カテゴリ:映画・ドラマ( 161 )

東京家族と故郷

d0068430_10165894.jpg

「東京家族」脚本山田洋次、平松恵美子、監督山田洋次
 名作小津安二郎の「東京物語」のリメイク。
山田洋次が晩年の黒澤明宅へ遊びに行ったら黒澤さんが
小津の「東京物語」を熱心に観ていたとインタビーに答えて
いたが、その本人の山田さんがリメイクしたのだから、この
小津のマジックは、強大なものだと言わざるを得ない。
 松竹に入社したての山田洋次ら若い助監督たちは、大船の
小津の映画をバカにしていたという。黒澤映画の「酔いどれ天使」
のようなリアルな映画を撮りたいと思っていた。
その当の黒澤さんが小津を晩年勉強していたのに驚いたという。
 いい映画というのは、廻り回って人生の本箱に帰ってくる。
今回の「東京家族」は、多摩川や代々木上原に設定は変えている
が役名や大筋は、原作に忠実に従っている。
それこそ前半は、カメラアングルさえもまねしていたくらいだ。
ただ新しく変えたのは、妻夫木と蒼井ゆうの役と設定だった。
ああ。そうか。この若い舞台美術で働く妻夫木と近くの本屋で
働いてる蒼井とのカップルをサブストーリーとして描きたかったのか。
と思うと、なぜ山田洋次は余りにも有名な映画をリメイクしたかった
のかがわかった気がした。
 つまりこれは、偉大なシリーズ映画「男はつらいよ」の構図と
一緒なのだ。寅さん映画という動かし難い原作をつくりつづける
ためには、その中に甥っ子の吉岡君と後藤久美子のカップルを
映画の中心にして作ったりしてきた。
小津安二郎という定番に自分の現代を切り取る映画的モチーフを
しっかりちゃっかり入れて新しい映画にしたかったのではないか。
同期入社の大島渚と違って、長年大船に残ってプログラム・
ピクチャーをやらされて育った山田洋次としたら、これは、小津さん
へのオマージュと一緒に現代の日本を象徴する若いフリーターの
恋物語を描くことができると思った時にこの企画が立ったように
思う。
 ではこの違いは、どうか。原節子の戦争未亡人のラストのセリフ
「わたし、ズルいんです。」というあの有名な人生の機微であり残酷
なセリフと演出には、やはり蒼井のセリフは敵わない。
それは、現代とはいえ仕方ないことでもある。
しかしそれにしてもさすがベテラン、最後まできっちり見せてくれる。
橋爪功も吉行和子も西村も中島朋子もよかった。
確かに菅原文太だとあの、ガニ股の橋爪さんの「そうか、そんなか」
という軽い感じは出なかっただろう。
 よくよく考えると生涯家族を持たなかった小津さんが「家族」を
描きつづけ、また幼少年期を満州で育って日本という故郷を持た
なかった山田洋次が、「ふるさと・日本」を描きつづけたことは、
とても不思議な感じがする。
作家は、ないものに恋がれるのだろうか。
 有楽町で二週目の夕方で70人ぐらいの入りだった。
それもほとんどが高齢者だった。でもそれぞれ観終わった後、
満足そうに帰って行った。
[PR]
by stgenya | 2013-02-01 11:14 | 映画・ドラマ

