カテゴリ:映画・ドラマ( 161 )

クロッシング

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「クロッシング」脚本イ・ユジン、監督キム・テギュン
出演チャ・インピョ、シン・ミンチョル、ソ・ユンフア他
 2008年韓国映画。配給太秦。
北朝鮮の脱北者の話。二年も日本上映が遅れた。それには
シネカノンの李鳳宇氏が絡んでいたらしい。手付けの10%だけ
金を制作者に渡して上映しないで放置している間にシネカノンが
倒産した。韓国側はどうもわざと上映しなかったと怒っている。
 ゴールデンウィークの最中銀座シネパトスで長蛇の列が出来て
入りきらないぐらい満員の客席だった。
 前評判から悲しすぎる内容で涙がとまらないと言われていて
実際観てみると、思ったより表現が抑えられていてむしろ淡々と
ストーリーが展開してゆく。それは監督の映画の眼力だろうと
思う。だから自然に観れて後々ココロに残る映画になっていた。
 ストーリーは、サッカーの国代表で将軍様から表彰されてテレ
ビを貰ったぐらいのサッカー選手で炭坑夫の父と結核で寝込んで
いる母とをもつ一人っ子のジュニの家庭を通して北朝鮮で生きて
行くことがどれだけ過酷かを物語って、毎日の食べるものがどんど
ん減って行って栄養のない食事で母の結核は深刻になる。
 ある日父は母のために肉をごちそうする。ジュニは喜ぶが、可
愛っていた飼い犬がいないことに気づいて父を非難して泣き出す。
 悲劇はまだ序の口。父は母の病気の薬を手に入れるために中国
へ脱北する。しかし捕まっては逃げてしている間に北で待ってい
る母は死んでしまう。そして子供のジュニは孤児に・・・
果たして親子は再会できるのだろうかという事実を踏まえた筋書
になっている。
 冒頭父と子がサッカーをするときに天気雨が降り、ジュニ
がこの雨が好きだということがラストの重要なカットにかかって
いる。非常に映画的な仕組みを考えたものだ。
この映画が成功しているのは、政治的な題材でありながら告発調
ではなく、ただただ離ればなれになった家族が会いたいというだ
けに徹して描いているというところがポイントだったように思う。
 私としてはいい映画でみんなに観て貰いたい。それで敢て欲を
言うと、父親役のチャ・インピョが格好良過ぎて、もっと北の人
間として父親としての幅が表せたらラストの感動はさらに深まっ
ただろうと思った。子役のシン・ミョンチョルのひた向きで純粋
な瞳にココロ奪われた身としてはそこだけが心残りだった。
まあ、拉致問題が長引く中是非観てもらいたい一品である。
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by stgenya | 2010-05-07 20:32 | 映画・ドラマ

目白三平物語うちの女房(鈴木英夫特集)

