カテゴリ:人物インタビュー( 27 )

三木のり一さんの祖母

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           水町庸子  池上喜代子
 
三木のり一さんに会う。
もちろん父親が三木のり平さん。
でもお婆ちゃんとお爺ちゃんがムーランの初期の大幹部俳優。
水町庸子と三國周三。そしてお母さんは、水町(三邦)瑛子で
斉藤寅次郎の「子宝夫婦」(1941)など映画や舞台で活躍。
日本橋出身の三木のり平さんは、その水町庸子の娘瑛子さんと結婚。
ここも鈴懸銀子さんと同じ日本大衆芸能のサラブレット。
のり一さんには、さらに中山呑海という日本活動写真
からトーキー映画へ移行期に活躍した名監督の血も流れている。
 ムーランの水町庸子は、可憐で明日待子が子役で
入ってきていろいろお芝居を教えたりしたトップ女優だった。
座員に手を出す癖のあった佐々木千里は、中山呑海によって
連れて来られた水町庸子に恋いこがれた。
可愛いだけだった水町庸子がムーランの黄金期の昭和10年代には、
芝居のうまい女優になっていた。
佐々木千里の想いは、ついには叶えられず
三國周三と結婚されてしまう。
貴重なアルバムをお借りしたことに感謝。
のり一さん自身もテレビの黄金期と寄席や芝居の
まっただ中にいられた人。
話が面白くあっという間の時間が過ぎた。
是非「極め付昭和芸能譚」を書いてほしい。
経験者の強さは、実際に一流の芸人と付き合っていること。
単に話を聞いたではなく、生活の一部として接していた
匂いみたいなものを知っていることって貴重である。
いや、なかなかムーランは、奥が深い。
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by stgenya | 2011-12-16 05:53 | 人物インタビュー

岡田吉雄と忘れたボーイズ

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ムーランルージュ新宿座のバラエティの一コマ。「忘れたボーイズ」
地球の上に朝が来る。こちら陽気な忘れたボーイズ♪
もちろん「あきれたボーイズ」を捩ってのバンド。
名物コーナーで俳優たちが自由にのびのびと歌っていた。
岡田吉雄と山口正太郎らがメインだった「忘れたボーイズ」
この名バンドに有島一郎が加入して舞台で歌っていた。
昭和14年の出来事。
その珍しい写真が岡田吉雄さんの遺族から出て来た。
どんな歌を歌っていたのか。
数十枚あるこの演奏シーンの写真はどれも楽しそう。
戦前の幹部俳優で戦後途中からサラリーマンに転身して
子供を育てた岡田さん。
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新宿歴史博物館に寄贈された岡田さんのものは多く
さらに丁寧に保管されていた。
晩年岡田さんは、ムーランをなんとか残そうとされていた姿が
目に浮かぶ。
それにしても「忘れたボーイズ」の歌が聞きたい。
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by stgenya | 2011-12-03 19:13 | 人物インタビュー

有島一郎さんの墓参り

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箱根は、強羅にある有島一郎の墓所へ行く。
特に今年の3月次女の誓子さんが亡くなったので
初盆でもあり、早く行くつもりだったが
今日この日になってしまった。
長女真由子さんの手紙の指示通り、
宮城野バス停からすぐだった。
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雨の登山鉄道で箱根の山を上り
宝珠院というお寺の墓所の奥に
カトリック教会の墓所がある。
その中にマリア像に見守られるように
有島さんの墓があった。
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そしてその墓に書かれていたのは、
「土に還り、天に昇り、親しき友と語りおり」
の文字。
遥々山を登って来て、ホッとする文句。

「いやいや遠くから来たね。今のり平さんとお話していたとこじゃ。」
なんて聞こえてくるようで、
お元気でしたか。
ぼくも元気にがんばります。
映画やテレビで大変笑わしてもらいました。
有り難うございます。
「そうかね。そうかね。ありゃ役だからね・・ハハハハ」
雨があがって薄日が十字架に映えた。
笑っているように映えた。
そして
また青春ドラマの校長先生のように
帰り道は、わかるかねと教えてくれそうな気がした。
好きな俳優に会えたような素敵なお墓でした。
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by stgenya | 2011-10-23 09:04 | 人物インタビュー

三崎千恵子さんの家へゆく

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鎌倉の三崎さんの家に行く。
いま家と三崎さんを支えておられる方とお話する。
体調が少し持ち直しておられるようで
新聞記事など読まれるそうですが、
まだ病院とのこと。
庭には、飼い犬のビーグルが走り回って
主の帰るのをひたすら待っている。
三崎さんもはやく帰宅したい。
もう少しして元気になって庭を散歩されるのを祈っています。
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伊馬春部さんのお嬢さんが「ムーランー」の映画見られて
三崎さんへ連絡されたようで作家では、伊馬さんをやはり
宮坂・三崎さんの座長は、一目置いていたんでしょう。
帰り道。
鎌倉の秋の空。
トンビがピーヒョロロと鳴いていた。
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by stgenya | 2011-09-25 04:42 | 人物インタビュー