人生の特等席

d0068430_304515.jpg

「人生の特等席」Trouble with the curve 制作マルパソ・プロ
監督ロバート・ロレンツォ、脚本ランディ・ブラウン
主演クリント・イーストウッド、エイミー・アダムス
 クリントの監督作ではないけど、今までのクリント・イースト
ウッド色の継承作。だから「グラン・トリノ」を観てよかった
人には、そう外れない仕上がり。
目も見えなくなった野球の老スカウトマンの話である。
まず日本語のタイトルがうまくつけたなと思う。
特等席ってそう座れない。
ましてや人生で特等席に座れるチャンスってなかなかない。
しかもよく考えれば特等席で野球を観るということは、
野球の選手じゃないということ。
あくまで傍観者だ。華やかなベースボール・プレーヤーに
なれなかった人。観客席でも地方の高校野球のネット裏。
ビジネスホテルを渡り歩く生活。
そんな男が、妻を失い、ひとり娘を6才にして親戚や孤児院に
預けて裏街道のスカウトマンの地方周りの人生を送る。
しかし娘は弁護士として大人になる。
 この特異な父娘の関係を静かに、オーソドックスにそして
娯楽の色逃がさずに映画にした。
これは、けっこう簡単なように見えてそう簡単に出来ない。
映画が二本立ての頃は、こういう映画は時々日本でもあった。
華やかではないが見終わった後なんとなく心にA面よりB面
の方が残ったというもの。
俳優がクリント・Eだからまた見せる。その枯れに枯れた
演技に娘のエイミー・アダムスもよく体当たりしてまず
最後まで見せる。頑固で決して曲げない、しかも過去に
抜き差しならないキズを抱えて孤独に生きている男を見事に
今回も貫いて演じてみせるクリント・イーストウッド。
 この映画の良さは、脚本にある。教科書的なシナリオだが
セリフにも構成にも神経を使って書き込まれている。
ネタばれになるから言えないが、娘が有能な弁護士で出世の
かかった仕事をしているという設定と疎遠な父親が老齢で
目が悪くなり生涯つづけてきた仕事を失うかもしれないと
いう設定で娘を父親の最後になるかもしれない仕事に付き
添わせるという発想が話の妙である。
ピザ屋の豪速球の少年や元野球選手で怪我でスカウト
マンになったクリントの後輩の配置の仕方など手垢が
ついた手法だがキチンとやっている。
実験作をやるのでなければ、今年の邦画のシナリオは、
ここも作っていないものが多すぎる。ご都合な脚本になら
ないためには俳優の領分をセオリーの枠に設けているか
どうか。クサいがその展開でそのセリフをうまく俳優が
ノレて言えるものかどうか。ここが分かれ目だ。
 このランディ・ブラウン脚本とロバート・ロレンツォ
演出はそこに神経をつかってこの映画をつくっている。
それを制作者として俳優としてクリント・Eが
かなりアドバイスしているのではないだろうか。
それは、また長年クリントの映画の助監督を努めて
来た若いR・ロレンツォにクリント・イーストウッドが
与えた初監督という特等席ではなかったかと思う。
丸の内ピカデリー、二週目の土曜の昼で六割の客。
圧倒的に高齢者だったが、みんな満足そうに有楽町
のレストラン街へ見終わって足を運んでいった。
[PR]
by stgenya | 2012-12-10 03:56 | 映画・ドラマ

桐島、部活やめるってよ

d0068430_11292458.jpg

「桐島、部活やめるってよ」監督吉田大八、脚本喜安浩平、吉田大八
原作朝井リョウ、制作日テレアックスオン、配給ショウゲート。
 渋谷東急の昼で七割方の入り。圧倒的に若い男女が多かった。
久々に映画館で満足感のある映画を見たという気がした。
これは、平成の青春映画の傑作ではないかと感心した。
吉田監督は、その前の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」や
「パーマネント野ばら」で面白い演出をする人だなあと思っていた
のでこの新作は見たかった。
 高校生の五日間の学校を描いて、そのシナリオ構成と
人物引き出しが新鮮で思春期の揺れとリアルな空気をカメラ
につなぎとめることに見事に成功している。
 まず映画が始まって、メインタイトルがいつまでも出てこない。
そして最初の「金曜日」というタイトルが出て、
ホームルームから放課後へバレー部の花形・桐島を待つ
モデル並みの女子梨沙。
で又「金曜日」のタイトルで同じホームルームになる。
今度は帰宅部でイケメンの宏樹と友達、バトミントン部
のかすみと視点を変えて同じ時間を描写する。
つまり金曜日の放課後が四回もある。
運動部、文化部、帰宅部とそれぞれをスター桐島がいない
ということで変化していく生徒たちを初めの四パターン
で紹介していく。
パラレル構成であるがこれが適用されるのは、
この金曜と最後の火曜だけである。
そして文化部の映画部の前田たち(神木隆之介)は、
実は桐島とは直接関わっていない。毎回撮影しよう
とすると桐島を待つ宏樹を見たい吹奏楽部の部長
沢島亜矢(大後寿々花)と場所のとり合いでもめる。
もっともダサイ奴らということで描かれるが、
実はこの前田らがファーストシーンからラストまで
この物語の柱となっている。
とくに映画を観られた方は、ラストの屋上のゾンビ
映画撮影と桐島がいるとの情報で駆けつける運動部、
帰宅部、サポーター女子らの乱闘は、極めて映画的
である思ったことだろう。
そして何よりもラストのダサイ前田とイケメン帰宅部
の宏樹とのやりとりはいままでシナリオが積み重ねて
きたテーマが一気に噴き出す。
ここでやられたと思う。
体力もあり、女にも持てる、桐島パート2のような宏樹に
とって高校生活はなんだったのか、ここでダサイが世界
と映画をつくることでつながっている前田のことが
羨ましくもあったのではないだろうか。
 このシナリオを描いた喜安氏は、劇作家だということ
だから出来るだけリアルな高校生のセリフをうまく使い、
その群像劇を巧みな構成で仕上げた。
監督との本づくりに一年かかったというからこれも納得できる。
70年代の東陽一の「サード」、80年代の中原俊一の
「桜の園」などに匹敵するすばらしい青春映画になっていると思う。
 またアメリカ映画に置き換えればルーカスの「アメリカン
・グラフィティ」に通じる可笑しくて悲しいチキンたちの
記録映画と言えなくもない。
そして最後の最後でメインタイトルが出る。
「桐島、部活やめるってよ」
青春は、無様で滑稽で美しく残酷である。
誰もが味わい、通過していく命の発芽。
大スターは出ていないが、久々の清々しい映画である。
是非観て貰いたい。
観たあなたにとってラストの宏樹の涙は、どう映るか。
それを感じることができた人は、青春の傷痕が心の片隅に
微かにでも残っていると言えるでしょう。
 