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「目白三平物語うちの女房」脚本井手俊郎、監督鈴木英夫
昭和32年東宝、原作中村武志、出演佐野周二、望月優子、団令子
 先週から渋谷のシネマヴェーラではじまった鈴木英夫特集の一
本。当時国鉄マンで作家だった中村武志の人気原作シリーズでこ
の後四年間に筧正典監督らと数本のシリーズが出来た。
 その最初の映画がこの映画「ーうちの女房」(後半のシリーズで
は笠智衆が主演する)。笑いとペーソスのお手本のような映画だ。
 ぜひこの期間中に観てもらえるといいと思う。
子供ふたりのしがないサラリーマンの家庭劇。夫が箱根に一人で
知り合いの旅館へ息抜きに温泉旅行へいく。妻と子供は留守番。
しかし夫は旅館の隣の部屋に自殺志願の青年がいて結局深夜まで
悩みを聞く羽目になり、寝不足で帰宅する。女房は女だって息抜
きほしいわと呟く。女学校の同窓会の報せが来て行こうか迷う。
 そんなとき町内のダンス講習会へ夫三平は誘われて八百屋の娘
とダンスをする。そしてワイシャツに間違って口紅が付いてしまう。
夜帰宅すると妻望月優子は、本当に弾みで付いたかどうか、確か
めるために自分も口紅を塗って三平と踊ってぶつかってみる。
妻の疑いは晴れたけど、私と踊ってと深夜夫婦でダンス。
 この件の望月優子がすばらしい。絶妙の演技をする。ここだけ
でも喜劇をやる人は観ておくべきだ。普段社会派のリアリズムの
演技で知られる望月だが、怖い顔、寂しい顔、うれしい顔、これ
らを絶妙のタイミングで演じる。すると家庭にいる妻の切なさが
際立つ。それが又可笑しくて何回観ても笑ってしまう。
 ストーリーは、この後ダンスを誘った八百屋の娘の縁談話と初
めに出てきた箱根の自殺志願の青年佐原健二とへつながっていき
シナリオの名手井手俊郎さんのエンターテイメントの見本を見せ
てくれる。
 今回観てさらに簡単なシチュエーションだけでこんなにドラマ
をつくれるのかと感心してしまう。今特に邦画の脚本力と監督術
が落ちている中、若手の作家たちもいい勉強と参考になると思う。
限られたセットとシチュエーションをどうすれば面白くするか。
それは取りも直さず人間をいかに面白くみせるかに尽きる。
 そして又この映画を観ていて、働いて家庭をもって、共同体と
のつながりがあって、まじめに生きている日本人という姿の証言
映像を見た思いがした。
 これらは、今だとアニメの「サザエさん」の世界に残っている
幻の日本像だと言える。
 そして鈴木英夫監督というのは、本来サスペンスの名人で「彼
奴を逃がすな」や「殺人容疑者」などの名作がある。このあとも
劇場で再度観てみようと思う。
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by stgenya | 2010-04-25 12:49 | 映画・ドラマ

シャッター・アイランド

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「シャッター・アイランド」脚本レータ・カログリディス
原作デニス・ルヘイン,監督マーティン・スコセッシ、
主演レオナルド・ディカプリオ、M・ラファロ他。
公開初日の3.9億円の初動。順調な出だし。
 ディカプリオとスコセッシの四度のタック。しかも今回は
ミステリー。
まず画調を黒にこだわって、モノクロ映画を意識した調子に
なっている。また音楽が太鼓を重要な使い方して、黒澤映画
か小林正樹の「切腹」のような正調な画面をづくりにしている。
 舞台はボストン湾の孤島。精神刑務所。ここに捜査官が二人
でやって来るところからはじまる。海は荒れて、送り届けた船
の船長は嵐が来るからとすぐに引き返す。
 ここですでに密閉ミステリーの幕開け。そして一緒に上陸す
る相棒がタバコの火移しをディカプリオにする。この場面と迎
えに来た刑務官長の目線と顔をよく覚えておこうと目を見張った。
 なんせラストのどんでん返しがあるというのでそれぞれのカ
ットのつなぎを注意してみると、監督はキューブリック的なト
リック・カットをつないでいた。そして重要になるのが失踪し
た女患者の残したメモ「67番目の囚人」。66人しかいない。
これが最後のオチ。
そしてもうひとつ重要な要素が彼が見る「夢」だ。
 ディカプリオは、妻と子どもを放火で殺された過去があり、
その犯人がこの刑務所にいる。そいつを探して復讐しなければ
ならない。
その過去が夢で出てくる。
またもうひとつの夢が第二次大戦でナチに虐殺されたユダヤ人
たちの場面である。これは大過去だ。ディカプリオ扮する捜査
官の夢? これが違う。ここになぞ解きのヒントがあった。
つまりこのシナリオは、復讐の野心をもって入った捜査官の過
去描写から、いつの間にか別の人物の過去描写にすり替わって
いる。
ここにライターは神経を使い、監督のスコセッシは、この過去
描写を現実の画面に非現実として塗りこませることでなぞを散
りばめようとした。
 さて成功しているか、見た印象ではなかなか苦労しているな
あ、という感想をもった。「シャイニング」や「シックス・セ
ンス」のような鮮やかさはない。むしろ追い詰められた人間の
恐怖を映像的に描写しているのが面白かった。
 さすがスコセッシ教授。映画の引き出しはいくらでもある。
タルコフスキーの「ストーカー」的な水と建物のカットの美し
ささえ取り込んでいる。 そしていよいよなぞ解きのラスト近
く所長とディカプリオのカットバックの会話は正対目線である。
 演技としては、ディカプリオはともかく、ベン・キングズレ
ーとマックス・フォン・シドーの渋い演技には唸ってしまう。
やっぱり世界は役者の層が厚い。
 ただこの映画でひっかかったことがミシェル・ウィリアムズ
の妻が自分の子どもを三人殺すというストーリーポイントなエ
ピソードが出てくるが今の実母のこども虐待死を連日見せられ
ている日本人からすると作者や映画製作者が目論んでいたよう
なショックはなかった。
それはまた日本人としては悲しいことなんだけど。
 正直にいえば大好きなスコセッシの中であまり好みではない
「ケープ・フィア」の類型にこの映画は入る。もちろん「ケー
プ・フィア」より断然いい映画になっていると付け加えておか
ないといけないけど。
まあ、この映画は何回か見返して見ると良さがわかってくるの
かもしれない。
 
