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プラネットテラーin Grindhouse

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「プラネットテラーin grindhouse」脚本・監督ロベルト・ロドリゲス
 共同制作のタランティーノの監督作「デス・プルーフ」と
対になる作品。B級映画への徹底したオマージュ。
グラインドハウス自体がかつて60年~70年代に流行ったB級
映画専門館のことらしい。
未知のウィルスに冒されて街の人たちがどんどんゾンビになる。
それに果敢に立ち向かうのが解体屋エル・レイとゾンビに片足を
咬みちぎられてそこに機関銃を埋め込むストリッパーのチェリー
・ダーリン。本人は、ゴーゴー・ダンサーと言い張りスタンド
アップ・コメディアンを目指している。テキサスの場末の小屋に
いた片足の美人ダンサーをロドリゲスが見つけてきて映画の
主役に大抜擢した。片足でカンフーのように敵を撃ちまくり、
マッドマックス並みにオートバイを走らせ、豊満な裸で男を
虜にし、エヴァ・ガードナーのような演技と顔で砂漠の街を
駆け抜けるすごい映画。
 待てよ。ファースト・シーンのタイトルバックで見事な肢体
をストリップの舞台で繰り広げていたのは、主役のチェリー
役のローズ・マッゴーワンじゃなかったか。
途中で昔の恋人エル・レイと再会した直後にゾンビに右足を
失うぞ。しかも病院のベッドから逃げ出して敵と戦うのに
片足で歩いている。ということは、ロドリゲスが見つけて
きたダンサーは、実は双子で両足のある姉がいた・・・
なんて想像してしまうほどローズの片足姿が良くできている。
実は特殊効果だそうだ。そしてラストの海べりの古代都市
遺跡にヘリで降りてビーチで楽園という空撮もCGでうまく
作っている。これじゃB級映画じやないじゃん。
 でもエログロ満載のこの映画。タランティーノ作より
楽しめる。子連れで逃げ回る美人医師マーリー・シェルトン
も太もものガーターからガンマンのように注射器を取り出す
ところは、ゾクゾクする。最初の軍事基地での細菌ガスが
研究者とブルース・ウィルス率いる軍との争いで蔓延する
あたりは、マカロニ・ウェスタンのテイスト。病院から
郊外のバーべキュウハウスでのゾンビ増殖して襲ってくる
のは、ジョン・カーペンター。バイクとトラックで逃げる
後半は、マッドマックス。好なもののおもちや箱。
これだけハチヤメチヤでもスカスカの今の日本映画なんか
よりちゃんと構成と台詞が練られている。
 最初にチェリーとエル・レイが再会するバーベキュウ・
レストランの主人は、保安官の兄という設定で秘蔵のソース
の作り方をエリートの弟には教えない。DVの夫(ジョシュ・
ブローリン)にレズ友メールがバレて、殺されそうになる
女医のマーリーとのエビソードはコメディー味。
保安官(マイケル・ビーン)と札付きエル・レイとの関係は
対立しながら最後は協力するというB級アクションの定番。
そして何よりエル・レイとチェリーがゾンビに追い詰め
られて言う台詞がこの映画のテーマになっている。
ふたりで世界に立ち向おうよ。Two against the world!
こういう娯楽に徹したものは、いいことはひとつだけで
いい。あとは、美人のぐっとくる姿と目を覆いたくなる
内蔵飛び散りの恐怖と撃ちまくるカイカンがあればいい。
ロジャー・コーマンのイカサマ火星人映画からコッポラ
の無名時代のピンク映画までグラインドハウス映画を
馬鹿にできない。映画が町の悪ガキを虜にして、犯罪者
にならず創造者にしてくれてきたのも、こんなB級娯楽
映画のおかげだとも言える。
粋な台詞もなくただ泣かせの映画ばかりつくって見せて
いたら、それこそ馬鹿になるよ。
そんな奴らにも一発食らわすパワー全開のロドリゲスの
ホラー・アクション映画だった。
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by stgenya | 2007-12-27 07:15 | 映画・ドラマ

