前にあった米国高校乱射事件の映画
のようなリアル感を覚えた。
 しかしなぜボリビアを目指したのか、チェにとっての革命
とは何だったのか、あの、ボリビアのジャングルの木々に
囲まれた青い空に何を見ていたのか、突き放した描写
ではわからない。死んだときだけ主観になってもその
事件の再現ドラマなっていなくて手法が違うのではないか。
確かに英雄にも敗残者にもせずに描いているところが
いい点ではあると思うが、劇映画なのだからゲバラの
製作者が見ているヘソとしての姿を提示してほしかった。
へえー、そうだったのか、とかこんな理想に生きていた
のか、とかそんなことで失敗したのか、とか・・・・
いろいろあった筈だ。あまりにも客観的すぎた。
 ソダーバーグが記者会見で今この事実とゲバラの
行動を知ってほしいと言っているが、何を知ってほし
いのか。共産革命を武力で意志をついで見直そうと
いうことではないだろう。
 南米に蔓延していた貧困と独裁政権を倒すために
ゲリラ活動をその使命として命を落した一人の革命家
をそのどこまで迫れるか、伝記は難しいがその素顔に
挑んでほしかった。
だってボリビアのゲリラ活動は、隊員の資質も作戦
もあまりにも無謀にしか見えなかったから。
協力を得るべき農民へのゲバラの影響力と描き方が
薄すぎたように思う。病院と学校を建てようという呼び
かけのセリフが重くない。通り一遍等にしか聞こえない。
ゲバラは、なぜボリビアまで来て追い詰められたか。
もっと大きな米国CIAとカストロと世界情勢との関連
があったかもしれない。あるいは、暴力革命はどこか
で限界が見えていたのかもしれない。
最後に撃たれたときチェは何を思ったか。
あの、南米を青年時代オートバイで旅した放浪旅行の
延長線にボリビアがあったのではないか。
長い旅の途中にもしかしたらマッキンゼー山で遭難死
した植村直己のように細心を尽くしていても思わぬシク
ジリを犯してこの世界からグッドバイしてしまったのでは
ないかと映画のエンドロールで思いをめぐらしたりした。
ゲバラサイドだけの構成でなく、対する南米の独裁政
権下での凄まじい貧困が盛り込まれないと今の人びと
には伝わらないのではないだろうか。
やっぱり劇場に観に来る映画だもの。しかも金払って。
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by stgenya | 2009-02-04 15:42 | 映画・ドラマ
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