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by stgenya | 2010-04-16 17:15 | 映画・ドラマ

ポー川のひかり

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「ポー川のひかり」または「ポー川のほとりで」
なぜふたつの邦題があるのかわからない。ここではひかりにする。
監督・脚本エルマンノ・オルミ、主演マウリッツオ・ミッレノッティ。
ルーラ・ベンダンデヘィ、アミナ・シエド他
撮影ファビオ・オルミ、総指揮エリザベッタ・オルミ、2006年度。
 「木靴の樹」のイタリアの79才の監督作品。
日本公開は去年。晩年の枯れた作品になっている。
はじめのボローニャ大学の図書館で書物がすべて釘を刺している
ミステリアスな導入からポー川に行ってのシークェンスとの落差
でついていけない人もいるかもしれない。
 若き哲学教授が実は犯人で現実逃避でポー川にたどり着く。
そしてここで若い娘や川に住み着いた老人たちとの交流を通して
人生とは、神とは、知識とは、と語っていく。
そしてこの平和な川にも市の管理者から不法に住み着いた人々を
追い出して開発をするという事態になって、みんなからキリスト
と呼ばれたこの哲学教授は助けになろうとするが警察に捕まって
しまう・・
 つまり世界の悲劇は、書物では救えない。神の力は必ずしも
人々に救いを与えない。では人間はどうすればいいのか。
太陽の下で生をしっかりと味わうこと。日々を大切にすること。
実存の川のほとりで煌く生の輝きを信じよう。
そういっているように思えた。
 シナリオの肉付きで力がない。これがルノワールならもっと
川の住民たちの一人一人の顔をはっきりさせ、愛を糸に縦横に
からませるだろう。でもそんな面白くなることはやらない。
75才でこの映画を家族の支えで撮っていることから、余計な
ものはできるだけ外して、川を行く船の上の園遊会のカットが
懐かしいリズムに合わせて何回か出てくる。
ここが監督のポイントだったように見えた。
人生の輝く時間を手にとろう。そしてよく覚えておこう。
川面に跳ねる水のひかりの如く果敢なく消える。
世界は、神も書物もお金もその悲劇から救うことはできない。
これって小津作品の喪失のテーマと似ている。
そういえばメインテーマが「サセレシア」に似ていた。
 この映画でこの川を下る船の園遊会がすごく印象に残って
いて、俳優の顔と演技が日本の今の俳優では出せない風貌を
もっていることを痛感させられた。
作品としては、甘いが人と風景をどう撮るかでは楽しめる。
 
