カテゴリ:人物インタビュー( 27 )

明日待子さんが特集される

昨日の爆笑問題の「爆報theフライデイ」で明日待子さんが
取り上げられた。
その前には11/25日にNHK北海道でも明日待子さんの訪問インタビュー
があり、アナウンサーの古谷さんから番組素材を送ってもらった。
ムーランルージュ新宿座と明日さんの話題が続いている。
そろそろ映画かドラマを誰かやろうという人がいても
おかしくないね。
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by stgenya | 2017-12-09 17:46 | 人物インタビュー

明日待子さんを囲む会


今回は、私的に上京され、佐々木千里の墓参りされた。
極近親者のみで浅草にて食事会をもうけていただいた。
96才で北海道からフェリーで来られた。
しっかりとされて、いつまでも可愛いアイドルでした。
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by stgenya | 2016-10-14 03:17 | 人物インタビュー

スクリプター堀北昌子さん

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昭和5年5月5日に京都生まれ。日本映画の重要な作品に携わったスクリプター。
今日インタビューを収録する。
昭和25年に大映京都に入社。森一生監督に気に入られ、一年もしないで
一本立ち。
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その森監督に連れられて新しく出来た日活撮影所に遊びに行った
のが日活へ移籍するきっかけになった。
先に移籍していた録音の橋本文雄さんたちの旧知もあったという。
 そして井上梅次監督の「緑はるかに」で初めてのカラー映画につき、
「絶唱」の滝沢英輔や「泥だらけの純情」の中平康監督のもの中心に
日活の全盛期を歩く。そしていよいよ71年の「濡れたハイウェイ」で
ロマンポルノにつくが、にっかつの路線変更についていけず
三船プロでテレビドラマと映画(「犬笛」「海燕ジョーの奇跡」)に携わる。
そして細越プロデューサーの紹介で伊丹十三の「お葬式」につき、
「ミンボーの女」までヒット作に6本連続で記録として付き合う。
伊丹さんが現場でモニターに拘って画づくりしたのは、日本映画では
はじめのことだった。
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また伊丹さんが作品に入る前に父・伊丹万作の映画を見直していた
そうだったという。
現場は、楽しく、ヒットすれば各スタッフにボーナスを現金で出した。
長い映画人生でそんなこともはじめてだった。
現在85才。お元気な堀北昌子さん。
京都で育ち、現代劇に憧れて東京の日活で活躍され、フリーになって
伊丹映画の重要なパートナーになった。
伊丹さんも京都育ち、日本映画史の血を受け継いで映画を造った。
ふと思った。京都と映画魂というキーワードが最初と晩年に
つながっていますね。と言うと、そんなこと思ってもなかった、
と目を丸くされた。
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by stgenya | 2015-04-27 02:34 | 人物インタビュー

幻のニホンオオカミを追いつづける男


秩父野犬を平成8年に山中で撮影した八木博さん。
このニホンオオカミと思われる野犬に
遭遇してからニホンオオカミ研究に嵌ってしまう
八木さんのバイタリティーを取材したものです。
制作は、1999年。二十世紀の最後でした。
ニホンオオカミは昭和30年代は、山中のどこかに
いたと思われる。それは証言者の数が圧倒的に増える
からです。
秩父の山はまだ人の入ったことのない沢や峰がある。
どこかにニホンオオカミがひっそりと生存している
可能性はあるのではないでしょうか。
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by stgenya | 2013-04-06 21:04 | 人物インタビュー

黒澤明と高峰秀子

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明日待子さんの姪っ子である盛岡の守屋さんから
リンゴが届いた。有難い。
10月の盛岡での「ムーランルージュの青春」上映会の
主催者である。
 ここで来場された沢山の岩手県人の方に感謝いたします。
この上映を手伝ってくれた藤沢昭子さんが岩手山麓の滝沢村にお住まいで
戦前昭和15年8月に山本嘉次郎監督「馬」のロケが行われた斉藤家
をご存じで貴重な写真を見せてくれた。
馬小屋として使われた斉藤清一郎さんの家で撮った記念写真。
そこに少女の高峰秀子が写っていた。
しかし映画上映後これを見せられ
てびっくりした。
その高峰秀子の右隣に写っているのは、なんと竹久千恵子だった。
当時「馬」の中でデコちゃんの母親役だった。
そのバタ臭い顔は、モダンガールとして名をはせた女優だった。
しかもムーラン初期のトップ女優で島村龍三の「恋愛都市東京」などの芝居で
活躍し,ムーランを盛り上げた女優でもあった。
それがムーランの映画上映の日に出会えるなんて奇遇である。
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またもう一つのロケの記念写真には、黒澤明制作主任と山本監督。
そして左となりに助監督だった松山善三が写っていた。
高峰秀子と恋に落ちてのちに別れた黒澤明。
その黒澤の助手で働いていた松山善三がその後
デコちゃんと結婚するのだから、この写真には複雑な思いを抱く。
地方上映の面白さと発見の旅が70年の月日をつなげてくれる。
ムーランの時を超えた響きが聞こえてくるようだ。
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by stgenya | 2012-11-30 15:58 | 人物インタビュー

