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雪に願うこと

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根岸吉太郎監督の第18回東京国際映画祭に出品された最新作。
 映画というのは、どのようにつくられて行くのか?
資金を出す人がいて、映像にする配役と技術者がいて、小屋にかける人が
いれば映画は、できる。近年は、この金を出す人にテレビ局、広告代理店、
一般企業の三分割が主流になり、さらに企業を待たずにテレビ局がすべて
主導で企画制作するものもでてきている。
 しかしこれが必ずしもお客が見たい映画だったか、というとどうだろう。
広告代理店が主導でつくったような「Casshanキャシャーン」や「赤影」
の伊勢谷友介がこの映画ではなかなかがんばってる。
 ばんえい競馬の世界をこれほど丁寧に描いた作品もみたことがない。
そして「課長島耕作」から「絆」まで失望していた根岸映画がここで
しっかりとかつての「遠雷」のような三番打者に返り咲いている。
観たい映画だ。
つくるべき映画である。
 まずストーリーがよく絵がきれいで珍しい、役者がそこに生きていて
呼吸している。さらにテーマが今日的である。
話は、東京でIT企業の社長だったはずの矢崎学(伊勢谷)が、
ネットて゜販売したサプリメントが薬事法違反で死者もでて会社は
倒産、借金をかかえて故郷の帯広に帰ってくる。
ところが行く場所はなく兄のばんえい厩舎に月8万で身を寄せる。
兄威夫・佐藤浩市は、昔のように金の無心する弟を暴力的にやり込める。
母に会いたいという弟・伊勢谷に「施設に入ってる」としか教えない。
小学校の同級生(山本浩司)と年老いてレースに負け馬刺しになるの
を待つばかりの馬ウンリュウの世話をするようになると、その馬が
学にだんだん懐いていく。兄威夫も心を許すようになり母のいる施設へ
賄いのオバサン(小泉今日子)の助言もあって学をつれていく。
 しかしボケた母(草笛光子)は、学がわからない。
「自分には有名大学を出て東京で会社の社長をやっている息子がいる」
と自慢するだけだ。ここで伊勢谷は泣きながら母とお遊戯をする。
周りの芸達者なベテラン俳優陣にはじめて追いつこうとした瞬間であった。
この日からウンリュウのもう一度レースに出て再挑戦するシークェンス
になり、ラストこの馬が見事優勝して再起し、学も再生のため東京に
帰っていく。
俳優たちがよかった。この厩舎の見たこともない美しい調教風景(特に
馬たちが白い息を吐き出しながら斜面を登る光景)の中に溶け込んで
いて付け焼刃でない様がすばらしい。
同級生役のいつも笑ってばかりいる山本浩司がいい味出している。
「リアリズムの宿」などの山下監督の自主映画の常連だが、ストーリー
展開に絡んでぴったしの掘り出しものだ。
 根岸のこの映画は、いまライブドア問題、企業の社会モラル破綻などの
モチーフが先取りされてあたらしい。
この映画の企画撮影のときには、まだ今の事件は起きていなくITバブル
の絶頂期だっただろうと思う。
久々にしっかりとした内容をじっくり撮っていて、地味だがしみじみとした
作品だった。
 少し難をいえば、ラストのシークエンスは、もっと丁寧に練り直して
やってもよかったように思う。
なんてったって肉にされる間一髪でレースに勝つ老馬の感動的な話だもの。
しかし照れ屋の根岸は、かわしてしまう。
生え抜きの最後の撮影所育ちの監督として、又浅草根岸興行自出で
チーフ助監督一本目で監督昇進のエリート若手監督だった身として・・・・
照れてしまうのだろうか・・・
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by stgenya | 2006-06-16 12:46 | 映画・ドラマ