 
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by stgenya | 2010-03-31 19:09 | 映画・ドラマ

鏡ータルコフスキー映画祭2010

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「鏡」'75年モスフィルム制作。'80年日本公開。
 脚本アレクサンドル・ミシャーリン、A・タルコフスキー。
 監督アンドレイ・タルコフスキー
 出演マルガリータ・テレホワ、オレーグ・ヤンコフスキー他
  いま渋谷のイメージフォーラムでタルコフスキーの特集をやっている。
 生涯9本の映画を撮って1986年に亡命先のパリで56才で亡くなった。
ソ連という国でなかったらもっと映画を撮れていたかもしれない。
この20世紀最大の映像詩人であり映画の可能性を最も高めた映画監督の
習作「殺し屋」からがんの闘病を押してつくった最後の「サクリファイス」
まで全作品を特集上映としてやっている。
 今回最も衝撃を上映当時受けた「鏡」を観た。
冒頭どもりの少年が催眠術で治癒するドキュメントからはじまり、有名な
ロシアの田園風景で美しい母がひとりで煙草をすっているところへ行く。
旅人の中年男がやって来て煙草をねだり二人して座った柵が折れて草むら
に倒れる。母は男を追い返す。家ではふたりの幼い子供が待っている。
5歳の長男は、帰って来ない父を待ち続けている。
それはマルガリータ・テレホワの母も同じである。
そして次の場面では新聞工場の場面になる。母は編纂の仕事をしている。
雨の中慌てて深夜の印刷工場へ戻って誤植を心配して調べている。
次ぎにまた子供時代の納屋が火事になったことになり、そして現在の
その少年が成長して大人になり、子供がいて年老いた母が訪ねてくると
いうエピソードに・・・・
 ここまで書いてストーリーがあるようでないのだ。
簡単に言うと父と幼くして別れた少年期をもつ男が同じように家庭が
うまくいかず病気になって疎遠の妻や距離がある老いた母、そして息子
とに囲まれて美しかった過去の記憶を辿り、ソ連という国の歴史や形
を個人の目から浮き彫りにしていくという映画とでもいえばいいのか、
ただ正直この解説でははまりきれない恐ろしく深いイメージに溢れた
極めて美しい映画になっている。
 もうすでに10回ぐらいはこの映画を観ているが、毎回新しい発見が
ある。やはりこの映画が脈絡がなく時に眠くなるのに最も映画的に惹
き付けられるひとつの理由に「俳優の身体性」があるんだと改めて
思った。それはマルガリータ・テレホワの美しい官能的とも言える
カラダにある。雨に濡れ。風に吹かれ、宙を舞い、見つめ悶える。
これらが彼女という女優でなければ、その孤独な美はでなかったの
ではないかと思う。
 そしてこの映画がもっとも映画的表現だ言える紅茶カップの熱で
消えていくテーブルの上の湿気の粒が子供に老いた母が来たのか
どうかという現実と回想と記憶の混ざり合った場面でその表現を
日常で起きる現象を使って表すというイメージの高さ。
これに感心する。お金がなく宝石を売り行く母の回想でベッドから
宙に浮くイメージや天井から水がしたたり落ちるシーンに鳥が飛ぶ
などの映像表現のすばらしさにまして感嘆する湿気の表現。
 タルコフスキーとは何かというと、映画を絵としての構成に何重
にも意味を積み重ねることで物語の展開をすすめることに細心の
努力と才能を発揮した最も重要な監督だと思う。
 それはエイゼイシュタインがモンタージュ論を実践し、オーソン
ウェルズがパンフォーカスでカットの表現を進化させたことなどに
匹敵する業績だったと思う。
それから彼が常にテーマにしていたことがこの「鏡」ではストレ
ート出ている。それは人間が生まれて生きていくために求めてや
まないものへの希求である。
求めて待ちつづけ得られず。でも求めつづけることで生きていく。
そんな人間の根源的な性質を如実に語った映画である。
それは、時に宗教的でもあるがその表現を唯物的な具体現象のみを
カットに塗り込めることでもっと深いものへ掘り下げている。
だから何回観ても飽きずに水に風に火に心煽らされるのだ。
映画誕生百数十年。こんな監督は他にいない。
ぜひ時間があれば、劇場で彼の作品を見て欲しい。
DVDではだめだと思う。それはストーリーだけではなく暗い大画面
で語る映画のしずくだからである。
 本当に天才は早死にするものだ。21世紀のタルコフスキー映画を
是非にも観たかった。残念で仕方ない。
タルコフスキー映画祭2010 in イメージフォーラム

