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センチメンタル・アドベンチャーHonkytonk Man

 
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Honkytonk Man。1982年クリント・イーストウッド製作・監督・主演。
ここでクリント・イーストウッドについて書こうと思う。
実は、「硫黄島からの手紙」で28本の映画を監督している。
黒澤明が生涯に30本の作品を80代までに残したことを
考えると、もう立派な映画監督である。
 「ローハイド」と「ダーティー・ハリー」のイメージが強いので
いつまでも俳優の印象が消えない。でもここでとりあげる作品を
見ると彼の監督としての素質を十分に認識できる。
 1982年。「恐怖のメロディ」(マルパソプロ製作)から11年目。9作目
の監督作。「荒野のストレンジャー」「ガントレット」などのB級ヒット作
を脱して初めて情緒的な映画を撮った。実の息子のカイルとの
共演でしみじみとしたロート゜ムービーなのである。
 西部の田舎町に砂嵐が来て、兄弟の家に飲んだ暮れた自称歌手
のC・イーストウッド扮するレッド・ストーバルが帰ってくる。
車の中にある私物と言えばギターだけの着たきり雀の流れ者。
Honkytonk Manという原題は、安酒場に集まる流れ者という意味らしい。
そしてこの原題のカントリーソングが最後まで流れて涙をそそる。
 何もない貧乏な農家、兄の子供と父親をつれてナッシュビルの
グランド・オール・オープリーのコンテストに選ばれたイーストウッドが
ナッシュビルまで3000キロの旅に出る。
 途中貸した金を貰おうと友人のところに寄ると金がなく、賄いの小娘
を押し付けられる。そして居場所がなくついて来た父親も年と貧乏に
疲れて生まれ故郷に帰るといなくなる。
 しかもイーストウッドのレッドは、肺病がどんどん激しくなり、肝心の
オーディションで最後まで持ち歌を歌えない。
行き場のない流れ者だけれど、俺には、ギターと夢がある。
この辺は、「バリ・テキサス」のテーストで「スケアクロウ」的である。
 最後にレコードを吹き込む途中で亡くなるレッドを簡単な埋葬して
子供のホイット役のカイル・イーストウッドとレッドの子供を宿した
賄いの少女がwalk awayしていくとこでクリントの切ないHonkytonk
Mantが流れて終わる。
 どこかでレンタルやであれば是非見てもらいたい小品である。
つまりクリント・イーストウッドは、アメリカン・ドリームに破れた
彷徨う男を描きたかったのである。
 人生は、思ったようには行かない。でも一度彷徨いの味を知った
人間は、その夢を追い続ける。この場合歌だけど、レコードで
叶わなかった夢が少女の妊娠にある意味託される。
切ないが救いのある映画になったのもここにあったように思う。
 つまりこの映画でイーストウッドは、敗者に対する静かな目を
もったように感じるのである。
それは、後半の「許されざる者」92年「ミリオンダラー・ベイビー」
や「硫黄島からの手紙」へとつながっているように思える。
 この激情しない静かな演技とラストシークェンスに涙がとまら
なかった。この人の才能は、もうこのときに芽生え始めていたんだ。
 それにしても息子のカイル・イーストウッドは、今40近くになって
いるのだろうが、どうしているんだろう。
因みにクリント・イーストウッドは、このとき50才だったのだ。
まだまだ人生はこれからだと教えられる一品だった。
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by stgenya | 2006-12-29 21:54 | 映画・ドラマ

007カジノ・ロワイヤル

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 007シリーズの最新作。「007カジノ・ロワイヤル」
  これが21作目である。珍しく息の長いシリーズ映画である。
ショーン・コネリーから次々と替わる主役ジェーズム・ボンドの中でも
最もブーイングが多かったダニエル・クレイグが、いざ映画が完成したら
なかなかいいという前評判になって、評論家の中には最高傑作といって
過言ではないとコマーシャルする輩も出てくるぐらいにハマッた。
 いまの日本でマトモな映画評論家がいなくなって久しく、すぐに最高
傑作なんかいう奴は映画会社から金貰っていると考えていい。
では、この映画はどうか。悪くない。さすがに看板シリーズだけあって
筋肉番付ばりに楽しめる。
 ダニエル・クレイグもだんだんハマッてきて、カーク・ダグラスとS・
マックィーンを彷彿させる風貌に見えてくる。このシリーズは原作の
設定がしっかりしていて、「寅さん」が旅情、恋、笑いの三拍子なら、
こちらは、旅情、恋、アクションの三拍子である。この三つをしっかりと
つくりこめばまずハズすことはない。
 それを「スパイダーマン」でソニーの本業の不振を救ったように、
コロンビアのドル箱シリーズをもう一度ソニー・エンターテイメントの
商売に乗せた企画の勝ちである。
 まずタイトルバックからデザイン的に凝っていてすぐに引き込まれる。
昔の映画は、タイトルバックにアニメを使ったり面白かった。アバンT
が一斉を風靡してから廃れていった。ここは、復権がたのもしい。
 このシリーズのいい所は、最初からワクワクするようなアクションが
売り物でアフリカの港町の工事現場でそこまで行くかという追いつ
追われつのアクションシーンがいい。CGなんかじゃない体を張った
飛び移りアクションはワクワクさせる。これは何だろう。画面に失敗
したら死ぬかもしれないという緊迫感が伝わってくるのだろうか。
「マトリックス2」の高速道路でのカーチェイスがピクリともしないのに
「ブリット」のカーチェイスの方がハラハラしたように・・・・
 そして空港でのチェイスでは、最後に爆弾が犯人の尻についていた
というオチもいい。そしてカジノの対決。
今回の見所のひとつが敵役のマッツ・ミケルセン(ル・シッフル役)だ。
クリストファー・ウォーケンかジャック・パランスのような風貌で冷徹さ
が伝わってくる。デンマークの名優だそうだが、キャスティングは
合格点だと思う。ボンドガールのエヴァ・グリーンは突出していなかっ
たが、ぎりぎりセイフ。これは脚本の方の影響もあると思う。
 ラストであれだけものすごいベニスの建物を壊すアクションに絡む
ロマンスの帰結だけにもっと前の方から彼女を出すべきだと思う。
今回もまたまた脚本にポール・ハギスが折角参加しているのだから
箇条書きに事件とアクションを並べるのでなく、少し構成を練っても
良かったと思う。(しかしP・ハギスは、ハリウッドの大作の連発で
一行何万ドルだろうか)
 それからもうひとつ内容的な不満を言うと肝心のカジノの場面が
単調すぎる。テーブルを囲む面子の性格などもっと描いて、一手
一手ドキドキする編集もあったと思う。ここが山場なんだから。
 ボンド毒殺未遂が、ボンドが調子よくル・シッフルに勝ってしまった
後にいれればまだドキドキするが、あれでは、テンポが止まってしまい
まだ入れない方がよかったくらいだ。
 しかしこれらを差し引いても1800円(ディスカウント券1300円)で
映画館に行ってみる娯楽映画として結構楽しめる。
 「My Name is Bond.James Bond.」
と最後に悪役を仕留めて、この台詞を言ったアップで幕が落ち、
テーマソングがかかる。ぞくぞくする。
2008年公開の第22作もクレイグ・ボンドだという。女と構成をパワー
アップして帰ってきてほしい。
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by stgenya | 2006-12-21 15:07 | 映画・ドラマ