[PR]
by stgenya | 2012-09-03 14:20 | 映画・ドラマ

ル・アーブルの靴みがき

d0068430_1528417.jpg

「ル・アーブルの靴みがき」監督アキ・カウリスマキ、フィンランド仏独合作。
出演アンドレ・ウィルム、かティ・オウティネン、ジャン=ピエール・ダルッサン
 小津安二郎を敬愛するアキ・カウリマスキ監督最新作。
フランスの港町ル・アーブルを舞台に「長屋紳士録」をアフリカ移民の子に
置き換えたような人情喜劇。
 もちろんようなで、本人の意図はわからないが町のいろんな人々が
たまたま靴みがきのマルセルが出会った密航の子イングリッサを匿い
目的地のイギリスへ逃がそうとする。警察は当然それを突き止めて
捕まえようとする。そしてその結末は・・・・と楽しい映画になっている。
 スタティックで静的な画面とカット割りですすむアキ・カウリスマキ映画
はまるでシーンがNHKの語学講座のスキットみたいに思えてくる。
間違うと観ながら、マルセルと妻の会話を復唱しそうになる。
このスタイルに慣れると小津の会話テンポのように観ていて心地よくなる。
 とくに今回の話が寓話の色合いが強いので身をまかせて眺める手が
一番いい。途中資金稼ぎにおじさんロックコンサートを開いたり、余命
宣告された妻の病気に奇跡が起こったりすることに目くじら立てないこと。
身をまかせていれば、それらも当たり前のような気がしてくる。
アキ映画は、それでいいのだ。
 それと今回の映画でこだわって、いい小道具として使っているのがタバコ。
マルセルも妻もバーのマダムも雑貨店のママも刑事もみんなタバコに火を
つけ、吸いながら話をすすめている。
禁煙ブームのいま貴重な映画だ。とくに事件が展開してゆく時は、タバコに
火がついている。そして意図的かどうか、少年と匿うマルセルが
追いつめられるクライマックスで刑事はタバコに火を点けない。
さて哀れシガない靴みがき夫婦の運命やいかに・・・
と後にも先にもタバコの火はここだけ点かない。
偶然にしてはできすぎである。
「真夜中の虹」から観続けているアキ・カウリスマキ映画にはずれがない。
美人が出てこずとぼけて可笑しくて悲しくてたのしい。
渋谷のユーロスペースで八割方の客入りでみんな満足そうに劇場を
出ていった。いい監督だね。
絵画にナイーブ派というのがあるがアキさん映画はそれに該当するように思う。
日本だと野心のない森田芳光と言ったところか・・・
[PR]
by stgenya | 2012-05-23 16:09 | 映画・ドラマ