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by stgenya | 2010-03-05 05:52 | 映画・ドラマ

海角7号 君想う、国境の南

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「海角7号 君想う、国境の南」08年ARS フィルムプロ。
脚本・監督魏徳聖(ウェイ・ダーション)。台湾映画。
主演ファン・イーチェン、田中千絵、中孝介、梁文音
 去年末からロングランになっている台湾映画。
シネスウィッチ銀座で二月でもほぼ満席。
年齢層は、若いカップルから高齢者までいて十代〜二十代前半
がいなかった。
 これは、日本だとアルタミラの矢口君とか周防君がやりそうな
試合へ向けたバンドの結成から実演までを描くコメディ映画で
ある。そこにかつての日本統治時代の別れた恋人の手紙のエピソ
ードが入る。
 台湾の田舎町で日本の有名な歌手が来るというので町を代表し
て前座のバンドをやることになって、郵便配達や警官や、酒の
セールスマンなどが急場で集められ紆余曲折があって前座を無事
つとめるというストーリーだが、かなり荒い作りになっていて
肝心の配達先がわからないラブレターの束(終戦で日本に帰って
行った教師から日本人の友子という台湾に残った恋人へ出され
たもの)の話は、完全に裏になって描く割合は思ったより小さい。
 だからこのシノプシスは、はじめバンドを結成する話に後から
日本人の昔のラブレターの話をくっ付けたと疑うほど手紙の話
が小さい。
 では失敗作かというと、なかなかよく出来ていて最後は涙が
とまらないほど感動した。
裏で描いている昔のエピソードがきちっとバンドの演奏の曲と
つながるのだ。これは逆にかなり高度な仕掛けと思ってしまう。
それは、シューベルトの野バラは見たり♬野中のバーラ♪の
唱歌がとても重要な役割をしている。
 はじめに老配達夫がバイクで配達しながらこれを日本語で
歌っている。しかしこの爺さんが怪我して夢破れて帰郷してい
たバンドマンのアガ青年と代わり、又バンドのベースがいなく
てこの老配達夫が台湾三味線の名手で参加するが外され、タン
バリンを嫌々やらされる。
 そして最後の演奏会で練習曲以外にもう一曲となって野バラ
を三味線で爺さんが演奏する。これと日本人の63年前の別れ
た恋人の話が被る。全員で野バラを歌う。
 こういう風に完全にどこの誰でという詳細がなく裏で描いて
そのテーマである「愛の再会」を映画にすることができたもの
というのは、見たことがない。
普通はもっと台湾にいた日本人の女の素性や設定を描くし、
分量も入ってくる。それが遠慮しているほど少ない。
でもラストが感動できる。
このシナリオの作り方は、懐かしい曲とその時代背景との関係
に似ている。ある昔のよく聴いた曲を久々に聴いて、その当時
の思い出や時代が蘇ることがある。
この「海角7号ー」は、それなのだ。
そういう意味で言うと変わったつくりの映画だ。
映画の構成は、ある目標へ向かって進んでいく。それが表向き
みんなが一つの目標へ実際に進んでいくものもあれば、主人公
の内面だけで何かへ収束するために進んでいくものもある。
バンドをつくって無事演奏するという目標。
バンドのリーダーの男アガと日本人のアシスタントの女との
喧嘩して最後に愛し合うという目標。
かつての日本人の教師が書いたラブレターを60年過ぎて相手
の女に届けるという目標。
この三つがシューベルトの「野バラ」でつながる。
これは映画でしか出来ない方法だ。
もしこれを日本の会社がやろうとするとすぐに日本人教師と
恋人の話や設定をコテコテにはめ込もうとするだろう。
又アガや日本アシスタントの田中千絵のセリフをアザトく
使ってなぜかつての日本人の恋人たちは別れたのかとか
言うだろう。するとあっ言う間にお安い映画になってしまう。
それを意図したのかわからないが「野バラ」だけで説明せず
バラバラのままカットをつなげて、そのエピソードも時代背景
も抽出して観客に感動を与える。
これはゴテゴテした邦画のお安い作りの映画群は見習わなくち
ゃならない。
長編第一作だというがこのウェイ・ダーション監督は映画の
ツボを知っている次が楽しみ監督である。
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by stgenya | 2010-02-20 18:55 | 映画・ドラマ

