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佐賀のがばいばあちゃん

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 テレビドラマなどで活躍してきた倉内均がメガホンをとった小品。
しかしよくできていてホール上映に近い公開だったのがみるみる広がり
ロングランになっている。
 同じ吉行和子の主演で老人介護の映画があったが、それよりも興行
的に成功した。原作は、島田洋七の自伝的小説を映画化。
 テレビの製作会社がこれを自主制作の形で大量投資大量宣伝の局
入り映画と違って、地味につくり手作り上映となった。
時代ものでオープンセットがそれほど立派にできなくても(三丁目の夕日
のように大々的に美術費に金はかかっていない)佐賀での地方ロケが
よく撮れていた。そして母親から引き離されて一人九州の田舎の偏屈な
祖母のところで徹底的に貧乏な暮らしをさせれられる少年時代がしっかり
と描かれている。この映画がうまくいった要因のひとつは、子役である。
計三人の子役が一人の人物を演じる非常に細かい配慮になっている。
小学生低学年から高学年、そして中学生と年代記的に話が進んで
いく。そして子供は、よそ者でいじめられたりするけど、どんどん
逞しく育っていく。
 運動会の件は、そのピークに位置し、この監督が子供の演技に粘って
きちんとカメラに収めたことがなによりもよかった。
映像も話もそれぞれ文句のつけようがいっぱいあるが、映画一本見終
わって、この少年とがばいばあちゃんとの心の交信がしっかりとできて
いるので気持ちのいい感動に満たされる。
映画は、SFXをいっぱい使って見たこともない映像をこれでもかと見せ
られるより、映画が劇映画として何かを観客にもたらしてくれることの
方が本来的には飽きずに観客を映画館へ足を運ばせることになる。
よい映画は、どこか運というものがつく。
 そう狙っていたのではなく、たまたま世の中の話題が映画に近づくと
ということがある。「天国と地獄」の上映のときに「吉展ちゃん事件」が
おこる。いまいじめの問題がこれだけ騒がれいているときにこの映画
がロングランというのも作品がもつ運だと思う。
 家の下の川でばあちゃんとお母さんのところへ帰ることになった
少年とが眼を合わせず別れるシーンはとても印象に残る。
一本ちゃんと通ったいい映画がきちんと評価されなければ日本映画
の復活など本当の意味でない。
これらを創っていく人たちが生活しながら映画を作り続けれられること
を望みたい。
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by stgenya | 2006-11-27 16:47 | 映画・ドラマ

ミュンヘン

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 「ミュンヘン」スピルバーグ監督作品。
 1972年ミュンヘンオリンピックで実際に起きたパレスチナゲリラによる
11人のイスラエル選手殺害事件。いわゆる「黒い九月事件」を核にして
モサドによって五人のテロ首謀者を殺害する秘密組織がつくられ復讐する
ストーリーをユダヤ人であるスピルバーグが製作監督した。
 映画として長すぎる印象をもった。
映像をつくることに関しては、天性の才能をもっているスピルバーグだけに
飽きさせず最後まで引っ張っていく。ただこの作品から何を喚起されるだろう
か。殺し合いは虚しい。復讐は復讐を呼ぶ。
 こういう風に簡単に言えてその重みをこの映画から感じ、恐怖と良心回帰
の感情にあふれ身震いするほどではないのだ。
これは、「宇宙戦争」や「ターミナル」のときに感じたものに近い。
明らかにスピルバーグには、エンターテイメントの傑作の他に社会的な
テーマを扱った「カラーパープル」「アスミッド」などの意欲作があるが、
その作品群に入る。
 「シンドラーのリスト」と「プライベートライアン」のような成功作にはなら
なかった。それは、どこに原因があるのか、たぶんこの衝撃的な事件を
ユダヤ人として商売抜きにやろうと何年もかけて準備していて、その間に
9.11が起きてしまった。そして二つの戦争でアメリカが又病んでいる。
復讐は何をもたらすのか、しかし世界は、力で成り立っている。
 ここにスピルバーグは、主人公のアフナーに何を託せばいいか、迷った。
その迷いと戸惑いが最後のニューヨークのツインビルがある風景に辿り
つく。見終わったぼくらも暴力に対する姿勢をどう受け止めていいか、
戸惑ってしまう。「シンドラー・・」のように感情が落ちない。
被害者としてのユダヤ人が今暴力による復讐により、加害者になっている。
この連鎖は、新しいテロを生むだけで虚しくつらい。しかしここで力の行使
を捨てると自分が又抹殺されてしまう。
 ここには、ヒットラー対ユダヤという公式は、当てはまらない。
そしてこの映画を観ていて、つらいのは、現在の日本ですら犯罪被害者
に対する問題というのが切実である。
暴力というものにどう人間は対処していけばいいのか、
 現代は、過去のように加害者にも貧乏とか、境遇とか同情されるべき
社会的に掬い上げる理由がなく単に快楽とか、孤独とかから人を殺めて
しまうケースがある。
これは、実は大きなテーマなのである。
これを映画にするには、この問題の本質に作家は迫らなければならない。
迷って殺風景な河川でため息つくだけでは、掬い上げられない。
 エンターテイメントのスピルバーグとしては、この話を「荒野の七人」みたい
にそれぞれ車両のプロのスティーブや爆弾屋のロバートとか、文書専門の
ハンスなど人が集まりそれぞれの性格で話をすすめ、パリの情報屋や
女刺客などスパイアクション満載なのに話がドキュメントなのでこれが
弾まない。撮影も3カットぐらいをクレーンやミラーに移してワンカットで
流れるように描いていく。
ここにあるスピルバーグの映像文法は、自然でほとんどカメラを意識させ
ないまでになっている。天性の映画小僧の達人技とでも言える。
しかし迷っている心は、そのまま自然に画面にでてしまうのだ。
これから先スピルバーグはどこへ行くのか。
コッポラのようになるのか、誰も行ったことのない映画小僧の域にゆくのか・・
ずっと見守っていきたい。
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by stgenya | 2006-11-16 16:51 | 映画・ドラマ

