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それでもボクはやってない

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 周防正行監督の11年ぶりの新作。
フジテレビ・アルタミラピクチャーズ・東宝の製作。
3年の裁判所取材による周防監督自らの書き下ろし脚本。
この映画は、つくられるべき野心作である。
いろいろなタイプの映画が存在するが、ここ何十年もなかった
必要な映画(Sein kino)としてこの映画を位置付けることが
できると思う。
 いつまでも客に媚びる映画ばかりをつくっていていいのかと
言われてるような気にさせる映画だ。かつて敗戦の後に溝口が
「夜の女たち」を、小津が「風の中の雌鳥」を、黒澤が「わが青春に
悔いなし」をそれぞれ撮ったように商業映画の枠を超えて今この
時代につくらなければならないものとして作家から吐き出される
映画があったが、今回の周防作品はそれに当たる。
伊丹さんで言えば「静かな生活」であり、そこを通過しないと前へ
作者も進めないものである。
 痴漢冤罪事件をテーマにひたすら痴漢に間違われた主人公
金子徹平(加瀬亮)の警察拘置・取調べから裁判所での判決が
出るまでを丁寧に細かく描いていく。
これほど取り調べと裁判の進行をリアルに描いた映画は観た
ことがない。そういう意味でいうと静かな怖さを孕んだ奇妙な
体験をする映画である。
 監督本人が言っているが、主人公をニートにして、家族職場
の人間関係をできるだけ挟まずに裁判というシステムを凝視
していきたいとした目論見は的中している。
ここに妻子や職場が入ってくると別のドラマがどうしても出てくる。
取調べ調書は、どうつくられ、弁護人はどう入り、判事はどのよう
に事案を判断していくのか、という今まで当然のように映画やTV
で描いてきた法廷劇が全く違ったものに描かれている。
 この映画で言いたかったことは、1/1000の確立の無罪判決
を個人の小さな力ではどうにもならないように裁判所というシステム
がなっているという理不尽さである。
「僕は、心のどこかで裁判官ならわかってくれると信じていた・・・
 ・・・・それは違う。少なくとも僕は、自分が犯人でないという真実を
知っている。ならぱ・・・僕は、裁判官を裁くことができる。あなたは
間違いを犯した。僕は絶対に無罪なのだから・・」という最後の独白
で表される動かしがたい後味の悪さと根底からくる不安。
そしてラストに語られる裁判は、とりあえず裁く場所なのだという意味。
実は、ぼくたちは「とりあえず」という社会に生きている。
真実はいつかは明かされ正直に生きた分きっとかえってくるなどという
ことは、幻想でしかない。友だちも家族も仕事や地位も一皮剥けば、
みんな「とりあえず」なのである。こんな不安なことはない。
でもこの「とりあえず」をわきまえて生きていかなければならない。
そんなことをただただ感じさせる映画なのである。
 長い間周防君の中にたまっていたものがこういう形で出てきた。
何度も書き直された台本には、欠番が後半に行けば行くほど目立つ。
自分の映画を撮るというパトスにテーマが溜まらないと出来ない
タイプの映画監督であると自ら言っているように、伊丹さん譲りの
取材でシナリオを練り上げていく手法は、今回も健在だった。
 そして配役もぴったりと嵌っている。
加瀬君は最後の最後でオーディションで一目ぼれしただけあって
ぴったしだし役所さんは、言うことがなく、途中で代わって裁判官
をやる小日向は、なんとも名優の域。こんな憎らしい奴はいない。
子供の頃僕の婆ちゃんが嘉穂劇場で芝居を見ていて敵役が余り
に憎らしく、みかんを投げつけた話を何度も聞かされたが、あの
婆ちゃんが生きていたらきっとみかんを投げつけるに違いない。
副検事の北見敏之もいい、いい裁判官役の正名僕蔵も大抜擢で
適役だ。キャスティングは北野映画の吉川がやっている。
 演出の確かさとは、配役の妙とそれを生かす力と大本の台本の
骨格の強さをキチッと画面構成できることである。
 また周防監督は今までのコメディータッチと違ってシリアスな映画
をつくったがよく見ると、「ファンシーダンス」から「Shall we dance?」
までやってきた語り口と今回も同じなのだ。普通に生活していた
主人公がある日ひょんなことから未知の体験をさせられ、驚きと
戸惑いとともに知らなかったその世界を少しは理解するようになる
というストーリーラインである。それは、黒澤さんが子弟関係を話の
取っ掛かりとしたようにある意味野球でいえば投手のピッチング
ホームのようなものでテーマを自分の世界へ引きつけるひとつの
やり方と言えなくもない。
 しかしそれにしてもさすがに周防監督はブランクを感じさせず、
新たなしっかりとした映画をつくった。せっかく会社つくったのに新作
を作ってくれない周防君に内心ハラハラしていた桝井プロデューサー
もほっとしているのではないか。
 周防君自身新しい本の内容があまりに地味なのでホール上映も
考えたという。是が非でも今この映画を撮りたいと思ったという気持
ちがよく出ている話だ。
それでもボクは映画をつくりたい!と。
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by stgenya | 2007-01-24 16:37 | 映画・ドラマ