井上梅次、死去。86才。

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2月11日映画監督井上梅次が脳出血で死す。
新東宝からはじまり、日活、東宝、そしてテレビの
「江戸川乱歩シリーズ」。はたまた香港映画と活躍。
プログラム・ピクチャーの名手だった。
一般には「嵐を呼ぶ男」の監督として有名だがぼくにとっては
日活初のカラー映画「緑はるかに」(浅丘ルリ子の子役デビュー)
となんと言っても「嵐を呼ぶ楽団」を名画座で見てファンに
なった。
高島忠夫と宝田明主演のミュージカル・コメディがしっとりと
した青春映画になっていた。
日劇ミュージックホールを使った音楽映画が得意だった。
娯楽映画とは、こんなたのしい気分にさせてくれるものなんだ
と思わせてくれる人でした。
冥福を祈ります。
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by stgenya | 2010-02-18 06:47 | 映画・ドラマ

おとうと

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「おとうと」脚本山田洋次、平松恵美子、監督山田洋次。
 「学校」以来の13年ぶりの現代劇。
渋谷のシネパレスの夕方の回で30人の観客。
高齢者が多かった。劇場としては苦しいのでは。
 映画はかつて昭和35年の市川昆監督「おとうと」(岸恵子主演)
のリメーク。なぜこれをやりたかったのか、鶴瓶と吉永小百合で
「寅さん」の逆バージョンができると思ったのではないか。
幸田文原作の設定を少し変えている。前作ではおとうとは学生で
継母で育った姉に迷惑をかけて病死する。
 姉を未亡人にして一人娘の蒼井優がいることにしてこの結婚
から話をはじめて、語りも蒼井がやり、語り部になっている。
今回の山田版「おとうと」は、前半の寅さんばりのコメディは
あるものの、後半にホスピス施設のシークウェンスへかかる運び
からして「故郷」「同胞」「学校」の社会派ドラマの部類に入る。
 正直鶴瓶のおとうとの前半の結婚式をぶち壊す破天荒ぶりと
ラストに向かう悲劇との琴線がどうもつながりにくかった。
なぜか。岸恵子と川口浩の姉弟には強い絆があったが、吉永と
鶴瓶には何があるのか。この二人を結んでいる幼い日の糸という
ものが設定として(書かなくてもいい)きちんと決まっていない。
鍋焼きうどんを最後に食べるエピソード。
あるいは、なぜ「ドサ巡りの役者」になったのか、
鶴瓶の人を憎めない良さとは何か、寅さんのように不幸な人を
無償で喜ばす天使のような才があるのか、
姉の初めての子供の名づけ親になったことで姉に何か人生で
救われたことがあったのか、
などなど前半から中盤へかけてのおとうとの迷惑ぶりは、単に
迷惑で理知的な吉永がおとうとの女に対する借金を払ってやる
だけの心の流れがのみ込めない。
ここがああ、それがあるからそこまでやってしまうのかと後で
もいいから納得できればいいのだが、それが曖昧だからラスト
の感動が薄い。愛すべきおとうとよ。愛すべき人よ。
心弱き者よ。無名で無賃でさびしく逝く人生でおまえは決して
ひとりではなかった。なぜそんなにさびしかったのか。
でもこの世で唯一の姉だけがおまえを看取ったよ。
市川版はこうなっていて、岸恵子の悪辣ぶりもよかった。
山田洋次は、設定を変えても姉弟の関係がどうだったかを
深く書くより、無賃労働者の最後の面倒を看るホスピスの活動
に興味があったように思えてならない。
時代はどうあるか、人間の生き方に何が問われているか、
そして今の人間に変わらないものがあるとすれば何か。
現代劇は、何をやっても底辺でそれが必要になってくる。
久しぶりの現代劇で山田洋次は何を取っ掛かりに「おとうと」
をやりたかったのか、いまいちわかりにくかった。
 やはり鶴瓶の「坂田三吉」がもっと面白ければよかったと
思うし、ああ、この人は最後までこれだったのかと納得できる
寅さんの啖呵売の力があればよかったのにと悔む。
しかし娘役の蒼井はよかった。蒼井優は相変わらずいい女優だ。
