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運命じゃない人

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 内田けんじ脚本監督、ぴあスカラシップ作品。
一言に言って、軽くて面白い写真だった。
このところ日本映画の膨大な新人作品で有望なもの
にこのぴあPFF出身者が多い。黒沢清の頃はなかった
が、矢口君あたりからか、入賞者に次の作品を作らせ
ようと始まったぴあスカラシップ(初めは三千万の予算
だったが)も今じゃ日本映画の底を支える歴史をもつ
までになった。
 さてこの「運命じゃない人」は、タランティーノばりの
パズル構成である。米のハイスクールを内田監督は
出たというので「パルプ・フィクション」を見たかどうか・・
 話は、婚約破綻して絶望した真紀と立派なマンション
を買ったばかりで彼女に逃げられた人のいいサラリー
マン宮田武とが真夜中のレストランで宮田の幼馴染で
探偵の神田の強引な気まぐれで引き合わされ、宮田の
マンションで一夜を明かそうとする。
 しかしそこへ逃げた彼女あゆみが荷物をとりに戻って
きたことから、この手垢のついたトレンディ・ドラマの
ような話が急変し、探偵と結婚詐欺師あゆみとその
手玉にとられた浅井組長との複雑な葛藤劇へ時間を
何度も戻してツギハギしながら翌朝のマンションへ
流れていく。
 構成的には、情けない男・宮田武の巻、次に探偵神田
そして組長浅井志信と人物を紹介しながらその都度
時制を戻してその切れ目には、深いF.Oを文法として
使っている。
 映画が発展していく中で、語り口もグリフィスの「イント
レランス」の時代を跨ぐ手法や「グランドホテル」形式や
「羅生門」の不条理な回想形式など、でてきたが、タラン
ティーノのパズル構成形式は、これからさらに進展して
知的な映画の文法として使われていくだろうが、内田の
今回の成功は、それを平易なエンターテイメントとして
作り上げたことによるものが大きい。
  この手法で宮田の周りで起きた出来事がそれぞれ違って
見える。日常に起きていることから、僕らが知り得るのは
ホンの一部でしかない。人は誰も複雑に生きている。
その綾を紡いで見せるところに映画が転がっている。
 又この地球という惑星で「人の善意」を信じて生きていく
ことが人を信じればできるハズという安易で切実な
テーマをこの一見ややこしい手法で映画にしてみせること
で新しいひとつの映画が出来上がっていく。
 役者もフジテレビだったら、宮田を中村獅童、真紀を
柴崎こう、神田をオダギリジョーなどというキャスティング
でやるのだろうが、この無名に近い中村靖日、霧島れいか
山中聡、板谷由夏とそれぞれインパクトは少なくとも味が
あってよかった。これからがたのしみな人たちだ。
 最後に欲を言うならば、真紀の人物像がもう一つ核心の
ところで描ければラストの金を返しにくるところがもっと
効果的なシーンになり、単に面白い映画でなくいい映画
になったと思う。
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by stgenya | 2006-07-28 13:28 | 映画・ドラマ

