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マキシム・ムンズクさん、黒澤明へメッセージ


リンク:http://jp.youtube.com/watch?v=t5laruWvL3c

映画「デルス・ウザーラ」のデルス役をやられた
マキシム・ムンズク氏にシベリアのクングールという町て゜
1989年3月にお話を伺い、3月23日の黒澤さんの79才の
誕生日のお祝いをメッセージとして個人的に撮影した
ものの一部です。
 彼は、あのデルスそのままにとても素朴な人でした。
当時77才だったが、極寒の地でも逞しくしっかりとして
いて、誰に対しても優しい人でした。

黒澤さん、一緒に東京で仕事をしたあなたと日本の映画人の
皆さんにご挨拶を送ります。皆さんに心から感謝しています。
黒澤さんや黒澤さんの弟子たちと一緒に仕事ができて有り難いく
思っています。創造的な仕事のご成功ともちろんご健康とを
お祈りしています。
 もうじきお誕生日ですね。おめでとうございます。
本当に感謝しています。私たちロシアの映画人からくれぐれも
よろしく伝えてください。
 黒澤さん、1974~1975年の2年間一緒に仕事をしましたね。
私は、実にうれしかったですよ。ありがとう。
自分はまだまだ仕事をするつもりです。
もっと働かなければなりません。
黒澤さんにまたお会いしたいです。
あなたは、とても大きな人でした。
ありがとうございました。
ー他の日本人スタッフへどうぞメッセージをー
また野上さん、中井さん、簑島さん。
ほかにもたくさん友人がいました。
三船さんも知り合いです。皆さん、お元気ですか。
1975年9月30日から10月10日まで初公開のときに日本へ
行きました。東京、大阪、京都と。とても気に入りました。
もう一度行きたいものです。そして黒澤さんをはじめ友人たち
にお会いしたいです。
どうかよろしくお伝えください。
心からありがとうございました。

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マキシム・ムンズク氏は、1912年7月15日にロシアのトゥーバ
というところで生まれ、俳優、歌手、舞台監督と活躍しました。
奥さんもトゥーバ音楽舞台劇場で歌手をしていると語っていました。
このインタビューの中でも黒澤さんと2才下だと言っていました。
そして1999年7月28日クイズイルにて死去。87才でした。
その前年9月に黒澤さんが88才で亡くっています。
西村雄一郎氏の「黒澤明ー失われた10年」という本で「トラ・
トラ・トラ」で傷ついて、この「デルス・ウザーラ」で復活
する様子が描かれていますが、このシベリアでムンズクさんと
映画を撮らなかったら、その後の「乱」や「夢」はどうだったか・・・・
ちょうどこのインタビューの年、黒澤さんは、「夢」の準備を
していました。もしデルスに隊長が最新の銃を渡さなかったら
殺されずにあの「夢」の笠智衆のような100才を超える老人に
なっていたかどうか。
映画の中でデルスが隊長に太陽を指して言う。
「あれ、一番偉い人、あの人死ぬと、みんな死ぬ。」
そして月指して二番目に偉い人という件があるが、あの自然児の
言った言葉を肝に銘じていれば、どんなことだって怖くないハズだ。
難しい言葉も架空の金融も偽装の生活も宗教もいらない。
環境の破壊も核やテロの脅威も太陽がなくなればその価値はない。
ムンズクさんの純粋で自然と人間の真実を知っているあの潔い覚悟
の演技が今でも胸をうつ。
「デルス・ウザーラ」の撮影は極めて大変だった。監督は最後の作品
の撮影までこのときの帽子をかぶり続けたというぐらい困難な
仕事だった。でもここを死んでも乗り越えなければあの「トラ・
トラ・トラ」の二の舞になる。そう感じたんだと思います。
あんな天才でもどん底や地獄に足がはまることがあるのです。
どんな人でも絶望はある。しかしどう復活するか、
この黒澤さんの失われた10年は、そのヒントになります。
生きている限り、仕事(創作)をするという姿をこのふたりに
教えられたような気がします。
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by stgenya | 2008-02-28 04:18 | 人物インタビュー

