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ママの遺したラブソング

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A LOVE SONG FOR BOBBY LONG
邦題は、あまり冴えない「ママの遺したラブソング」。
 シェイニー・ゲイベル脚本監督作。主演のスカーレット・ヨハンセンと
シェイニーが意気投合して、5年の間脚本を練り製作資金と態勢を
整えて、ジョン・トラボルタ、ゲイブリエル・マックと俳優人たちを
決めて小規模で製作した映画。
  最近のCGオンパレードとリメイクばかりのハリウッド映画に翳りが
でてきて少し食傷気味の人にはおすすめの作品である。
 父も母も知らずに育った少女パーシー(スカーレット・ヨハンセン)は
ボーイフレンドと学校も行かずトレーラー暮しの自堕落な生活を
送っていた。そんなある日実の母親が亡くなったとの報せがくる。
ルイジアナの家へ訪ねると、母の家にはうす汚い中年の元大学教授
のトラボルタとその弟子の小説家志望のゲイブリルがいた。
  クラブ歌手だった母の町の仲間も加わってパーシーと居座った男たち
との間で摩擦が生じるが、だんだん心を開いていき、同居人の勧めで
学校に通うようになる。しかしあるときボーイフレンドが弁護士の手紙
をもってくる。居座っていた男たちには、一年しか家の使用権がないと
いうことがわかってパーシーは、激怒して家を売りに出しトラボルタたち
を追い出すが・・・・・やがて母の遺品から一通の手紙が出て来る。
  もちろんラストは、すぐに想像つく。ただよく書かれたシナリオは、
そんなことを超えて、対立する世代と散りばめられた人生に破れて
地を這い回ってきた人のセリフとにいい酒を飲んだときのように
心地よく心のひだに感応する。
  音楽の使い方がうまい。はじめ浮浪者のような同居人の中年男たち
と生活習慣がまるで違うので衝突ばかりする。その襞がすこしづつ
解けていくのに湖の美しい風景やクリスマスの雰囲気などの映像を
ダブらせてクラシック・ナンバーの一小節をブリッジしてつないでいく。
そしてクライマックスでギターをトラボルタが弾きながら歌うゆっくり
とした曲「知りたくないの」が効果的につづられて選曲が芝居に加担
している。この映画は「ウディー・ガスリーわが心の旅」などに近い一種
の音楽ロードムービーである。
  トラボルタが後年「パルプ・フィクション」以来こんな芝居のできる
役者だったのか、と思うぐらいこの映画でも人生の泥をたっぷり浴びた
中年男を演じている。この役は「恋愛小説家」のジャック・ニコルソンに
通じるものがあり、彼はデビュー時の歌と踊りを太った身体で得意に
こなしていた。
  スカーレットはこの本を気に入って深く製作に関わっていただけあって
巣立ちの危うい崖を歩き出した心に傷をもつ少女を自然に演じていた。
「マッチポイント」の大人の役と又がらりと違った傷つき易い少女を
体現していた。
  俳優が役を演じるとは、どういうことだろう。自然にあるように演じる
とはどういうことだろう。ある一つの型を見つけてもそればかりでは
役を演じ続けられない。
どうすれば自然に存在し具現化できるのか。
スカーレット・ヨハンセンほど若くてそれに近いところを歩いている俳優
はいない。それは生まれ持ったものと人間観察の深さと感情や思考の
振幅の広さに関わってくるものである。
 この南部のテネシー・ウイリアムズに通じる地縁血縁の人間模様。
酒と歌と人生。そして傷みを知っている人だけが真実味をもつやさしさ。
この女流監督は、スカーレットの才能と巧みな俳優たちとでそのやさしさ
を映画の中に火照った夏の草原に吹く風のように描き出していた。
 ラブソングは、娘に歌ったものではなく、恋人に歌ったものだ。
そしてその恋人を通過してラブソングを歌っている母の姿を見せたい
と願う娘への伝言でもある。

