<   2006年 10月 ( 3 )   > この月の画像一覧

ブロークバック・マウンテン

 
d0068430_1222479.jpg
アカデミー賞で作品賞を逃して有名なアメリカ映画。
監督は台湾人のアン・リー。独立系ながらベネチア映画祭で
金獅子賞をとるなど国際的な映画際やアメリカの批評家協会賞
なと゜いっぱいとった「心を揺さぶる感動作」と名打つ作品。
 こういわれるとテーマがたとえ反社会的であれ、いやむしろ
反ってそう言われれば言われるほどそういう心を揺さぶる感動
をしたいものである。これは映画を観る醍醐味のひとつなのだから。
 しかし最初に言ってしまうが、ピクリとも心が動かなかった。
ハンカチどころか、涙も笑いも出てこない。
本当に映画宣伝っていうのは、当てにならない。
また近年の「ベネチア映画際」というのも当てにならない。
この30年で映画のマーケットがアメリカ映画に飲み込まれてから
は、国際映画祭は「カンヌ」だけになったと言っていいくらいレベルが
下がった。恐れずに言うならいい映画だがタケシが獲るくらいだから。
 いいワイオミングの風景といいウェスタン調の音楽。
はじめの二人が牧童職で出会うところの初々しさは、なかなかである。
丹念に描く羊追いの描写、雪の積もる山々の景色。
テントひとつと補給の豆缶で野宿するふたりの青年。
この映画の特色はこの中で単に友情を超えた愛の姿を描くだけでなく
中盤から街にそれぞれが帰ってイニスは、結婚して二人の娘をもうけ
ジャックは、ロデオで知り合った資産家の美人馬乗りと結婚し又
息子をひとりもうけてしまうことから悲劇がはじまることにある。
 あるとき久々に出会った二人は、昔の関係に戻っていく。そして
当然お互いの家族に不調和が生まれて不幸な結末に向かっていく。
さてどういう映画にしろ、たとえその趣旨や趣向がなくてもいい映画
というものは、何か人を感動する力を持ちえる。
極端に言えば、いい映画或はうまい映画は、知らない国の知らない
言葉の映画でも人をきちっと描いていればどこの国の人でも感動する。
 この映画がうまく創っているにもかかわらず宣伝文句のとおりに
ならなかったのは、この二人の男が本当に愛し合っていなかったこと
が大きい。もちろん演技者として。また監督はその二人の関係をその
点でしっかりと映像に焼き付けられなかったのではないだろうか。
 貧しいが幸せだと思っていた女房を不幸にしてまで、またその自分
の子供たちまで蔑ろにしても結ばれたい愛があるなら、その説得力
がどうしても必要ではないのか。
 いい愛の映画は、溝口もそうだし、ビスコンティやトリュフォーなども
しっかりと形は不倫だったりするが、許されぬ愛のかたちを熱く描いて
感動させる。簡単に言えばお互いが見詰め合っただけでその渦中の
反社会的な事柄が乗り越えられるくらい真実味があれば足りるのだ。
 シナリオ的には、初めて再会するイニスの家の前でいきなりキス
して妻に見つかったしまうのも芸がない。たとえば釣りから帰ってきた
ときとか、魚の土産がおかしいとかもっと順番を積んだ方が妻の
不審に気持ちが入っていくだろうし、又別れ別れになっているイニス
とジャックがその20年の間にだんだん抜き差しならない気持ちに
なっていく過程があれば、ジャックが殴り殺されたと知ったラストで
もっと感動するように思う。
とにかくきれいにうまく作っている映画だが、中身の熱さをしっかりと
映像にできていれば宣伝文句の通りの映画になっていたかもしれな
いが、ここまでリアルにやったからいいだろうという甘えがアン・リー
にあったかどうか・・・・
 やっぱりどんなものでも映画は、映画館を出た後暗い夜道を歩き
ながら何かこころに残るものを持って帰りたいではないか。
衝撃的な何かだろうが、ハートウォーミングな何かだろうが・・・
[PR]
by stgenya | 2006-10-19 12:01 | 映画・ドラマ