アーティスト

d0068430_4371529.jpg

ARTIST監督ミシェル・アザナヴィシウス、制作トーマス・ラングマン
 渋谷で日曜の朝一番で50人の観客と観る。
キレイな絵。キレイな立ち振る舞い。キレイな音楽。
そして無駄の無いカッティング。モノクロ無声映画。1920年代の時代劇。
 1927年から始まり1930年代へと物語が綴られる。
ちょうどそれは、無声映画からトーキーへ映画が変わった時代であり、
世界恐慌の世の中でもあった。チャップリンの「街の灯」が発表された
時代でもあった。
 何よりジャン・デュジャルダンというバレンチノやフェアバンクスを
思わせる俳優の大人の表現力にこの映画は支えられている。
こんな役者がいたんだと驚く。ヒロインのペレニス・ベジョも好演して
いるがもう少し美人だったらよかったと思った。
監督の女房らしいので小さい声で言った方がいいのだろうが・・・
 物語は、大スターのジョージ(デュジャルダン)が素人の女の子と出会い
メークのアドバイスをして共演し、さらにトーキー映画ではこのペレニス
が女優として成長して行く。逆にジョージの方は、無声活劇にこだわり
凋落してゆく。このふたりの恋心も上り下がりしてあっという間のラスト
へ。ふたりを救う足さばき。見終わって暑い息吹を感じる映画である。
主人公ジョージの運命が転換するシークェンスでよく階段が出て来る。
声のない映画を立体的に見せるなかなか象徴的な発想だ。
それからこの映画を観ていて痛感させられたのは、俳優という存在の
重要度。眉の動きひとつ、視線の移動のひとつ、指や足の運びひとつ・・
どれをとっても俳優の表現力に映画というのは、支えられていることが
わかる。デュジャルダンのそれは、パーフェクトだった。
まるで教科書のような演技プラン。無声映画を退屈させない力を感じた。
1時間41分無声映画(ラストで声が一カ所出る)なのにまったく飽きさせない。
犬の使い方もコメディー・タッチでうまく作品にハマっている。
映画がかつて持っていた粋で勇壮で前向きさ加減がこの映画の芯に
なっている。
 ラジオの映画評でこの映画で寝ていた人がいたと言っていたが、
そんな奴は、映画評を語る資格がないと思う。
こんな愉快で心温まる無声映画で寝るようでは、よっぽど心が病んでいる
のではないだろうか。
ぜひこの映画はもっと観られるべき作品であるので劇場へ足を運ばれたし。
3D華やかなシネコン時代に一服の清涼剤になること間違いなし。
[PR]
by stgenya | 2012-04-16 05:22 | 映画・ドラマ