微笑みを抱きしめて

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 1996年にグループ風土舎によってつくられ、基本的にホール上映
の形で上映された作品で監督は、児童映画の黒澤といわれた瀬藤祝
で勝野洋と宮崎淑子の出演である。たぶんこう言ってこの映画を観た
人は、ごく少数で誰も知らないに近いかもしれない。
 気にはなっていたが、やっと最近この作品を観ることができた。
カナダのジーン・リトルの原作を鹿児島に置き換えて関功が脚本を
書いた。小学校教師の父親が末期がんになり、故郷の鹿児島の海町
で小学生のこども(兄妹)が母と夏休みに最後の日々を過ごす。
そしてそこへ両親のいない問題児の女の子篠原志穂が担任の父親
に会いに来る。
父は、あの子と友だちになってやれと病床のベッドで長男の翔太に言う。
しかし学校のみんなにいじめられると嫌がる。やがて父が亡くなり、
家も売って篠原と川内市内の同じアパートに住むことになる翔太は、
彼女の境遇を理解して大人に成長していく。唯一父から形見で貰った
手作りの木彫りのカワセミを独り占めしていたが時が経ち妹が結婚
する日やはり教師になった翔太は、「これからはさや香のお守りにしろ」
と渡すところで映画は終わる。
 テーマは子どもを抱きしめてあげよう。あなたが大切だと肌を触れよう。
いま子供の事件が日常茶飯事になってしまった中示唆的な映画である。
 夏の海辺と雲と空と子供たちが走り、釣りをする光景が秀逸である。
こどもの描写はやや現代的でないかもしれないが、映画が映画として
最後まで成立してその物語にいつの間にか引きづり込まれる力をこの
映画は持っている。父と子のやり取り。特に最後の会話になる夏の自宅
のベッドでのシーンは、だんだんカット割りが大きく襖から見た父の顔
と隣の部屋から見たベッドの一部と翔太のミディアム・ショットのカット
バックで二人のショットから引き離していく。シナリオではそれを聞いて
いた母(宮崎淑子)が耐えられず家の庭木に逃げるとあるが、完成品
では、家の前の川の夜の土手に走っていく。この土手はラストで母と
息子が和解するシーンで使われている。
 この監督は、構図の組み方が力強く又ラストカットに木彫りのカワセミ
がテーブルに置かれているショットでエンドロールを出す繊細さもあり
たえず映し出す風景に人を配置して映画を創っている。
 映画全編そうだし、過去のものすごい数の短編映画もそうであるよう
に大事なシーンをアップで人物を撮っていても背景に夕焼け雲や雑踏
の人の足を入れたり、風景の中に芝居を配置する。
これは、大変なことで現場はそのために修羅場になる。その瞬間に
みんなの息が揃わないと次の日となってしまう。まして低予算の瀬藤
さんの現場では、許されない。怒号が飛び交う。今回よくやったと思う。
 そして妻をがんで亡くしている瀬藤さんがこの映画で家族のわかれ
を描いて、その死すら日常の雑踏や夜の木立の葉音や蝉のなく夏雲
の地球の営みのあくまで一環として見つめて映像化することに成功
している。この家族の死を普通の風景として扱うことでより悲しみが
ましてしまう。山口出身の監督は、50過ぎて長編映画にやっと辿り
ついた。どうしてこういう人がもっと一般公開映画を撮れないのだろう。
この年森田の「ハル」や周防の「Shall we dance?」「絵の中のぼくの村」
などが公開された。
 僕たちは映画をどのように観ているのだろうか。映画は劇場なりで
公開して見ないとぼくらは、完成品を観ることができない。
目にしないとその映画は存在しなかったことになってしまう。
この映画が10年後も観れたのは、テレビと衛星放送のおかげである。
媒体が増えてどこかでいいものを提供できる時代が近づいている。
大宣伝で小屋にかけてすぐに終わってしまう映画もある中劇場はもっと
考えてほしい。もう流行りの終わった韓国映画をはずれているのに
GWにかけている分お蔵入りの映画がいっぱい眠りつづけているのだ。
最後に付け加えておかなければならないのは、主人公の翔太を
演じた竹内哲哉(現地オーディション)の顔がラストで明らかに違って
いる。特に目を見て頂きたい。何かを手に入れた力強い少年になって
いる。やさしさを知っている目なのだ。この目をもった子供は、親を
刺したり、放火したりしない。ぼくたちは、どうすればこの目を取り戻せる
のだろうか。



 

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by stgenya | 2006-07-17 07:24 | 映画・ドラマ