椿三十郎

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「椿三十郎」森田・織田版。脚本菊島隆三、小国英雄、黒澤明。
監督森田芳光。製作総指揮角川春樹。
 かつての黒澤明作品のリメーク。角川春樹の冗談のような
一言から次は時代劇、それも黒澤の椿三十郎だで始まった
らしい。脚本を元のまま全く変えないで織田裕二で制作した。
 まず森田は器用だ。ちゃんと作っている。
いろいろあるががっかりせずに最後まで楽しめた。
黒澤作品の中でも「椿ー」ほど娯楽性に富んだものはない。
学生の頃黒澤研究会でこれを上映したところ、ある女子学生
が黒澤もこんな娯楽ものも創るんだとがっかりしていたのを
よく覚えている。別に映画は面白くていいんじゃないのと内心
思ったものだった。尤もその子は、「生きる」と「白痴」しか見て
いなかったのだが・・
この一級品の娯楽作品を現在の日本の俳優人でやる勇気に
感心する。またいかに今の日本の俳優たちの層がうすくなって
いるか。リメーク映画としては、セリフ回しも変えずにこれだけ
やったことでこの森田版「椿三十郎」は、映画の基本研究に
大いに役立つ存在になったと思う。
こんな創られ方したリメーク映画は滅多にない。
これは特に俳優を志す人が両方を見比べるべきである。
この脚本のこのシーンのこのセリフはどう息をつき、どう間に
思いを乗せ、どんな発声で言えばいいのか、又役同士のかけ
合いはどうのように呼吸を合わせるのか、とても勉強になる筈だ。
織田もトヨエツも松山ケンイチも佐々木蔵之介もみんながんば
っている。
 テレビでも自社プロで用心棒シリーズをやったくらい当たり役
だった三船敏郎の三十郎に織田裕二がなれるわけがないから
織田の三十郎の精一杯さは、大目に見ても若侍たちがこれだけ
落ちるのかと思わされた。黒澤版の中には田中邦衛、加山雄三
、平田昭彦といった粒がそろっていた。松山たちは充分に練られ
てない上にそれぞれの性格分けが未解決のままだった。
どういう道場でどんな剣術を習い、どんな書学に励み、何を理想
として武士の青春をおくっているのか、若侍それぞれがもっと
考え込むべきだった。それに比べて上代家老たちの西岡徳馬、
風間杜夫、小林稔侍らは見事に化けていた。
このクラスは、まだもっといける人たちがいるし、しっかりとした
ものを持っている。役を演じるとは、どう自分の中でデフォルメで
きるかを知っている。
そして何よりこの映画で一番感動したのは、中村玉緒である。
黒澤版の入江たか子よりよかった。
とくに有名な、はじめて三十郎と納屋であったときに言うセリフ。
あなたは、抜き身のような人です。本当にいい刀はちゃんと鞘に
入っているものですよ。
よく森田はキャスティングしたと思う。このセリフを言っているときの
中村玉緒は、尋常じゃない。思わず泣きそうになった。
腕がすこぶるたつがあまりにつよいので世の中の流れや規範に
合わずはみ出してしまう。つまり玉緒は、勝新のことを重ねて
言っているのだ。勝新を三十郎に見ていてセリフを言っている。
やはり役者の子で長年俳優人生をやってきた人の重い演技だった。
その切なさがピーンとこちらに伝わってきて、いいなあ。やっぱり
役者バカの女房だったんだと胸が痛んだ。
どんなに力があっても、運に見放されて人生を滑ったしまった
人はゴマンといる。
もともとの映画「椿三十郎」では、黒澤は山本周五郎の原作を
シナリオ化している内に本当は弟子の堀川弘通に撮らせるハズが、
この抜き身の人生というテーマを見つけて自分でやりたくなって
創ったものである。アウトローのヒーローは、孤独なもの。
鞘に入れたくてもつい抜き身になって常道から外れてしまう。
その悲しみの映画でもある。エリートコースしか知らない人間は
この映画の味を半分しか楽しめない。
また演出では、森田は向田邦子の作品を映画化しているリメーク
癖がどこか自分の中にあるのだろう。その延長線上にこの作品もある。
 森田芳光は、映画小僧だ。よく映画を観ているから黒澤作品の
リメークをうまくこなした。カットつなぎもズームを使わず落ち着い
ている。ラストの演出の違いは、どちらがいいか明白だがそれより
最近の邦画を観ていてもそうだが、ツーシッョトもしくは、入れ込み
カットでパンフォーカスを使ったら効果的なのにと思う場面がよく
ある。この森田版もそうで室井と三十郎との対決や若侍と三十郎
とのコミカルなシーンも黒澤が好んだパンフォーカスはやっても
よかったと思う。黒澤はある意味映画づくりをパンフォーカスの目で
演出していた。細部の小道具、端役の一人まで手を抜かなかった。
迫力と緊張感のある画面は、そうして出来上がっている。
「家族ゲーム」で抜き身を振り下ろした森田がどこで映画監督として
鞘に収めるのか、つぎの戦で見守りたい。
黒澤なんか知らない世代の道案内にこの映画がなることを望む。
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by stgenya | 2007-12-06 18:42 | 映画・ドラマ