ヒューゴの不思議な発明

'HUGO'ヒューゴの不思議な発明
d0068430_6193085.jpg

 原作B・セルジュニック脚本ジョン・ローガン監督マーティン・スコセッシ
出演エイサ・バターフィールド、クロエ・C・モレッツ、ベン・キングズレー
製作GKフィルムズ、インフイニタム・ニヒル。出資にジョニー・デップ
 1930年のパリ。リヨン駅から始る映画と父と子のつながりの物語。
スコセッシがはじめて3Dに試みた映画愛に満ちた正攻法のドラマになっている。
ターミナル駅という巨大な人間の現実世界の裏側でせっせと時計の
調整を一人でやっている孤児ヒューゴの心の支えは、亡き父の残した
機械人形を完成させること。これが物語の柱になっている。
そしてヒューゴの屋根裏部屋の散歩者のように覗き見る駅で働く人たち
の生態素描が設定として面白い。しかしこの駅の表舞台に姿を表す時は、
泥棒小僧。毎日のパンを盗み、店の商品も失敬する。そんな表との接触で
おもちゃ売店のおじさんと少女イザベルに遭遇する。
そしてここから父の残した機械人形のノートとおもちゃ店のおじさんとの
やり取りから映画初期に活躍したジョルジュ・メリエスがその売店の
おじさんだったという帰結に向かう。
 高校生の時に読んだ岩波新書の「映画藝術」などに書かれていたメリエス
や最初のリュミエール兄弟の「列車の到着」や「工場の入口」などが
出て来てとても懐かしかった。
その映画史とその時代に世界ではじめてSFXを考案した映画人・メリエス。
そしてそんなメリエスが没落して晩年は、リヨン駅の売店で働いたなんて
驚きだった。スコセッシがメリエスへの敬意をささげる姿勢に関心。
その映画狂たるスコセッシの作戦は、ファーストシーンから組まれている。
ヒューゴが時計部屋から覗く駅の活写は、無声映画になっている。
つまり売店のおじさんとイザベルの会話の声は、当然聞こえない。そして
次に鉄道保安官とヒューゴの追っかけは、無声映画の定番。しかも
これは、私見だがこの背の高い保安官サシャ・バロン・コーエンの姿
が戦前のルノワールなどのフランス映画の常連のガストン・モドに似せ
ているように思った。懐かしい愛すべき怪優ー。(偶々かもしれないが)
 ただ3Dは、心理描写に向かないといわれるがここでも孤児の淋しさ
や売店主のおじさんパパジョルジュの苦渋などの表現では、気がちって
脚本構成の組方のズレと相まって少し難しい気がした。
つまり映画研究者がラストに出て来てヒューゴの心の拠り所だった
機械人形の秘密がメリエスの愉快な短編作品群に結びつけてくれるが
ここの部分にヒューゴの父親がそのメリエスの「月世界旅行」に
どれだけの愛情や情熱があったかを語られていれば、ヒューゴの目で
はじまるこの物語の感動がもっと深まったと思ってもったいない。
それからCGの欠点がこの映画でも現れた。群衆カットにそれが顕著。
列車に轢かれそうになって助かるシーンや駅構内で保安官にヒューゴ
が捕まるカットでも周りの群衆の反応が切迫感がないのだ。
大俯瞰から降りて来るカットや長い長回しでもCGだと緊張感が抜けて
いる。それはブリットのカーチェイスと同じ現象だと言える。
しかしそれにしてもちょうどこのころ日本では、目玉の松ちゃんや中山呑海、
伊藤大輔などが京都大将軍で活躍していた。
にっぽん版ヒューゴがあってもおかしくない。
映画への愛、先人への敬意がなさ過ぎるのがいまの平成にっぽんの
情況である。
まあ、シネコンで満員御礼は、スコセッシ教授にはまずは良かった。
[PR]
by stgenya | 2012-03-12 06:19 | 映画・ドラマ

ALWAYS三丁目の夕日'64

d0068430_14492772.png

「ALWAYS三丁目の夕日'64」脚本古沢良太、山崎貴、原作西岸良平、
監督山崎貴。製作ロボット。企画阿部秀司事務所。
 渋谷TOHOの二週目の平日で満席。宣伝が行き届いて各世代層の観客。
みんな押し並べて反応がよかった。隣にいたオバサンは、ロクちゃんの
結婚話で堤真一が「うちの工場へ来たときは、こんなほっぺた真っ赤でよ」
というセリフを言いだす当たりでガサゴソ鞄からハンケチを出して
おいおい泣く始末。
作り手からしたら、現場の苦労が吹っ飛ぶ僥倖の瞬間である。
 8年前の第一作からシリーズ3作目にしてやっといい形になった
ように思う。
監督も出演者もいい作品にめぐりあえる幸運は、なかなかあるもの
ではない。
今回は、明らかに俳優陣が成長して作品世界を引っ張って行った。
特に堤真一と堀北真希とが1作目より数段よくなっていた。
そして面白い発見は、吉岡君が「寅さん」で肌身で吸収した喜劇
のコツを体現していたことだった。本作の柱は、茶川と淳之介と
ロクちゃんと恋人森山未来との2本柱。そのなかでも吉岡君の
やった茶川の役は難しい。
ある意味嫌な奴。まともにやったら、ついて行けない。
義理の息子淳之介との葛藤は、そのまま作家としてのライバル関係。
それを喜劇的に人物構築することによって物語の奥深いところへ導く。
渥美清ほどはできなくても吉岡君は明らかにそのことを自覚して
発声の仕方や目線の移動を計算して茶川に丸みをつけている。
この強弱の付け方の努力が実っている。1作目よりうまくやっている。
高い声をどのセリフで出してるか注意して観られたらいいと思う。
でも原作信奉者からするとこだわり過ぎに見える。
でも山崎監督は、この人物の成長物語をやりたかった気がする。
だからわざわざロクちゃんと東京五輪で終わればいいところ
を茶川と淳之介の別れを入れて次につづく的な終わり方にし
ている。
 特撮をうまく創る山崎監督は、この映画を茶川の成長談
としてつくっている。
前半のロクちゃんのデートする件は、もっと喜劇的なカット
割りやセリフ回しがやれたのにもったいないと思ったが監督
は別に喜劇をやっているわけではないのだから、
余所から文句言っても仕方ない。
ただそれが成功するかどうかは4作目にかかっているように思う。
それから盛り上がるロクちゃんの結婚式でロクちゃんの本物
の親の扱いが省かれすぎてたのもシナリオ的に解せなかった。
 しかしデフレで失われた20年を生きる日本で元気のあった
昭和30年代をモチーフにうまく成功した映画の例と言える。
シリーズは三本目がカギ。2匹目は行けてもだいたい3作目
でつぶれる。今回の'64でそれはクリアできた。
これから昭和40年代の4作目に突入する。
「夜明けのスキャット」とGSと三島自決の時代だ。
作品としての価値は、ここからが黄金のシリーズ映画に
なるかの試金石だろう。
そしてそれは、山崎貴監督にとっても自分との慾との
戦いでもある。
かつて山田洋次が松竹のラインナップに乗りながら、
「家族」をつくりたかったように。
シネコンが全盛のこの時代、ヒットすることと作品質
をあげることの難しさ。
とりあえずいいスタートがきれたことを祝福する。
[PR]
by stgenya | 2012-02-03 16:08 | 映画・ドラマ

