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ゆれる

 
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「ゆれる」原案・脚本・監督西川美和。
兄弟が他人になるハザマのゆれる葛藤を描いた映画。
この監督の映画を初めて観たが、見つめる力がしっかりしている
と思った。役者を、演技を、そして風景を切り取る力。
 何の先入観もなく感じたことが、「ファーゴ」のコーエン監督に近い
ところが画面の描写力にあるということだった。
余りカットバックのアップを使わずヒキの画にも同じ意味合いを乗せて
人物から距離を置いている。
 たとえば母の一周忌で食事をしていて父親の伊武雅刀と遅れてきた
弟のオダギリジョーがいがみ合うシーンで普通は、Longで位置関係
を見せたら父と弟のカットバックで見せるところを二人のいがみ合うヨリ
のカットの次のヒキのカットに感情を持ってくる。
そのヒキの画面には、兄の香川が腰を低くして客と父をなだめている。
このシーンで家の三人関係をまず見せている。
このとき変なヨリのカットがシークウェンスの最後にくっつけている。
それは、怒る父をなだめたとき倒れたテーブルの上の酒ビンから酒が
兄のズボンの裾に滴り落ちるカットだ。長い。兄は、これに気づいて
いないようで払おうともせず客をなだめている。
ここからこの兄の性格が後半の法廷での兄弟の葛藤につながって
いく。そしてその家でやっているガソリンスタンドで働いている幼なじみ
の真木よう子と東京から華々しい写真家として帰ってきた弟と出会う
シーンでもすれ違うアップでふたりを見せていて、車が走り出して見送る
彼女のロングで感情を表す。
 映像というのは、象徴的な場所を選んだところで勝敗が決まる。
つり橋というのは、テーマとぴったしである。
単純にモテないけど人のいい兄とモテるけどいい加減な弟と、その間で
ゆれる女。でも弟と一夜寝て東京へ行きたいと思う女。
それが判った兄は、女とつり橋の上でもめる。女は、落ちて死ぬ。
 他殺か、事故か・・・後半の裁判劇が兄弟の間でゆれる気持ちを何重
にも紡ぎ出していく。
 香川照之がいい。オダギリジョーが真剣にぶつかっている。
地方都市の狭い人間関係と生活空間をよく描いている。
そこに幼い日に家族で行った同じつり橋の思い出の8ミリが最後で
重要な役割をする。「パリ・テキサス」や「青春の殺人者」でも同様な
使われ方をした古いフィルム。
 ただなぜこのラストで自分は、泣けなかったのか。
確かにいい映画で俳優もよく若い女流監督もセンスがいい。
だけど最後のツメが落ちない。なぜか?
よく考えるとテーマが兄弟の嫉妬心というところに収束して行った
ことが関係しているかもしれない。
三角関係をやるなら、女がもっと二人の兄弟にとってどうだったか
というところが頭端折られすぎている。
又人間というのは、もっと複雑なものだとするなら、後半もっと
人間を突っ込まなければならなかった。
この監督の力量は、ここより上にいけるハズ。
俳優も状況も整ってきている。
もうひとつ上には、さらにもうひとつのつり橋があるハズ。
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by stgenya | 2007-02-27 15:38 | 映画・ドラマ

米国アカデミー賞速報

スコセッシ監督、やっと、初めて監督・作品賞獲る!
2007年米国アカデミー賞

作品・監督賞に「ディパーテッド」のマーティン・スコセッシ。
 主演男優賞フォレスト・ウィンテカー「ラストキング・オブ・スコットランド」
 主演女優賞ヘレン・ミレン「クィーン」
 助演男優賞アラン・アーキン「リトル・ミス・サンシャイン」
 助演女優賞ジェニファー・ハドソン「ドリーム・ガールズ」
 外国語映画賞「善き人たちのためりソナタ」(ドイツ)
 音響編集賞「硫黄島からの手紙」  
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by stgenya | 2007-02-26 14:35 | 映画・ドラマ