ヨコハマメリー

d0068430_13442973.jpg

 中村高寛監督の「ヨコハマメリー」。
これは、ドキュメンタリー映画と名乗っているが、きわめて巧みに
組まれた「ハマのメリー」をめぐる劇映画である。
最後に驚くラストをもっているトリック映画と言っていもいいだろう。
 ここではこのドンでん返しを言ってしまっては、まだ見ぬ人のため
に掟破りとなるので控えるが、これは、なかなか最近の映画では、
味わえないほど心地いい騙され方だ。
私的には「シックスセンス」以来である。
 30歳の監督にとってこの白塗りの老いた街娼を映画にしようと
思ったときには、もう当の本人がヨコハマから姿を消していた。
正確には、95年に姿が見えなくなった。
 映画は町の人たちの噂話からはじまる。どうも高齢になって故郷に
帰ったらしい。昔は、米兵相手のはぐれの街娼だった。皇后さまとか
きんきらさんとか呼ばれていた。メリーと呼ばれたのは、ここ20年
だという。その最後の影ながら面倒を見ていたゲイボーイでシャンソ
ン歌手の永登元次郎との交流を縦糸に紡いでいく。
本名も明かさないメリーさんのかろうじて動く映像がその元次郎の
コンサートに花束を持ってきた荒い一瞬の記録映像でしか出てこない。
かつてメリーさんの元気なころに映画にしょうとしてぽしゃった福寿
プロデューサーたちの途中まで撮った映像があったハズがその撮
済みが行方不明になってそれもない。
 よくありがちなつまらないドキュメント映画のように対象に迫れない
とその周辺のことや人にカメラを向けていく。
そこから戦後のヨコハマが時代考証的に語られる。
脚本家杉山義法や五大路子、団鬼六、山崎洋子、広岡敬一そして
写真家森日出夫の唯一街娼「メリーさん」を捕らえた写真が間に
挿入される。
 後半元次郎さんが末期がんになって治療しているところやその
自分の母親との別れた人生談に話が動いていき、映画の冒頭の
今は亡き「永登元次郎、杉山義法・・」に捧ぐという字幕を見ている
ぼくら観客は、メリーさんに肩入れする元次郎の歌に感動する。
こころから歌うその人生の思いがメリーと自分の母とに重ねてられて
情緒的である。
ただこのままだと原一男の「全身小説家」の二の前かと思う。
井上光晴という末期がんの小説家を追っていきながらどこに落とし
どころをもっていっていいかわからず佐賀の出身がたどれば、
朝鮮だったという虚言癖のあった井上の不確かな話に持っていこう
とするがそれが衝撃の事実にもならず井上という作家の実像に
迫りきらないうちに映画は、井上の死でおわってしまう。
この「ヨコハマメリー」は、最後にそこに陥らず、ラスト故郷に帰った
メリーさんからの手紙で元次郎がそのメリーがいた筈の老人ホーム
で慰問コンサートをひらく・・・・・・
 ただこの映画は、普通時間を字幕等でいつどこでと知らせるという
ドキュメントの手法を飛ばしているのでこの驚くラストができたが、
実際は「ヨコハマのメリー」という気位の高い、父親が亡くなって娼婦に
なった動機や米の将校が忘れられず横浜に居座った経緯など
その本当の正体には、迫っていないのだ。
そういう意味では、優れたドキュメントとは言えない。
映画をよく知っている若い中村高寛のドキュメント劇映画である。
あのオーソン・ウェルズの「市民ケーン」で使われた「ローズ・バッド」
と同じ作用を「ヨコハマのメリー」は果たしているといえる。 
[PR]
by stgenya | 2006-10-16 14:51 | 映画・ドラマ