涙そうそう

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 泣ける映画の時流に乗ってTBSが創立50周年記念でつくった映画。
脚本が富良野塾出身で「ドクター・コトー」「優しい時間」などを書いた
吉田紀子。主演が若手の牽引車の妻夫木聡と長澤まさみ。
 まず素朴に映画館で今気づいたんだが、巻頭製作配給の東宝マーク
が出るが、何回か変遷はしているのは、知っていたが中央で゜輝く後光
のブルーのバックが星空だったのが、単純に今はブルーになっていた。
 ついに東宝にもスターが消えていたのだった。
スターをどう育てていくか、各社で競争していた昔と違って現在は非常に
宙ぶらりんになっている。下手すると芸能プロダクションとCM会社に
委ねられすぎていて、使い捨てされる。
 さて、この映画「涙そうそう」は、どうか。よくつくっている。
特に妻夫木がいい。あの明るさで画面の隅から隅まで走り回るニーニー
がいて、この映画の涙の価値がある。そして長澤も少し幼い口調で
意識してしゃべるところは妹としてよかった。
申し訳ないがこの二人でなければ、この今更時代的な話を最後まで
成立させることができただろうか。
(東宝のスターを欠いた映画界からこの才能の二人をちゃんと育てて
 くれるのだろうか。若者の人気に肖り映画とCMで売って金だけ吸い
 取って捨てないように)
沖縄の離島育ちで幼くして母が再婚したために血のつながらない兄妹
で暮らし、義父は逃げ、母も病で亡くしておばあちゃんに育てられる。
その兄は、高校を中退して那覇の繁華街で青果卸で朝から
こまめに働く。妹は出来がよく国立沖縄大学に入学するため勉強し
に兄の家に来る。
ここからドラマがはじまる。シナリオ構成的にはじめにこれらを回想で
話の進行と絡めて説明する。そして兄の恋人、兄の夢の店をもった
ことが人に騙され、借金を抱える。兄の肉体労働。妹の進学の揺らぎ
そして妹の実の父の出現。しかしお互い引き合う成人の兄妹が、
それを意識すればするほど別れて暮らすようになる。
そして兄の病・・・・と○○流みたいな展開。昔だったら松山善三が
黒沢年男と内藤洋子で書きそうな映画だが、いまこれを見て今なり
に解釈すると、ここのところ兄妹映画がつづいているのも、一人っ子
の世の中、兄弟姉妹がある種の幻のメタファーになっている気がする。
自分たちにないものへのあこがれ。そこにロマンティズムを求めている
のではないか。
 またこの作品は、撮影も良く頑張って最後これでもかこれでもか
と泣かせてくれる。この涙が強い感動になるには、もうひとつ掘り
下げ方が必要だったのではないだろうか。
まず貧乏育ちの兄は、店をもってお金を稼ぎたい。母を亡くし父を
知らず育ったニーニーのこころの中はどうなんだろう。
医学生の恋人との関係がすごく曖昧に感じた。
妹を初めてニーニーが恋人の麻生久美子に紹介したときに見せた
麻生久美子の演技は、いきなり女の嫉妬の目になっていた。
ここは、むしろ美しい妹に対する漠然とした不安でよかったと思う。
 またこの構成の欠点は、金が見えないことだ。ニーニーが店を
人の力でもって作りそれが騙されたエピソードで具体的な金の
流れがわからないまま進むから妻夫木の肉体労働の無理が
気持ちで落ちない。嵐で濡れて病気になって・・・エピローグという
のも芸がなさ過ぎないか。
 そしてもうひとつこの映画のヘソだと思うことで製作者たちが落
としてしまったことがぼくはもったいない気がしてならない。
それは、長澤まさみの妹が父に会うシーンだ。
これを省略形で描いてしまったが、実はここに妹の心の変化を
表せたのではないか。父を見つけて、父を追い、一時行方不明に
なって父に失望して又独りになる妹。激しく自分の中から湧き出る
女を隠しきれなくなり、はっきりと血のつながらないとわかった兄
の元へ行く。しかし兄は・・・と出来た筈だ。
この物語は、「伊豆の踊り子」や「潮騒」のように若手俳優の登竜門
にもなりえる話である。頑張っているだけにもっと練りこんでつくれ
ばよかったと思う。
 形だけは整っていても、いじめられたり、虐待されたり、孤立したり
今の若いひとは境遇はさまざまだ。しかしそれでも明るく生きて
行こうとする力。この映画は、いわばニートたちへの応援歌でもある。
 ウォーターボーイズから見ている妻夫木聡は、逸材だ。
スターの言葉の似合う明るくてイキのいい二枚目男優である。
 彼がこれから大人の役にどう変化していけるか、注目したい。
今回の彼も生き生きとして素晴らしかった。ほんの少し気になった
のがTシャツの腹が出っ張ってきたことだ。早くスターシステムを
確立しなければ、間に合わなくなってしまうよ。
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by stgenya | 2007-01-19 12:14 | 映画・ドラマ

