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ゴムデッポウ

昨日草月ホールで伊丹十三の幻の監督デビュー作「ゴムデッポウ」を観てきた。
1962年に伊丹プロ製作で41年前に草月ホールで勅使河原監督の「砂の女」
と同時上映で公開されたらしい。翌43年にはATG系でも公開されたとのこと。
 つまりハリウッド映画に出演した伊丹がそのギャラでアリフレックスを買い、
当時結婚していた川喜多和子と自主製作した30分ほどの短編映画である。
脚本と助監督をこの和子さんが担当している。「砂の女」とのカップリングは
彼女筋の働きかけだったかもしれない。
 ストーリーは、自宅でゴム デッポウ遊びをして青春の退屈な時間を過ごし
ている若者たちが東京の街をぶらつき、またゴムデッポウに興じる。そんな
最後にいつも銀座のチロルという洋装店に勤めていて遅れてくるイッチャン
が仕事の愚痴をいい、伊丹と相棒がカメラに向かって銃を撃つ。
 これだけだと小津の「若き日」などの初期の無声映画のようだが、ゴダール
などのヌーベバーグ風な撮影を意識している。
そして特徴なのが多重的だということ。ひとりが画面いっぱいに映っていて
奥の、ときにはOFFで喧噪なおしゃべりがつづいている。これが随所にある。
 また舞台になっている麹町の立派な洋風の自宅の寝室で伊丹と恋人が
ベッドで寄り添う場面で伊丹が読書していて女がキスをせがむ。しかし伊丹
はいやだと拒み、女に他の女だったするくせにと悪態つかれてニヤリと笑うと
ころはその後の伊丹さんの離婚と川喜多和子の精神に異常を来す履歴を
匂わせているとも深読みしたくなる。
 しかし上映の後に村松友視と新井信との対談でこの映画からお葬式まで
伊丹さんは映画を撮らなかった。エッセイストとして過ごすが締め切り
や取材を気にせず当時の担当編集者の村松さんの目の前で原稿を書
いていたことからライブ感が好きだったので映画監督というものへ辿りつい
たのではないかという話は興味深かった。
 宮本信子さんの上映前の話で湯が原の家で偶然見つけたこのフィルム
のことは生前伊丹は誰にも言わず引き出しの奥に無造作にほったらか
していたという。もしかしたらこの処女作は、29才の青春の苦い失敗作
として「お葬式」までこの喪がとれるのを待っていたのかもしれない。
付け加えると映画作品としての失敗作ではなく青春の、という意味で。



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by stgenya | 2005-12-28 06:52 | 映画・ドラマ

三丁目の夕日

映画の日に観る。
西岸まんがの映画化。昭和三十年代の風景をCGで
うまくつくっている。上野駅と東京タワーがよく
モーションコントロールで映像の中に収められている。 
 ただ原作のほのぼのとした人情コメディーの味が
破壊されてしまっている。
鈴木オートの主人を堤が寺内貫太郎のように頑固おやじ
として変えているが、成功したとは云い難い。
若いと悪態をつく際チンピラのようになってしまうからだ。
小雪のいる酒場で文学こと吉岡を馬鹿にするところなど
はどう観てもVシネマの鉄砲玉しか見えない。
 子供も紙芝居だが、文学のところに預けられる子役の子
はなかなかうまく最後で泣かされる。この子は芸達者だ。
 致命的にこの監督の映画は技術的には達者でも感情が
のらないのはなぜだろう。
 この山崎監督の前の「リターナー」もそうだったのだが
ハリウッドにも負けない画作りするのだが演技をつむぎ完結
させる力が弱い。
もっと鈴木オートを中心にして隣近所が顔が見えてなんとなく
あったかい気持ちにしなくてはならない。
そのいい例が駄菓子屋の文学が子供を最初に追い出して机に
ぼっとしていると又その子供が脇に戻ってきてびっくりするという
場面でカット割がおかしい。同ポジで切れないショットの中で
何時の間にか隣に座っているのが常套なのだが、カットを割って
しまっているので少しも観客は驚かないのだ。
ひとつの演技をどう演出すれば効果的なのかわかっていれば
もっと役者の演技をうまく引き出すことができる。
 この監督のこれからの課題だと思う。もっと面白くなったはずだ。
最後に薬師丸の母の感じは原作にちかくていい味を出していた。d0068430_16283493.jpg
 
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by stgenya | 2005-12-08 16:29 | 映画・ドラマ