ククーシュカ

d0068430_9562984.jpg

 ククーシュカ~ラップランドの妖精~
アレクサンドル・ロゴシュキン脚本監督のロシア映画。
モスクワ映画祭最優秀監督賞受賞。
戦争と平和と人生についての静かな喜劇映画である。
「世界は、完璧じゃないが、人生もまんざら捨てたものじゃない。」
こんなセリフが語られる。
 フィンランド最北の地ラップランドで逃亡兵のロシア人イワンと軍に
合わず置き去りにされた若いフィンランド兵ヴェイッコとがサーミ人
の女アンニのところへ転がり込む。
はじめに誤爆で負傷したイワンをアンニの献身的な介護で救い、
最後は撃たれて死の淵まで行ったヴェイッコをアンニの土俗宗教
的祈祷でこの世に生還させる大クライマックスが待っている。
人間が本来オオカミやトナカイと同じこの地球の生き物だと
諭してくれる映画である。 
 この映画が面白いのがロシア語、フィンランド語、サーミ語の
三つがそのまま無変換で物語とともに進行するところだ。
お互いに理解できないまま怒ったり笑ったりする。
そして生きるための仕事をこの現地人の若女房のもとふたり
の大の男がさせられる。
兵役で数年夫が帰ってこないアンニは、男がほしい。
逞しいヴェイッコに迫り、一晩中セックスに耽る。アンニの
激しい喘ぎ声だけが聞こえる湖畔のほとりの木の小屋の
ロングショットは滑稽だが、美しい。
 一方この原始的な生活に馴染んできたイワンは、そんな
ヴェイッコにいつの間にか嫉妬を抱くようになる。ある時
戦闘機が近くに落ちて銃を手にしたイワンは、過って
ヴェイッコを撃ってしまう。そして死の山へ導かれる
ヴェイッコを救う犬の遠吠えの祈祷がはじまり、かろうじて
生き返ってくる。この後アンニは、イワンをベッドに誘い、
祈祷の疲れも忘れて又性の歓喜の声をこだまする。
美しい風景。
やがて戦争は終わり、ふたりの男は、右左へ別れて
それぞれ国に帰っていく。
そろそろ冬がはじまろうとするラップランドの山で女
アンニは満足そうに双子の男の子と並んで海を見つめる
ところで終わる。
昔戦争があって、敵味方の兵隊が来て、一緒に暮らした。
女は、この土地から離れずそのどちらかの子孫を産んだ。
たぶんその子らは、ヴェイッコやイワンと同じように生きる
ために岸辺の仕掛けにかかった魚を獲り、薪を集め、
トナカイの乳しぼりをさせられるだろう。
そうしてまた時代は過ぎていく。d0068430_114304.jpg
 ククーシュカとは、ロシア語でカッコーを指し
又狙撃兵を意味する。最果ての地でひとり
暮らしのアンニは、カッコーと渾名されたと語る。
生の営みをこれほど清々しく見せてくれる
映画も珍しい。金や名誉、策略、独占、陰謀、
権力、地位と言った物語のテーマをすべて
洗い流して、本来の生の源に帰った性の営み。
ある意味おとぎ話のようで極めて現実的な肌触りの映画に
なっている。 監督のロゴシュキンは、レンフィルム出身で大衆
映画が得意と聞く。
土俗宗教がでてくるキリスト教国の映画といえば、スウェーデン
のベルイマンの「処女の泉」を思い出すが、ここではもはや邪教
との対立という捉え方ではなく、サーミ人の風習で命が助かる
という大らかな立場をとっている。
ソ連時代に一度宗教を捨てさせられた国で生まれ育った監督
の新しい眼だと理解すればよくわかる。
 それにしてもこの映画が成り立つには、クリスティーナ・ユーソ
というラップランド出身でいまもそこでトナカイを飼っている女優
を見つけたことが大きかったと思う。この美人でもセクシーでも
ない本物のサーミ人がその自らの美しい心で画面に記録された
ことが何よりも貴重だった。
だれでも男だったら、このカッコーに捕まってしまうかもしれない。
[PR]
by stgenya | 2006-10-06 11:41 | 映画・ドラマ