すてきな金縛りとすてきな隠し撮り

d0068430_4443693.jpg

三谷幸喜の映画「すてきな金縛り」を満員の六本木のシネコンで観る。
脚本・監督三谷幸喜。美術種田陽平、音楽荻野清子。
 前作の「マジック・アワー」がすこぶる面白かったので過度の期待
をして観たので少し批評が辛くなってしまった。
たとえばラストの草薙エピソードは、蛇足だったように思うし、落武者
の幽霊がストーリーの帰結に絡まなかったのが感情の置き所に肩すかし
されたように思った。まあ、それらは、いろいろ観てもらった方が
いいし、結構楽しんで観ている人が観客にいたので娯楽映画はそれで
いいと思う。何よりも今オリジナルでコメディー映画を撮り、客を
呼べるのは、この三谷監督しかいない現状なのでなんとかがんばって
貰いたい。
 さて今回この劇場版とテレビの「すてきな隠し撮り」を観て思った
ことを書いておこうと思う。どちらもキャストとスタッフは同じで別の
ドラマをつくった。だから俳優の力量が如実に出てしまった。
これは、役者はやりがいがあったしお金にもなったが正直その実力
を白日の元になったことは、残酷だっただろう。
いい役者。うまい役者。のってる役者。人気のある役者。
まあ、よかったんじゃないの。といわれる人も微妙に役を理解して
いなかったり、及ばなかった。それはテレビの早づくりだったので
時間がなかったのが不幸だったのかもしれない。
 一例ではとても振り付け師に見えなかった人もいた・・・
ただこの映画とテレビでどちらも力を発揮したのは、やはり西田敏行
だった。長いキャリアから来た役づくりと年齢による役者の顔のよさ
とが一番いいときではないだろうか。
とにかく自然に笑わせてくれる。相手役に対しても上にも下にもなって
あっという間に演じる。渥美清がやっていたことだ。
この人で「釣りバカ」以外のオリジナルの当たり役が世相と脂ののった
監督と組んでできたら、邦画のラインナップは実に明るくなるのにと思う。
そしてもうひとり今回の映画から面白いと思ったのは、深津絵里。
正直わたし好みの女優ではないので「・・金縛り」で深津が可愛いと
言っている人がわからない。ただ「・・隠し撮り」での深津がいい。
彼女は、どうしてこういう型をやぶった演技をしなかったのだろう。
あの「マルサの女」の宮本信子風に男の子ばりに跳んだ演技をして
いる。これは、発見であり面白かった。見直した。
30を過ぎて周りから「可愛さ」を求められ過ぎたのか、自分でその
「可愛さ」にこだわり過ぎたのか・・それは不幸だった。
この三谷監督にあって「・・隠し撮り」のコンシェルジュ役の俳優ヒント
を忘れないで次に行ってほしいと思う。たぶんこのコンシェルジュ役を
やっているときは楽しくてしかたなかったのではないだろうか。
人生も同じだが、俳優も監督も出会いでしかない。
才能は自分ひとりではどうにもならないのがこのショウバイ。
周防正行が新作を小倉で撮っているようで三谷幸喜とこのふたりが
動き出したことを喜びたい。
早く三谷には離婚の傷を癒してほしい。本人しかわからないがこの
ことが「すてきな金縛り」の持久力に多少影響したのかなとゲスの
勘ぐりをしてみたりしたが、映画とテレビと二本撮る発想の爆発が
あった作家の幸せを誰が、何がコントロールしてやればよかったか
難しい問題だ。まあ、再放送かDVDでこのテレビ版と合わせてこの
三谷の新作を観られることをおすすめします。
それは、ちょっと「すてき」かも。
[PR]
by stgenya | 2011-11-22 05:38 | 映画・ドラマ