日活100年裏インタビュー撮影所案内1


戦後日活再開からロマンポルノまで在籍した
スチールマンの目黒祐司さんとプロデューサーの結城良煕さん。
ふたりに撮影所を案内してもらった。
本館や銀座オープンセットのあったところは
今は巨大マンションになっている。
つまり経営難で切り売りした。
正門の位置も現在は、多摩川の方になっている。
ただ
食堂は昔のままでガラス窓や壁も当時と変わらない。
マンションに向かって右の奥が大道具の工作所。
そこで昭和36年に赤木圭一郎がスポーツカーで激突
して死んだところ。
目黒さんの話だとこの年の一月に石原裕次郎もスキー事故で
数ヶ月入院して映画の企画を変えざるを得なかった。
そのおかげで小林旭の渡り鳥シリーズができたり
宍戸錠や高橋英樹、和田浩二がデビューできたという。
目黒さんもや結城さんもフリーになっても
つい最近までこのスタジオで仕事していたので
会う人ごとに今日は何の撮影と聞かれていた。
自分も角川映画や「マルサの女」の頃ここで働いたが
他の撮影所より明るい印象があった。
それは一番後発の新しい会社だったことも関係していると思う。
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by stgenya | 2012-07-24 06:47 | 人物インタビュー

結城良煕プロデューサー、にっかつロマンポルノを語る


映画プロデューサーの結城良煕さんは、昭和14年仙台市生まれ。
東北大学美学科を卒業し昭和36年に日活の演出部に入社する。
助監督時代は、古川卓巳、鈴木清順、今村昌平らに就く。
特に今村昌平監督の「赤い殺意」ではシナリオハンティングから
関わり、仙台出身だということでカチンコを打ちながら
方言指導もした。
 当時の日活のプログラムピクチャーズとは違って粘りに粘って
すべてロケセットで同時録音をするイマムラスタイルに圧倒された
と言う。結城さんが印象に残っているのは、春川ますみの子供役の
子を小学校で見つけたが障害があったので監督に出来るだけ見せない
ようにしたが一目見た今村監督は、これだと即決した。
そして昭和46年日活がロマンポルノに変わった時、結城さんは、
監督にならずにプロデューサーになった。
演出に対して結城さんとしては、限界を感じていたという。
結果プロデューサーになったことでロマンポルノで田中登の
「色情めす市場」で大阪ロケの大胆な撮影もしたし、武田一成監督
とは、コンビで「濡れた海峡」なども印象に残っていたが、
その他に大作もやって山本薩夫監督「戦争と人間」や佐藤純彌監督
「敦煌」などもやった。
日活がにっかつになったとき三つの柱があったそうだ。
ロマンポルノを中心に大作・一般映画路線。そして児童映画。
この三つの企画をこなしながら、80年後半からは、NCPやアルゴ
プロジェクトで「十階のモスキート」「遊びの時間は終わらない」
「仔鹿物語」「メロドラマ」などやり東映Vシネマを95年以降
手がける。
こうして略歴を追うと、戦後日活の始まりと終わりを前線で体現
してきた生粋の日活映画人と言える。
しかし今回結城さんから預かった数々の映画の予算表を見ると31億
の「敦煌」とロマンポルノ「天使のはらわた・赤い淫画」の2800
万円との差はすごいなと思う。制作という仕事から映画を分析する
方法はやはり予算の中身から考察することである。
金は映画にどう影響を与えるか面白いとこだ。
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by stgenya | 2012-07-01 00:01 | 人物インタビュー

川井みどりさんが語る三崎千恵子


笹谷みどりさん。女優としては川井みどりとして寅さん映画の常連。
三崎千恵子さんはムーラン解散後に大道具や結髪に大きな借金が残った。
昭和26年から7年間、それを逃げずに払いつづけた。
それも返すお金が少なかったのでぞうきんや帚をもって
掃除させてくださいと三崎さんは押し掛けた。
しかし
断られていくうちに中に入れさせてもらって手伝いをするまでになる。
この発想は、三崎さんしか出来ないもの。
地足のしっかりとしたひとの元は、ここにあったのかと感心した。
また
みどりさんは、山田組の裏話もしてくれた。
「男はつらいよ」の撮影中、撮影が進展しないとき
山田洋次が監督部屋にこもって台本を何回も何回も読むらしい。
それもそれぞれの役を自分で声色をつかって音読する。
側で聴いていたみどりさんからすると、その音読の芝居がすばらしく
午前中の現場で俳優が注意されたのがなぜかそれを聞いていて
わかったと言う。
自分の書いたホンを一日中でも何回も何回も読む。
現場で俳優やスタッフにきびしいが自分にもきびしい。
それが山田洋次監督のスタンスらしい。
それにしてもみどりさんの祖父が富岡マサシという無声映画時代
の俳優で溝口健二が日活向島へ入るきっかけをつくったと言う。
俳優になろうと溝口を誘った。富岡さんは女形だった。
衣笠貞之助がそうだったように。
ただ溝口は、足が悪て俳優からすぐにスタッフの方へ転向して
監督になった。富岡さんが誘わなかったら、溝口健二はなかった。
新藤兼人が「ある映画監督の生涯」の時インタビューに来たが
編集で割愛され、本の方にその話が載っている。
しかし撮影所というのは、不思議なところである。
川井みどりさんのようにフリーでちょい役とはいえ、
たえず出入りしていて後半の寅さん映画に何らかの役で出てる。
撮影所にはこういう不思議な存在の人がときどきいる。
こういう話を聞くとあの、大船撮影所をなぜ潰したのか
慚愧にたえなくなる。
昭和は遠くなるように、映画撮影所も遠くなる思いがする。
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by stgenya | 2012-03-21 04:45 | 人物インタビュー