武士の一分

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 山田洋次監督・藤沢周平原作の時代劇三作目。
映画において俳優の役割の大きさを実感させられる映画だった。
興行映画とは、二枚目がいて、筋がよく、いい画(ヌケ)があって成り立つ。
山田洋次が進んできた映画道もこの本道から一度も離れない。
(あの寅さん映画も二枚目はマドンナだけでなく寅さんそのものだった)
今回の「武士の一分」は、この三要素の中でも二枚目(主役)の選択が
大きかった。
 木村拓哉がいい。俳優とは何だろう。
兼ねがね渡辺謙と役所広司とが日本人俳優としての最高レベルに行って
いると書いてきたが、ここに木村拓哉が近づこうとしている。
では、この映画の中でそれは、何か。
俳優がひとつの役にピタっと入り込んでいること。
言い換えれば見事にその役を生きていること。
呼吸し、その時代の風に吹かれ、その境遇に翻弄され、その一瞬一瞬を
観客と一緒に生きている。そこにある筈の作家や演出家の見えない所作を
微塵も感じさせずまるでドキュメントとして俳優の演技が動いていることだ
と思う。
 東北の下級武士の田舎のお城勤めの青年をその方言が醸し出す特別
秀でた訳でもなくごく平凡な男の人柄として木村拓哉が生きていたことに
いままでテレビドラマや失敗した映画出演作とちがって驚いた。
こういうことができるのなら10年もこの人を映画界が放っておいて松竹と
いう老舗の会社が傾き、あの大船撮影所を更地にしてしまったことを悔む。
 プロの映画プロデューサーが給料貰って何やっていたのだろうか。
野球だって専属契約があり、大物選手や監督を引っ張ってきて会社を
持ち直すのに・・・。
 話はそれたが、この若い俳優をもっと前からいい監督につけて映画を
作っていたら今ごろ木村拓哉は、ブラピやトム・クルーズとコンビのヒット
映画をつくっていたかもしれない。
 まあ、ひとつだけ木村拓哉に関して私なりに不満のあったのは、頭と終り
に特に表現している平素の下級武士の素顔にいつも彼がテレビなどでやる
少し照れて吹き笑いしながら台詞を言う人懐こい演技に、もう一パターン
別の引き出しでやってもらえたら、全く新しいキムタクを見れたと欲張る
のだけれど・・・
 又壇れいの清楚な魅力も書いとかなければならない。
特に島田上司との不義が見つかった日の加世が帰ったと新之丞に顔見せ
するときの襖の壇れいの横顔の艶かしさは、カメラと照明部の職人の為
せる技である。デジタル班に怒鳴ったという長沼カメラマンの気迫が俳優
にも伝わるのである。現場その場は、時間だからもういいでしょ、後処理
でなんとかするからとは行かないのが「武士の一分」である。
 このテーマは、いまの日本に多々ないだろうか。
教育で子育てで行政の場面で、みんなおかしいなと思うことに慣れすぎて
××の一分を忘れて捨ててきたことが今のおかしな事件や人間の満ちた
世の中になっているように思うがどうだろう。
 少し長くなったが、この映画の構成ではじめて山田作品に山本一郎と
平松恵美子という脚本家が加わっているが、難をいうと加世の裏での使い
方が甘いと思う。あれだけの仲のいい夫婦が不義をする過程を逃げて
しまっていることと離縁されてその間どうしていたのか、もっと書き込んだ
方が島田との復讐劇に切実感があったと思う。
またもうひとつ「隠し剣ー」のような決闘に勝つためのアイデアがあると
もっと迫力がでたと思う。
 とにかく人情とさわやかな笑いとを下地にした地方武士の話を快く撮って
いる。山田洋次にもう一度キムタクで次も組んでもらいたい。
伝統ある松竹映画の監督の一分として。
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by stgenya | 2006-12-07 15:29 | 映画・ドラマ