 
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by stgenya | 2007-04-23 01:55 | 映画・ドラマ

バージニア工科大学乱射事件

事件速報で中国人と報告が誤りで韓国の留学生だった。
ここに訂正します。
 昨日の午後のアメリカのテレビニュースでは、アジア系から
去年9月入学した中国人と報道してが、今日その身元が
ほぼ確定した。23才の同大4年生チョ・スンフィといい、9年前
からアメリカに在住しているという。

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by stgenya | 2007-04-18 05:29 | 出来事

ブラック・ダリア

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ブライアン・デ・パルマ監督作「ブラック・ダリア」
 「殺しのドレス」「LAコンフイデンシェル」など妖艶で怪しげなサスペンス
を得意とするデ・パルマがジェイムス・エルロイ原作「ブラック・ダリア」を
映画化した。
 ヒッチコックに傾倒して、わくわくして殺人事件を覗き見るようなサスペンス
映画をつくってきて、いつも画面に停滞がなくながれるように最後の顛末
まで見せる手腕が定評だが、今回は、膨大な原作の脚本化と最終編集で
かなりスピーディーに切っている。
 それがある意味物語を説明するのにいっぱいいっぱいだった感がある。
エルロイは、実際に1947年1月15日に起きた有名な迷宮少女惨殺事件
「ブラック・ダリア」を題材に、ふたりの元ボクサーバッキーとハリーの刑事
を主人公にすえて、恋人のケイやハリウッドをつくった大富豪の娘と
その家族などの人物設定を丁寧に創作して、長編推理小説にしている。
 だから事件の犯人の謎解きは、ハリウッドという巨大な富と闇の世界の
家族劇にゆだねて、それに翻弄されるリー・ブランチャード刑事とその妻
ヨハンソン演じるケイのBDの刺青をされた過去や馴れ初めとその凶悪犯
の出所というエピソード。またリーとボクシングで親友になり、父親の介護
費用で面倒をみてもらったバッキーは、事件の鍵をにぎる富豪の女マデリン
との関係で話の筋道を解いていく役目をする。
 ここまで書いても書ききれない人物設定の絡まった糸をどうやって映画
するのか、それが脚本と監督の役目だ。
単純にどこかで省略しなければならない。
そして犯人を追う刑事とその関係者が見えない犯人に狙われていくスリル。
これが足らなかったように思う。
 レズクラブ、エロフィルム、無声映画、口の裂けたピエロの絵と道具立て
はしっかりあり、シナリオ的キーワードは、似ているということ。
殺されたいつも黒服を着ていた女優志望だったダリアに似ているから
会いに行ったというヒラリー・スワンクのマデリン。
やはり被害者に似ていたという死んだリー刑事の妹。これが彼がこの
事件にのめり込んでいく動機付けになっている。
しかし肝心のダリアとマデリンはそんなに似ていないという致命傷がある。
 またバッキーとケイの関係は、ここを示すための道案内役になって
しまっている。実はシナリオ的にはこれが弱いのだと思う。
主人公が殺されかけるほどのサスペンスはない。
語り部の扱いは物語をつくる上で大変むつかしい。
 デ・パルマは、色調をくすませたり、音の入れ方や場面転換のカット
つなぎに工夫をしている。これらはいままでの映画のつくり方の延長線
だが、なんせひとつひとつのシークェンスが短く、カットつなぎも辛いので
流麗なデ・パルマカットにならなかったのが、惜しい。
それにしてもスカーレット・ヨハンソンは、魅力的だ。
彼女が部屋で着替えているところや、入浴しているところに殺人者の手が
のびてくるというハラハラドキドキのシーンがやっぱりあってこそデ・パルマだ。
 実際の事件の被害者は15,6歳の少女だったらしいが、第二のダリア
として狙われるのがヨハンソンという意訳でもよかったのではないだろうか。
どうせエルロイの原作も作り事なんだから・・・・

 
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by stgenya | 2007-04-14 11:38 | 映画・ドラマ