どうして普通の顔なのに芝居をすると生き生きとその世界に
生きているのだろう。本当にすばらしい。
 最後に木下恵介の晩年の作品(息子よー)のようにドラマ
の密度が希薄になっていくのに今回似ているように勝手に
思ってしまった。
 見終わって劇場を出てゆく時ちょうどラサール石井さんが
後ろを歩いて行きながら「淡々とした映画だ」とため息まじり
に呟いていた。自分が出ている映画なのに・・・
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by stgenya | 2010-02-08 14:29 | 映画・ドラマ

イングロリアス・バスターズ


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「イングロリアス・バスターズ」脚本・監督C・タランティーノ。
彼の興行成績の中でトップになったらしい。
しかし米国ほど日本では熱狂的なロングランにはならなかった。
 まず長い上映時間で俳優の演技と物語構成の運びとが緊張感が
あって、いままでのタランティーノ作品に見られない重量感が
あった。これは、ある意味B級アウトロー映画大好きの彼の中で
行き着いた到達点であるのではないかと思った。
 悪を悪らしく描く。フィルムノワールとしてのピカレスク。
彼の持ち味であるグロ(エログロのエロは彼は淡泊で薄い)を素材
にしながら復讐劇を第二次大戦という時代劇として描いた。
一人のユダヤ人の女の子ジョシュナがドイツ人ランダ大佐のSS
から逃れてアメリカのブラッド・ピット扮するレインのドイツ・
ハンター軍団の力もあって、成長してフランスで映画館の館主
となった彼女・ショシュナがヒットラーたちを迎えての映画会で
復讐を成し遂げるという話で時間の制約でカットしているため
に随分荒いところもあるが最後まで見せきる。
 面白くなかったら、金を返すという日本の興行宣伝にはかな
っていた。又ジョシュナ演じるメラニー・ロマンが昔のドヌーブの
ように美しく、ドイツ人大佐ランダの役のクリストフ・ヴァルツ
の演技がすばらしい。はっきり言ってブラット・ピットがかす
んでいた。この寺島進似のオーストリア出身の俳優は掘り出し
物である。カンヌでは助演男優賞をとったらしい。
 では映画としてどうだったかというと、成功作とは言い難い。
確かに演技はいい。カメラワークもコッポラばりに重厚感があ
って、長回しとミディアム・ショットの会話といいうまくでき
ている。しかし見終わって、オチ無いのは何か。
やはり映画とは、どんな荒唐無稽をやってもウソだったら、
しらけてしまう。シナリオ設計では特にそれが要求される。
むしろ荒唐無稽なほど、SFなどそうだが、事実は事実らしく
詰める。
 この映画の場合ヒットラー以下ナチス幹部が一フランスの
映画館でバスターズによって全滅させられたという最後の
シークウェンスは史実と違いどうしても落ちない。
歴史としてウソでは、どんなに勇敢にバスターズが戦っても
ユダヤの女が復讐しても白けてしまう。
これがどこかわからない戦争での話なら、すばらしいのだろ
うがそれは考え方が違ってしまう。
もしこの話でシナリオをつくるなら、ヒットラーの最後は
実は影武者で別にフランスに逃れていて映画を呑気に観て
いたとか設定を初めにつくってなければ成り立たない。
これは、とっても残念だった。
若い日本人がこれを観て、タランティーノはやっぱすごい
と言って史実を間違って覚えてしまうおそれがあるし、こ
れを正月の3日に観たが隣の中高年の夫婦は正月に観る映画
じゃないなとため息をついていた。
うまくつくった映画といい映画は別である。
映画小僧タランティーノの技術は磨かれたが、作品の主題
を語る目は昼寝をしたままのように感じた。
でも、あんた、だいたいタラちゃんは、B級志向なんだぜ。
そんな主題とか辻褄とか言っていたら、笑われるぜ。
といわれそうだけれどそれは本物のタラちゃんファンじゃない。
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by stgenya | 2010-01-17 12:38 | 映画・ドラマ