硫黄島からの手紙

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 クリント・イーストウッド監督28作目。「父親たちの星条旗」の姉妹編。
  アメリカ人が初めて日本人をナチュラルに描いた戦争映画。
多少の脚本上の人物説明が複雑でも戦争というものに正面から
切り込んだ秀作だった前作から今度は日本編だというのでかなり
期待して見に来た客の中にあまりにドキュメント風なので戸惑って
劇場を出て行くカップルの姿があった。
 はじめから言ってしまうが、感動巨編を、「シンドラーのリスト」なん
かを想像してきた人は、肩すかしされる映画である。
 丁寧に日本兵が何もない硫黄島で追いつめられて約2万8千人
もせん滅するまで描いて、人間の戦場での様々なタイプを表現し
ていく手腕がしっかりしている。
しかしシナリオ的に「手紙」がどうこの映画で構成されていたか、
何よりも立派だった栗林中将の家族に当てた手紙がこの物語
の進行役をし、最初に現在の硫黄島の発掘隊が掘り起こす
栗林の手紙やメモの入った袋で明かされる戦場での真実や実態
のようなものがうまくキーワードとして活かせればよかったが、
そうはならなかった。
 むしろ日本兵によって手当されたアメリカ兵の持っていた手紙
の方が感動的だった。その息子を無事に帰ってくることを
願った母親の手紙は、終盤で疲れきった日本兵たちの涙して
聞いている姿と交差して胸に迫る。
 アメリカに住んだことのあった栗林の絶望的な状況での司令官
としての力量と人間的な対処のしかた。
 玉砕を強要するが自分は最後まで生き残る中村獅童の軍曹。
オリンピック選手だった上官は、最後の最後で捕虜のアメリカ兵
に情けをかける。これは美味しい役だが、あの愛馬を玉砕の島
に本当につれてきたのか、馬好きとしては史実を調べたい。 
憲兵を犬を助けたためにクビになった加瀬二等兵が戦争に
懐疑的で最後に投降して捕虜になるがアメリカ兵に撃ち
殺される。そしてそれらを生き証人のように最初から最後まで
見てくる元パン屋の二宮の西郷二等兵。
 栗林の手紙、西郷の手紙、捕虜の手紙とこれらをつら抜く
家族への思いと家族の出征兵士への思いを一本にできれば
確かに感動作になっていただろう。
 しかしイーストウッドは、そんな作り話をやりたいと思わな
かったのではないか。資料を調べていくうちにこの戦争の
悲惨さをできるだけありのままに作ろうとしたのではないか。
それがこの映画をドキュメント映画を見終わった感じに
させたように思う。
「Honkytonk Man」で死に行く者への思慕を描いたC・
イーストウッドの本能がめんめんと貫かれていて、玉砕する
人間への静かな観察者になっているように思える。
彼の血の中には、確か4つの民族の血があってその中に
スコットランドの名家の流れをくんでいた。
その地には、立派な大人になることは、study to be quiet
という諺があるが、まさに彼の現在の映画の骨格になっている。
いわゆるB級映画をやって来てハリウッドで富と地位を築いた
彼がいま大人の映画を作ろうとしている。
そこを見逃さないで見ていこうと思う。
因みに今回の「硫黄島からの手紙」で音楽を担当している
のがいつものイーストウッドだけでなく息子のカイルが加
わっている。Honkytonk Manのあの少年だ。
そしてさらに脚本のポール・ハギスが一番おいしい%で映画
の上利を貰えるエグゼクティブ・プロデューサーになっていた。
だったらもっとまじめに脚本を描いてほしかった。
夜日の丸をあげてなくて憲兵が非国民と怒鳴り込んでくる
ことはない。日の出に掲揚して、日没にしまったはずだから。
あるいは手紙をもっとうまく使って欲しかったね。
資料にまったく目を通さず書いたと告白して悪びれない
脚本家のポールさん。
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by stgenya | 2007-01-03 18:46 | 映画・ドラマ