父親たちの星条旗

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'FLAGS OF OUR FATHERS'「父親たちの星条旗」
  クリント・イーストウッドの監督作。製作スピルバーグのDreamWorks。
脚本には「クラッシュ」のポール・ハギス、ウィリアム・ブロイレスjr。
原作は実際の主要人物の衛生兵゜ドク゛の息子が父の死後書いたもの。
長男のジェイムス・ブラッドリーと著述家ロン・パワーズ。
 監督になって一番安定した作品になっている。
ハギスが途中から脚本に絡んでいるから時間軸を3つに区分して
全体の構成をつくっている。
  ファーストシーンの衛生兵だった父親ブラッドリーが倒れて死ぬ
までの現在と回想の実際の硫黄島の戦闘場面、そして終戦間際
写真のモデルとして米各地を凱旋広報していく時代。
 この映画が強く観る者のこころにしみ込んでくるいい作品になって
いるのは、監督のつよいペスミスティックな怒りが貫かれているからだ。
  あのビューリッツアー賞をとったローゼンタールの硫黄島に旗を立
てる写真にまつわる真実の物語。本当に最初に旗を掲げた英雄は
自分たちではなかった。その前に旗を立てた兵士がいた。しかし
二度目に撮った写真が残り評判になった。そしてその事実は政治的
に隠されヒーローとして戦争の軍資金の国債を国民に買ってもらう
政策の広告塔になった。そして原爆投下を早め戦争を終わらせた。
  「本当のヒーローは、自分たちではなく硫黄島で死んでいった戦友
たちだ」とブラッドたちは言うがそれは彼らの賛辞になるだけだった。
 イーストウッドは、最初のナレーションて゜「戦には勝った者も負けた
者もなく、ただ悲壮感があるだけだ。それは実際にそれを味わった
者しかわからない」という。
 ここでいままでの「許されざる者」や「ミスティック・リバー」のどうして
こんなに突き詰めて悲しさを描くのだろうという疑問が少しわかった
ように思う。戦争は、ボクシングより明確に人を殺すという行為に近い
仕事である。戦場で敵を前に銃を撃てる確率が実に20%だといわれ
ている。これを訓練で高めたベトナム戦の帰還兵で戦後精神障害が
増えたという。人が人を殺める行為の現場は単に陰鬱な風景でしか
ない。少なくとも普通の人間にとっては。
イーストウッドはそのことをよく知っているのだと思う。
  又ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ、
バリー・ペッパーポール・ウォーカー、ジェイミー・ベルといった若い
俳優たちがすばらしい。余計な演技がなく素直に演じている。
その無名に近い主人公を演じる俳優たちのワンテークの演技
が心にひびく。イーストウッドは準備をしたらテークを余り重ねない
ので有名だが、こういうことができる人を映画監督というのだ。
 そしてエンドタイトルでそれぞれの人たちの実際の当時の写真が
出てきて涙が止まらなくなった。
 あまりに実際のひとたちと俳優が似ているのだ。
それだけイーストウッドがこの映画のために自分で徹底して取材と
インタビューをしたということの証だ。
  つぎの「硫黄島からの手紙」がたのしみだ。
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by stgenya | 2006-11-05 12:29 | 映画・ドラマ