秋日和

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新年あけましておめでとうございます。
  荒海へ船出する水夫のように
    心引きしまるのを笑って乗り切りたいものです。
 
「秋日和」S35年製作。脚本野田高悟、監督小津安二郎。
 出演原節子、司葉子、佐分利信、中村伸郎、北竜二。
正月に観る映画が本当になくなった。
いわゆる正月映画、初笑い喜劇なとが正月興行からなく
なって何年経つのだろう。寅さん映画の終了が最後か。
仕方ないので家で「秋日和」を観た。
宝石のような映画だ。若いとき小津映画をフィルムセンター
へ通って全部観たとき、正直晩年のこの作品は主題のくり
返しで退屈だった。それが年とって煮物が好きになるよう
に恋しくなった。この映画は「晩春」の母版だと言えるかも
しれないが、この前年に撮った「お早よう」と同じく無声映画
でやってきたコメディとペーソスの再生だったように思う。
 60年安保の年にこれをつくり、黒澤が「悪い奴ほどよく眠
る」と年跨いで「用心棒」をつくる。
時代に背を向けて娯楽をつくった。
当時の批評家は、小津も黒澤ももう死んだとまで言った。
しかしこの「秋日和」を今回観て、ずっと笑いながら感涙
を禁じ得なかったのは、失われたものへの哀切が貫かれて
いるからだ、とわかった。
小津さんは、よく見ると物語をはじめる前に喪失感をすで
に提出していて、それをどう乗り越えるかをいつも語って
いたのではないか。
父を亡くして母娘で生きてきた未亡人。
母を亡くして継母で育った元気な岡田茉莉子。
子供が大きくなって親の言うことを聞いてくれない父親。
妻を失って痒いところに手が届かない平山。
愛を見失って家を飛び出す娘。
戦争で大事なひとを失い、竹馬の友を病でなくす。
仕方ないけどこの現実を受け入れて生きていくしかない
だろう。と小津さんは微笑んでいるように見える。
ロスト・ライターの小津安二郎。
これを笑いとペーソスで役者の配置やセリフ構成を磨き
あげて宝石のような映画をつくった。
この宝石は、人間が年をとるにつれて輝き出す。
半世紀前の映画だよ。しかも世界中でまだまだ輝いている。
こんな映画を今誰がつくっているのだろうか。
正月は、小津を観る。
これがしばらく習慣になりそうだ。

 
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by stgenya | 2010-01-06 07:05 | 映画・ドラマ