明日の記憶

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  明日の記憶。
 いい芝居しているとか、俳優の演技がよかったとかよく言うが
映画にとって「演技者」とはどういうものなのか。この映画は示唆
してくれる。
 渡辺謙が「明日の記憶」という原作に気に入って、主演と製作
も兼ねてマスコミに広く露出して宣伝までかってでてヒット作と
なった。確かに渡辺謙の主人公になりきった演技は迫力がある。
 俳優が演技に入り込むと、ある瞬間本物じゃないだろうかと
勘違いしてしまうときがある。ダスティン・ホフマンやM・ブランド
などの諸作品にみられる。
 この渡辺謙の場合もそれに近づいてドキュメンタリーかと思え
るほど迫真の演技である。今日本で一番脂の乗った役者だし、
病気含めて辛い体験がこの原作の若年性アルツハイマーという
題材にのめり込んだ理由だろう。
 演技を突き詰めると真実になる。映画の場合創作であるから
演技者が本物になるとそれは、ドキュメントには当然ならない。
実は、ドキュメントの人間以上の役になる。
これは、俳優というショウバイの人間にしか与えられない特権で
あり、幸運である。
 名画というものを思い浮かべてもらえばわかる。
「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーン。「東京物語」の笠智衆。
「ゴッドファーザー」のM・ブランド・・その人以外に考えられない。
 名作と名優とは、表裏一体。現実のマフィアの親分よりあの頬
の膨らんだブランドでぼくらはあの映画とその世界を共有している。
これは、役者が永遠というフィルムの時間に焼き付けられたことを
意味して時代の記憶にいつまでも残っていく。
 では「明日の記憶」の渡辺謙はどうか。
演技は確かにすばらしかったが、天秤のもうひとつの重石である
作品が釣り合いがとれなかった。決して悪くはなくいい作品だけど
名画の域ではない。それは、「トリック」の堤監督の力量というより
シナリオだったと思う。病気が進行して娘の結婚式まではなんとか
なるがやがて最愛の妻のことも忘れてしまうところで終わる。
 作品とは、こういう状況になったら人間はどうなるだろう、という
もうひとつ話を掬い直して、構成を練らないと感動を呼ばない。
名作「生きる」で余命幾ばくもない役所の課長が最後にどう生きた
かで、シナリオは話の後半主人公が死んでしまってからのみんな
のそれぞれの主人公に対する思いから、公園のブランコという結論
にぼくらは感動するのだ。
 病気がこのように進みました。本人は見っとも無く足掻きながら
妻の支えで乗り越えていきました。これでは、再現フィルムなのだ。
夫の闘病に立ち会った家族は、もっと矛盾したものだし、もしかしたら
殺めてしまいたいという衝動にかられるケースだってある。
でも亡くなって時間がたてば、それすら懐かしくなる。(私的な経験上)
だからもっと構成を練ってせっかく名演技をしているのだから
この話から人間って、夫婦ってどうだろうという視点がほしかった。
でも「寝ずの番」しかり、「恋するトマト」しかり俳優が体を使って
マスコミを掛け持ちつくった映画をヒットにつなげて行こうとする姿勢
は、日本映画にとって悪いことではない。がんばってほしい。
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by stgenya | 2006-07-07 14:25 | 映画・ドラマ

真昼の星空


二年前に完成した映画。プールの中の泳ぐ映像から始まり、沖縄で台湾から逃げて来たワン・リーホン扮する殺し屋の怠惰な日常が描かれ、弁当屋で働く鈴木京香に心を奪われていく。彼女は夜は工事現場で働くワケありである。又ワンのいくプールのアルバイトの女の子香椎由宇も彼に恋心を抱いていて、不思議な三角関係になる。映像に凝っていてセンスがあり、ワンの役者として存在感が独特で詩的ですらある。
しかし映画的であるか、と言ったら疑問である。幼い頃別れた母親に対する思慕をワンの京香に重ねてみたりするがこの三角関係で香椎の描き方がまるでわからない。静かでスタイリッシュな語り口に少女マンガの中身と落ち。やや岩井俊二ににているが、三人の心の彩が紡ぎだせてない。中川陽介監督は十年ぶりに撮った新人であるらしい。何処の国の映画かわからないような描き方をする人たがもっと本人がどうしても吐き出したいものが見つかればいい監督になるんじゃないだろうか。

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by stgenya | 2006-07-05 14:36 | 映画・ドラマ