トニー滝谷

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 市川準監督・村上春樹原作・坂本龍一音楽。去年公開の1時間15分。
不思議な静かさとせつなさに立会い、見つめさせられる中篇映画である。
 監督は、宮沢りえに観終わってもまだ風を感じるような映画にしたいと
云ったそうだが、そこは成功していたと思う。
 高台の草原にセットを組んで回り舞台のようにして撮影した手法が
独特の空気感と視点を作り出していた。
それは、時間が人の歴史になっていく過程を表現して、村上春樹の
持っている乾いた喪失感と諦めとも違う地平線に転がる透明な孤独を
すこぶるうまく捉えていた。
風が流れるように時間が流れる。
母を幼くして亡くしてジャズ演奏者の父の手のもと戦後育ったトニー滝谷は、
精密画がうまくイラストレーターになる。ただ緻密な線を毎日ひくだけの日々
にルノー5に乗った宮沢りえと出会い結婚する。
初めて味わう独りでない生活。しかし彼女には、抑えられない買い物癖
があった。ブランドの服を買いつづけ、一部屋そのためにあけなければ
ならなかった。トニー(イッセー尾形)がなんとかやめさせようとした矢先
彼女は交通事故で死ぬ。そしてトニーは、残った膨大な服に合う女性
を秘書のように雇う。時給でぎりぎりに生活している彼女も宮沢りえが
二役で演じている。
そして秀逸なシーンが、この高級なブランドの衣裳部屋で亡くなった
奥さんのことをふと思って、宮沢りえが泣き崩れるところだ。
ひひひひぃぃぃぃーと笛のような声を上げて泣き伏すこのシーンが
あって、この映画が成立している、いやこのシーンのために、この映画
はあると云っていいほど感服させられた。
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物語はこれからトニーがその泣いてくれた
アルバイトの子が辞めた後も心に残る
ところで終わる。
 ひとりの男の孤独が、幽かだがこころを
満たしてくれる存在に出会い風が物干し
のYシャツを乾かしてくれるように癒える。
しかしそれも束の間別れがくる。結局人間は孤独なものだ、と思い煩う
が、いままでの孤独な自分と少し違う。
それは、確かな今はいないが触れ合うことが出来た新しい自分が
そこにあるから。
 坂本龍一の音楽がまだ耳からはなれない。
せつないピアノだ。
人はいつでもひとりだし、ひとりでは生きられない。
徹底的に削り取られて、磨き上げられた時の流れの短い秀逸な映画だが
彼女が買い物狂いになる件やトニーのふたりのりえの間で揺れ動く
様をもう少し丁寧に観たいという気がする。
いつもあと少し満足しない市川準作品だが、いままでになく感嘆した。
イッセー尾形と宮沢りえの素敵なふたり芝居だった。
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by stgenya | 2006-06-09 12:34 | 映画・ドラマ

今村昌平、葬儀。旅立つ。

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 今村昌平監督が5月30日がんで亡くなり、今日代々幡斎場で
午前中葬儀があり、煙突の煙となって旅たつ。
 涼しい天気の中代々木上原からきつい坂を上り、斎場に行く。
さみしくて味気ない葬儀場だった。
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 戦後派監督の第一人者だったイマヘイが亡くなるとは、イメージが
湧かなかった。「にっぽん昆虫記」「人間蒸発」の俊英がいつしか
カンヌの常連になり、巨匠とよばれるようになっていた。
 いま考えると長編劇映画は、「黒い雨」をのぞいてほぼすべて観ている。
どの作品も大小の期待はあるにしても駄作がなく、人間描写が面白い。
博多の映画館で「にっぽん昆虫記」を記録映画と勘違いしながら観た
のが、たしか最初で文芸座、並木座、三百人劇場で「豚と軍艦」、
「赤い殺意」、「人類学入門」、「神々の深き欲望」などを追いかける
ように観ていった記憶がある。
 どれも泥臭くて、したたかでグイグイラストへ引っぱっていく力に
満ちて実験的ですらあった。
入社すぐ小津さんの戦後の傑作(東京物語、晩春など)にサード
助監督でついて映画人生をスタートさせたが、本人は嫌々だった
らしく(のちにやっぱり撮影に対するこだわりに影響は受けたと
云っているが)、闇市時代に見た黒澤の「酔いどれ天使」が映画始める
きっかけだというので、タイプとしては黒澤さんの動的なものに近かった
のではないだろうか。
 そして60年代にドキュメントに傾倒していく中で10年近いブランクが
あり、映画学校をはじめたりして「復讐するは我にあり」で復活する。
これからの活躍がすばらしいものだった。
ひとりの作家がスランプになり、新たなテーマと向き合うようになれる
時代がいい作家ほど繰り返しある。
この前友人F氏がイマヘイさんのことに詳しい人で、その辺の件、東映が
深作でやろうしていたところ、原作の佐木さんがイマヘイを推薦した
らしいと教えてくれた。偶然だった。ドキュメントで得た調査癖がここで
ますます花咲くようになる。
 ぼくにとっては、大切な監督のひとりだったが、個人的なことで言えば
新宿西口の居酒屋街で夜、「泥の河」の藤倉プロデューサーと歩いていたら、
バッタリ会って藤倉さんが「今村さん!」と呼び止めて挨拶したのが12年前で
初対面だったような気がする。向こうも二人づれでお互いかなり酔っぱら
っていて次の飲み屋にいくからそそくさと別れた。
これが最初で最後だったが、あの独特の片眉にしわ寄せて、
スネたようにしかめる癖は、まさしく「何がやりたいんだ」
「ホラか本心かすぐばれるぞ」と言わんばかりの
圧力があったのを覚えている。
 借金とやりたい企画と戦ってきた大きな映画人が「新宿桜幻想」という
映画企画を残して逝ってしまった。
冥福を祈ると同時にもう一度あの「しつこい生き方」から何かを少しでも
学ばないといけないなあ、と今思っている。
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by stgenya | 2006-06-06 17:18 | 映画・ドラマ