ディパーテッド

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ディパーテッド
 マーティン・スコセッシ監督とレオナルド・デカプリオの「アビエーター」に
つづいてのコンビ映画。香港映画「インファナル・アフェア」の米国翻案版。
 二時間半。スリリングで熱い展開にぎっしり詰った快作だった。
舞台は、ボストン南部サウシ地区。ここを根城にしているボス・コステロ
と市警察のマフィア撲滅の特別捜査課との間で繰り広げられるスパイ劇。
 アイルランド系の貧しい家庭に育った若者がそれぞれ警官になり、
方やマフィアに、一方が警察の中枢に偽って入り込み、ハラハラドキドキ
のアクションが始まる。
 この映画を観てスコセッシという人は、溝口の女を描く手法の対極だ
と思った。「ミーンストリート」から本作まで多彩な作品群の中で音楽
映画やコメディーものを凌駕して男のバイオレンスを扱った映画が大
きな柱となってある。歴史ものや社会ものを手がけても、黙っていると
女と女に翻弄される男を描いてしまう溝口健二。
 スコセッシもお金だけ与えて黙っていると男と街の暴力に翻弄される
男をつくってしまう。それほどバイオレンスが好きなのだ。
しかしフィルムノワールの代表的なバイオレンス監督とちがうのが、聖
なるものに対する人間の罪としてのバイオレンス・テーマなのだ。
ニューヨークの厳格なカトリックの家で育ち、聖職の道に行きかけた
経歴があるだけに深いテーマになっている。
 この映画の中心になっているのがボストンのアイリッシュ系のカトリック
家庭で育ったという二人の主人公の設定が脚本のウィリアム・モナハン
のオリジナルで香港版の二重スパイの設定だけ借りて後は、自由に
書いたそうだ。スコセッシは、そこに気に入った。人間は、どうして暴力
から逃げられないのか、どうして神は救ってくれないのか。
あれだけ激しい暴力シーンを切れ味のいい映像で見せる才能を持ち
ながら、隠し切れないピュアな良心へのあこがれと失楽が頭を出す。
 繊細な神経とバイオレンスに獲りつかれた男。
彼が学生時代に撮った短編に髭を剃っていて血だらけになるだけの
「Big shave」という五分のものとただ山に登って朝日を見つめて心
が清らかになる男の10分のものとがあったが、この二本を延長して
いくとディパーテッドにたどり着く気がする。
 それから配役については、女精神科医のビーラ・ファミーガ以外は
すべて絶妙でこれ以上に今の米国映画界ではないのではないか。
マット・デイモンもいいし、ジャック・ニコルソンも絶好調でデカプリオ
は、よく子役からここまで一線で成長しつづけている。
マットとレオと悲しきエリートを演じて見事である。
ただブランドやP・ニューマン、マックウィーンのようなワイルドな味が
いささか足りないように思えるが。
まあ、そこまで行ったら二人とも早死にしてしまうしかないか・・
 そしてカッティングとしてスコセッシは、初めの25分でふたりの若者
の警官になるまでの生い立ちなどをうまく編集しているが、ここで
面白い編集をしている。レオの母が亡くなる前後の話をダメな伯父と
との会話場面に母を看るレオをインサートしている。これは、単なる
回想ではなく、心象風景でもない。よく二時間ドラマである犯人の告白
場面で刃物が振り下ろされるカットインなんかでもないのだ。
あまり今までに他の映画でもみたことがないが、スコセッシがやった
のは、ダイジェストのインサートなのだ。会話やシーンが続いていて
それまでの主人公の心の成り行きに当たるシーンの一部をインサート
する。それも一つだけでなく。つまり小説を読んでいて間に写真や絵
が挿入されていることがあるが、文字を読み飛ばしていきながら、
ぼくらは写真や絵を頭に同時に入れている。これに近い効果を狙った
カッティングである。複雑な展開や話のときに読み飛ばしていき
ながら印象に残るように編まれている。
 そしてもうひとつ。後半になると「羊たちの沈黙」以来サスペンス映画
で使われるようになったトリック編集を今回多用している。
警察でマットがギャングの身分書からレオをパソコンで割り出そうとする
場面とレオがマットのデスクでねずみの証拠の封筒を見つける場面で
このふたつの違う出来事をカットでつなぐとあたかもふたりが同一状況
にいる錯覚に観客は陥り、マットがパソコンでレオの正体を突き止める
のをレオが見つけてしまうようなシーンになる。ハラハラして結果別の
ことをしていたというあの「羊たちの沈黙」でジョディ・フォスターが
隠れ家に入り込んでドアを破って犯人が入ってくるのをカットで
つないで結果全く別の場所でジョディは助かるというあの編集である。
これは、クライマックスで有効なカッティングだ。
 さて、ラスト。しゃべっちゃいけないだろうからいわないが「タクシー・
ドライバー」の生きて表彰される皮肉とがらっと趣向が変わっている。
ラストカットは、窓辺にいる生きたホンモノのねずみだった。
そしてかかる音楽が「スウィート・ドリーム」の甘いギターだ。
これは、個人的には涙が出そうになった。
1981年の自分のテーマソングだったから。
スコセッシ教授、レオとまだまだいけるぞ。よかったね。
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by stgenya | 2007-02-22 14:42 | 映画・ドラマ