美術監督千葉一彦さん、幕末太陽傳を語る


川島雄三の「幕末太陽傳」の打ち合わせで音楽の黛敏郎が「剣の舞い」で
作品のイメージを行きたいと言い出した。
川島雄三は、それがいいねとすぐに乗った。
「幕末太陽傳」の規模が大きかったので美術監督は、中村公彦さんだけだと
大変だということで若かった千葉一彦さんと二人でやった。
そしてこの音楽打ち合わせで「剣の舞い」のテンポでやるために相模屋の中
をフランキー堺が走り回るのに小春とおそめの部屋や物置部屋と階段の位置
などを設計したと言う。
 またフランキーが駆け登る階段もその段の巾を実物より低くした。
思い切り駆け上がるためにセットの階段も映画的に変えたという。
だから佐平次のフランキー堺が居残りとなってから、映画のテンポが至極
早い。居残りの癖に女郎、手代、お客と次々にそれぞれの問題を解決して
今度は逆に頼られる存在に上り詰めるという可笑しさがにじみ出て、
その瞬く間の勢いが小気味良く粋に映る。
川島雄三の落語の世界を時代喜劇に移し変えようとした意図を音楽家が
くみ、美術監督が絵としてセットをつくり画面に活かす。
映画は、その作品のイメージによって各パートがその才能の限りのアイディア
を絞り出して完成させていく。
今回80才の千葉一彦さんの話で音楽の黛敏郎が剣の舞いで幕末太陽傳を
イメージしていたというのは、貴重な証言だった。
浅草での写真撮影会での飲み会でのこの話が千葉さんの口から出て来たの
で多少聞き取りにくいが、お元気でとても若い感性でお話された。
千葉さんは日活で美術監督として熊井啓の作品や藤田敏八の「八月の濡れた砂」
などを手がけられ、大阪万博では太陽の塔をつくった人でもあります。
 映画をひとつつくるのにその作品のイメージをどう持つかがそれぞれの
持ち場でいかに重要か、そしてそのイメージを一本に決めるのが監督の作業でも
ある。川島雄三は、映画づくりにいいスタッフに恵まれた。
作品のテンポとリズムをどうつくるか、なかなか貴重で参考になる話だった。
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by stgenya | 2012-01-17 03:00 | 人物インタビュー

小田次男画伯の黒澤明を見た、貴重な証言


北九州在住の今年90才になられる小田次男氏は、
画学生でムーランに通っていた。
若い頃上京して絵の勉強をしていたが、
終戦後映画の道に進みたいと脚本を書いた。
そして小説も書いた。
 なかなか上手く行けず挫折。
そして役場から福岡の美術館へ就職した。
そして文楽と出会い、近松戯曲に惹かれ、画家になる。
昭和57年頃には、宇崎竜童と舞台「曾根崎神中」を
企画・製作した。
以後も歌舞伎や文楽の舞台画を描き、
国立劇場や松竹の大阪劇場などに
頼まれ劇中の場面画を描くようになる。
また月刊誌やパンフレットになって世に出る。
 その小田さんの永犬丸の家を訪ねる。
小田さんは、大正11年生まれ。昭和16年ごろ
ムーランルージュの割引に
ならんでいたら、一際背の高い男が並んでいた。
それが黒澤明だった。
それも一回でなくかなり頻繁に出会った。
ある時は、すぐ後ろだったこともある。
黒澤明がムーランの常連で割引に並んだということは、
横倉さんの本などに
書かれているが実際に会った人の証言は、はじめてだ。
助監督の黒澤明が高峰秀子と結婚をするとの噂が
一般の人まで広がっていた
ことも面白かった。
黒澤さんがまじめだったという。
今や有名な画家の小田次男さんは、戦後伊馬春部さん
とも交流が会った。
小田さん、ムーランや映画の話になったら、
いきいきとした口調になる。
黒澤明がムーランの割引に並んだのを見た人。
その証言は、貴重で記録的で宝の輝きさえ
持っている。
帰りがけ、伊馬さんの自筆の原稿のコピーを貰う。
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by stgenya | 2011-12-19 23:20 | 人物インタビュー