ブロークン・フラワーズ

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「ブロークン・フラワーズ」
 ジム・ジャームッシュの長編最新作。05年のカンヌ映画祭のグランプリ作品。
映画の可能性と多様性をみせてくれた快作である。
 物語は、単純で悠々自適のドン・ファン(ビル・マーレー)が突然来たピンクの
元恋人からの手紙に自分に息子がいることが書かれていて、その息子と
女友達を探しに行く旅に出る。しかし心当たりの五人の内一人が亡くなっている
ので、四人に花束を持っていくがどれも肩透かし。最後に現れるバックパッカー
の息子らしき青年(マーク・ウェバー)にも逃げられる・・・・
 久々にジャームッシュらしいユーモアとアイロニーに満ちたしみじみとした
映画になっていた。
 「ストレンジャー・・・」の原点に返ったように彼本来のすれ違いのコメ
ディーを充分大人になってむしろ初老に向かう人間の人生を見つめる
諦観として描いて、みずみずしい作品になった。
かれの映画がいわゆるハリウッド映画と一線をかくしているのは、その製作
スタイルによる寡黙さもあるだろうが、映画をどう捉えているか、が他と違う
ところだと思う。
 ぼくは、いつも思うのだが彼のつくる画面が「間や余白を演出して静謐だ」
という印象は、映画を何によって創ろうとしているかでその出口が決まって
くる。つまり彼は映画を時間として捉えている、ことに重きを置いているという
ことである。一つの画面に主人公が映っていて、ほぼ同ポジて゛暗転したり
カットつなぎでドンがソファに坐っていたのが眠りこんでしまったりとか、
或いはドーラ役のフランセス・コンロイと現在の夫との間で夕食をとら
なければならなくなったドンがテーブルの真ん中で困りきった顔に
なっていく過程をじっとカメラが待っている。
 時間を切り取るのが映画だという基本をずっと正面から追及して
いるのがジャームッシュの姿勢で、これによって人間の滑稽さを切り
出しているのがジャームッシュ的なのである。
 彼の映画の面白さは、これにつきる。映画評論家(川口敦子や
滝本誠など)は、字数稼ぎにわかったような判らないようことを
ジム・ジャームッシュとなると難しく書いているが、本来のジム・
ジャームッシュは、コメディ作家である。
 すれ違いをキーワードにすれば、今回の映画も一気にとても身近に
見えてくる。
大金を偶然手にした若者が最後に従兄妹の娘と勘違いで飛行機
に乗って入れ違いになるラストの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」
しかり、今度の「ブロークン・・・・」も最盛期のドンファンだったら、気にも
かけない息子の存在も少し年をとったドンファンは、気になり一様探し
にいくが、どれも違いそれぞれの元恋人はそれなりの人生を自分なんか
いなくてもしっかり生きている。
おまけに息子と思った青年も勘違いだと気味悪くなって逃げていく。
(ジムはこの息子の設定を自分でも本物かどうかわからないと云っている)
小さく芽生えたドンの中の良心は、見事に空回りして゜オレは何してるんだろ?
゜と立ち尽くすところで終わる。
 人と人が会い、偶然恋におちたり友だちになったり、ケンカしたりするが
それは、もしかして勘違いだったり、すれ違いだったりすることが多々ある。
人間って可笑しいよね、でもいとおしいねって云っているみたいだ。
彼の映画は。
 ただ今回二回フラッシュの回想シーンを重要なところで入れている。
時間を画面に貼り付けていく手法が、探すのに疲れて諦めかけて思いと
どまるシーンで時間を逆戻ししている。そしてラストカットの五差路の
真ん中でカメラが廻ってドンのアップになるところは、映画の技法
としてうまく考えていた。人生の坂道で途方にくれる男の図として・・・・
テーマと撮影技法がラストで合体する幸せな瞬間は、M・アントニ
ーオの「さすらいの二人」以来の興奮を覚える。
 映画は、常に新しい映画に追い抜かれていく。
それがどんな駄作でも、新しい映画は、常に新しい。
これは、ぼくの持論だが、ジムの映画は、スタージェスのようでそう
でない、ブレッソンのようでそうでない、ベンダースがベンダース
以外の何者でもないように、ジム・ジャームッシュは彼自身の変化を
独自に新しい地平線に進んでいる。
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 又やる気のない中年男をビル・マレーがよく演じている。
好き嫌いは別として喜劇俳優が、新しい境地を
見つけていい作品に成長するのは、よくある。
日本だと伴淳や植木等だそうだったように。
しかし「デッド・マン」で失望した身としては、この調子で次回作もつくって貰いたい。
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by stgenya | 2006-06-02 16:35 | 映画・ドラマ