女優・滝輝江さん

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戦後ムーランの女優・瀧輝江さん。
やっとこの八月になってお会いした。
昭和6年5月10日台湾生まれ。父親の仕事の関係で外地を渡り歩く。
台湾から満州へ。そして小学生1年の時に北九州の黒崎で小学生時代
を過ごす。東京の世田谷に来たときは、女学校2年生だった。
ムーランに入ったのは、佐々木千里が小議会として昭和21年10月に
復活した時に新聞広告で応募。
 佐々木千里は、14才の少女にとっては怖かった。
しかし若手でムーランの踊り子と演技者としてがんばる。
この滝さんの証言で昭和21年11月1日にムーランが新宿区の海城高校
へ公演に行ったことがわかった。菊岡久利の出身校で明日さんも急拵えの
ステージで踊った。滝さんはその様子をしっかりと覚えていた。
そしてムーランの終わった昭和26年以降は、日劇などでダンサー
をやったりした。
そのとき脱線トリオの由利徹などとは交流があった。
下の写真は、日劇に当時の人気ストリッパーが全員でたもの。
東京ローズなど・・・
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でもすごいのが真ん中にいるのがE・H・エリック。
岡田真澄の兄。
滝さんの交流の深さが伺われる一葉である。
(これらの写真は、滝さんの許可なく転載はできません)
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by stgenya | 2011-08-29 18:49 | 人物インタビュー

明日待子さん、佐々木千里の墓参りにゆく

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伝説のアイドル・明日待子。
そしてムーランのトップスター。
昨日北海道からその明日待子さんが来られて
谷中の佐々木千里の墓参りに行かれる。
明日さんの養父。
そしてムーランルージュ新宿座の創設者。
お父さん、お母さん、またやってきましたよ。
よかったね。みんながお父さんのやったことを
記録してくれましたよ。
・・・・・・
しばらく明日さんは、お墓と会話していました。
生きている人も先に逝かれた人も
ずっと地続きにつながっている。
91才になられた明日さんの心持ちが
しっかりと伝わって来ました。
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by stgenya | 2011-06-04 06:00 | 人物インタビュー

最後に楠トシエさんに会う

去年の12月最後の最後に
楠トシエさんのご自宅を訪ねる。
お元気で大昔のお話「なぜ歌手になったか」を語られる。
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神田のテーラー楠山の長女で歌は、18才で銀行勤めの
傍ら駿河台のYWCAで音楽を習う。
すぐに人に教えるほどに上達。
音符を読んで教える縁で新宿ムーランルージュへ。
だから「日曜娯楽版」の前にムーランでデビュー。
とても楽しかったようで中島孝さんがお元気であると
いうとうれしそうに懐かしいわ、と連発された。
よく考えると僕らは、楠トシエさんの声で育ったようなもの。
「お笑い三人組」「ミツワ石けん」「かっぱ黄桜」などのCMソング。
近年では、「トイストーリー2」の声優として・・・
別れ際、三階の窓から楠さんがぼくらが見えなくなるまで
手をふってくれた。

「僕は特急の機関士で

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by stgenya | 2011-01-01 03:23 | 人物インタビュー

沖縄タレントアカデミーの小沢公平校長


沖縄へ行く。
小沢公平さんがレビューを4タイプやってくれるという。
前乗りして背景画を手伝う。
公平さんは、安室奈美恵の発掘に関わり
音楽系の沖縄アクターズスクールの立ち上げに協力して
自身でこのアカデミーを設立して
仲間由紀恵を育てた。
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まさに沖縄芸能パワーの源泉のような人。
公平氏の父は、小沢不二夫で「りんご追分」の作詞家で
ムーランや「肉体の門」の劇作家。
そして母は、市川弥生でムーランの踊り子だった。
このDNAから氏は、いま沖縄でムーランをやっていると
自負する。
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今回の踊りも見事でこの踊り子の中には
高校1年生でエイベックスから声がかかっている安慶名愛ちゃんも
いる。まったくその輝きは、ピカイチだった。
次のスターの誕生を思わせる。
こういうタレントの発掘の才能は、公平氏の力だと思った。
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by stgenya | 2010-12-28 02:29 | 人物インタビュー

ムーラン最後の男性歌手・中島孝氏のレッスン


新宿ムーランルージュの存命する最後の男性歌手中島孝氏。
戦後のムーラン再開から昭和25年の閉館間近まで
バラエティ歌手の主軸としていられた。現在84才。
ムーラン解散の1951年以降ポリドール、コロンビアとレコード
歌手として活躍された。
 今回ムーランのレビューを再現するのにご協力願った。
榊原郁恵などと同じデビューの元歌手狩野雅義さんにズッペの曲を
レッスンしてもらった。
声の出し方一つ、音符の読み方一つ、ムーランの舞台ではこういう
風に声を出しますと丁寧に指導してくれました。
かろうじて中島さんが高齢でも元気でいられたので
バラエティの、歌のステージがどうだったかがわかる。
とても貴重なことだ。
歌手の狩野氏も感激されていた。
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by stgenya | 2010-12-05 03:55 | 人物インタビュー

三崎千恵子さんを見舞う

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三崎千恵子さんに会いに行く。
大正9年9月5日巣鴨生まれ。90才。
元気でいられた。
昔の戦中戦後の劇団仲間が見舞いに来た。

「わたしたちの時代は戦争があったもの。
 山あり、谷あり。
 わたしは、今は水の流れのように生きてる。
 身を任せて・・
 欲なくなったよ。もう。」

かつて新宿座で俳優だった藤枝利民さんや大空千尋さん
からしたら三崎さんは小屋主婦人で給料をもらっていただけ
でなく、母でありお姉さんであった。
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by stgenya | 2010-10-11 04:07 | 人物インタビュー