2010年 06月 30日 ( 1 )

美術監督・中村公彦氏を見舞う。

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美術監督中村公彦さんのお見舞いに月曜日に行く。
もうほとんど会話はできない危険な状態になっている。
94才。日本映画美術界の重鎮の一人だった。
 かつての新宿ムーランルージュの舞台美術から出発して映画美術へ
進まれた方だった。また名監督の名作を担当した珍しい美術監督でもあった。
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 最初に松竹で助手でついた小津安二郎の「麦秋」
 一年で美監となり木下恵介の「女の園」「二十四の瞳」
 そして日活に移って川島雄三の「洲崎パラダイス」「幕末太陽伝」など
 今村昌平の「豚と軍艦」「にっぽん昆虫記」など
 井上梅次の「嵐を呼ぶ男」他。
中村公彦さんは、美術学校を出た人ではなく戦前早稲田大を出て三菱重工で
サラリーマンをしていて戦後偶然の出会いから絵心があるというだけでムー
ランの舞台美術へ入った。
 ちょうど今私は、その軽演劇の芝居小屋「ムーランルージュ新宿座」の
ドキュメントを作ろうとして中村先生の取材をはじめたばかりの時に病床へ
伏せられた。もっと早くお話を伺えばよかったと反省している。
しかも先生の映画界へ入られて関わった作品作家がみんな私の好きなもの
ばかりでそちらも聞きたかった。
 いま家族とかつての美術部の助手である土屋伊豆夫氏、三輪敏雄氏らの
お弟子さんたちに見守られて救世軍ブース病院にいられる。
人の最期は、孤独なものだが師と弟子の姿をみているとすばらしいものだ
と思う。先生は病床でその弟子に「ムーラン」と一言声を発した。
「ムーランの資料は弟子にまかした」という意味だった。
先生にとって「新宿ムーランルージュ」は青春だったのでしょう。
なんとか持ち直して貰いたいものですが・・・
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by stgenya | 2010-06-30 04:47 | 人物インタビュー