市川崑物語

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岩井俊二監督の市川崑監督へのオマージュ映画。
 てっきり新作「犬神家の一族」のメイキングや、市川崑の
ドキュメント作品などと思ったら大間違い。
四年ほど前に岩井のところへ仕事のオファーがあって、南平台
の市川崑監督の家へ通うことになったらしい。
 横溝正史作品初期作品の映画化をいっしよにやろうということ
で岩井と市川崑の脚本づくりがはじまった。
岩井は、どうやってこれを映画にするんですかと聞くと市川崑が
共同監督だよ、と答えた。
 がそれはうまくいかなかった。ちょうど四季の会のときのように
実力監督同士で映画をつくるのは、難しい。
しかしこのときのふたりは、運命的な出会いをした。
キャッチコピーであるように、
「この世の中で一番話の会うひとに出会ってしまった」
角川映画第一作「犬神家の一族」を中学生のときに一日に2回も
観て映像の面白さに目覚めた岩井少年は、市川崑からいろんな
話を聞いた。
 そしてその生涯を写真構成と年代順の作品カットで構成した
「市川崑物語」を自分で編集した。
 この中で一番つよく出ているのは、市川崑と和田夏十との公私
とも一緒だった関係である。
夫婦であり、監督と脚本家である二人三脚。d0068430_16171321.jpg
 ウォルト・ディズニーに憧れて映画監督になった
市川崑と全くの素人で偶々東宝で通訳の仕事を
していたキャリアウーマンの茂木由美子とが恋に
おちて、小さな結婚式をあげ、市川由美子になり、
又偶々次の映画の脚本の直しを手伝ってもらったら
台詞が書けると脚本を依頼するようになり、和田夏十が誕生する。
ここから昭和30から40年代と市川崑の文芸作品ができあがる。
 岩井俊二は、ほとんどこれをラブストーリーのように追っている。
人間の才能とは、不思議なもので名作を書いた和田夏十は、
映画監督と結婚しなければ普通の主婦に納まっていたかもしれ
ない。そう考えると、保育園に向かえにくる若い母親の群れに
何かしらの才能が埋まっているように思えてくる。
 さてこの「市川崑物語」にもどると、確かに市川崑の人となりは
わかるし、岩井俊二の崑カットへのラブメッセージもわかる。
 しかし少しの不満があるとすれば、又しても一人称映画である
ということだった。
あれだけの映像とストーリーテラーとしての才能があるのに
「スワローテイル」から「リリー・シュシュのすべて」などの長編に
自分とテーマとの格闘が決着しないまま一人称映画として終わ
ってしまっているところが残念だった。
 今回も市川崑と私としてつづりながら、黒澤明のことや岩井
映画の逆光撮影のことなど話したとしか語られず、それについて
どんな内容の話をしたかが全くないのだ。
市川崑は、映画を光と影としてとらえて、自分も同感しながら、
二人にとって映画制作とは何か、もっと知りたいところだった。
中身をもっと提示してほしかった。
オリジナルに拘ってきた岩井俊二が原作ものをやるというのは
もしかしてとてもいいアイデアだったかもしれない。
彼にとっての突破口になりうる話である。
さすが巨匠市川崑だ。
脚本・市川崑、岩井俊二、監督岩井俊二の「本陣殺人事件」は
ちょっと観てみたいものだ。
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by stgenya | 2007-02-06 16:12 | 映画・ドラマ