「ムーランルージュの青春」はじまる。

d0068430_232331.jpg
新宿K's cinemaでの映画公開の初日。
舞台挨拶が行われました。
明日待子さんが北海道から来られて元気に挨拶。
場内は、拍手と驚きの視線で迎えていました。
「ムーランの映画が出来て、本当にうれしいです。」
と明日さん。
d0068430_2323259.jpg








つづいて野末陳平さん。
当代一のムーラン研究家。
「ぼくのムーランの資料がこんな年になって役立って良かった。」
野末さんは、テレビではベテランだが映画出演は初めて。

d0068430_2313755.jpg

公開は、これから四週間はつづきます。
みなさん,是非劇場へ足をお運び下さい。
[PR]
by stgenya | 2011-09-24 02:43 | 映画・ドラマ

コクリコ坂から

d0068430_3255035.jpg

「コクリコ坂から」脚本宮崎駿、監督宮崎吾郎2011年ジブリ作品。
新宿ピカデリーで昼の回。満員。ただ20分前で入れた。
この原作も知らないし、宮崎吾郎の前作も観てない。
しかしこの作品で描かれた時代の学生生活は知っている。
横浜港町と洋館の下宿、学生サークル会館と学生闘争。
1963年。上を向いて歩こう。
自分の世代からしたら一つ上の時代だが懐かしい。
最後まで涙腺がゆるんで仕方なかった。
いい映画である。使い古されているがいい話だ。
主人公少女海のひた向きさが吉永小百合にだぶって昔の日活
青春映画を観ている感覚になる。
夕焼け雲と港の海原がきれいだ。坂道を登ったり降りたり街
の舞台装置がこの男の子と女の子の物語をつつんでいる。
映画館の座席を埋めていた若い人たちは、魔法もなく空も
飛ばないジフリ作品をどう受け止めていたのだろうか。
これは、極論だがこの話は実写でやってもいい。
むしろ海が風間俊を好きになる初恋の微妙な表情はこの絵
では表現しきれていない。実写の俳優だともっと心に迫るの
ではないだろうか。
宮崎駿か高畑さんだったらもっと違ったのだろうか。
印象として吾郎監督は、結構色恋にあっさりしてるなあと思った。
しかしそれにしてもあのような古くて汚い学生サークル館は
私の大学時代もあって、同じような闘争もあった。
青嵐館。床板もやぶれ、壁の落書きも凄まじかった。
しかしそこに屯していた輩には、面白い奴がいっぱいいた。
デカルトとニーチェを語り、授業はエスケープ。
それこそカルチェラタン。
この映画脚本で宮崎駿がメッセージしていた古いものや伝統を
うまく受け継げということと青春はカルチェラタンの中にという
ものは、ストーリーの太い柱になっていた。
人は人と違って、人の中でぶつかり、生きろ。
それが青春だし、本来のにんげんの姿なのだと言っているように
感じた。今こそ日本の古いものを掘り起こすことは必要だ。
その意味でこの「コクリコ坂から」はおすすめの夏映画だ。
[PR]
by stgenya | 2011-07-26 04:11 | 映画・ドラマ