潜水服は蝶の夢を見る

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 「潜水服は蝶の夢を見る」」脚本ロナルド・ハーウッド、
監督ジュリアン・シュナーベル。 主演マチュー・アマルリック。
雑誌ELLEの編集長だったジャン=ドミニク・ボビーの実話原作
を元に映画化されて第60回のカンヌ国際映画祭で監督賞を
とった作品。
 この原因不明のロックト・インシンドロームという全身麻痺
の病気があることにびっくりした。何も動かない体で唯一左目
の瞬きだけが世界とつながっている。ただこれをどう映像化する
かである。この映画はこの左目の瞬きを前半主人公の主観だけで
絶望として見せて、この悲劇を受け入れてふたたび世界と
コミュニケーションをとる覚悟ができた地点から後半は、客観
描写にきり変わるという手法でうまくつくっている。
 人が仮死状態で動けない体から回想と空想で物語りを展開し
ていく映画でかつて「ジョニーは戦場へ行った」や「オール・
ザット・ジャズ」などの名作があった。
ではこの域に「潜水服はー」が達しているかといえばそうは
なっていない。それは、何に原因があるのか。思いめぐらす
ところは、シナリオだ。
 「戦場のピアニスト」の脚本家ハーウッドは、片目の瞬き
のYesかNoで読み上げるアルファベットで自伝を書き上げた
という事実に甘んじすぎたのではないだろうか。
極めて映画的なこの奇抜な事実をモチーフとして、これ以上
ないのだから、ほおっと筆を安んじたような気がしてならない。
 この映画の後半の主人公ジャン・ドーの自伝を通してもっと
この人が家族や妻や愛人についてどう思ったのか、あるいは
死というものを目の前にしてどう感じたのかを明確に整理し
てほしかった。あの肉の塊となったジョニーは、青春の真っ
只中で戦場での現実をモノクロとカラーとで明確に見せてくれ
た、またボブ・フォッシーは、妻と愛人と娘と母という女の
間で芸人としての世界への別れを明確に切り取ってくれた。
そこでこの「潜水服ー」では、事実の羅列から大きく
飛躍できなかった。この飛躍こそが脚本家の腕のみせどころ
だったハズなのに・・・
シナリオ構成を見てみると、1瞬きとコミュニケーションの
発見 2出版社筆記の女史と自伝作成 3スピーカーフォンと
妻と愛人の関係 4車椅子と海辺の風景 5発作と死 
この間に90才を超えた孤独な父がいて自分より息子が先に
逝くかもしれないことの深い悲しみ(ベルイマン映画で懐かし
いマックス・フォン・シドーだった)と家族でドライブに出
かけて息子を乗せて走っているときに発作が起きて植物
人間になる過程も描かれる。ただ・・・ 
 ここでジャンは、妻に対してどう思ったのか、愛人に対して
どう感じたのか、自分の歴史として父に何を言えるのか、
死を覚悟して神とは何だったのか、そして極普通の生活者と
してこの潜水服で深海に沈められた気分はどうだったのか
この辺がドラマ的に反応していないから、最後まで見て
烈しく心動かされなかった。
有名雑誌の編集長でモテモテだったジャンは、原作を読んでない
からわからないが、女というタームで切っても掘り下げられた
のではないか。
 看護婦、言語療法士、出版社筆記女史、妻、愛人ときれいな
女ばかりが出てくるわけだから、これらを蝶のイメージと
ダブらせてもっと深く描けるように思える。
原題は「潜水服と蝶」といって夢は、入っていない。
でも蝶の夢として動けない体で唯一できることとして成り立
ったと悔やまれる。
瞬き以外に世界とつながってできることは、想像力と記憶と
劇中でもモノローグとして言っているけれどこの想像力と
記憶は、又映画の醍醐味でも基本でもある。
ここから突破口が開けたハズである。
映像としてキレイにうまくつくっているのにもっと中身を
練れれば傑作になっていた。
現実のジャンは瞬きひとつで書かれることは、限られていた
だろう。そこをもうひとつ飛躍してクライマックスへ飛べた
ら、生き生きとして蝶がスクリーンに幕が下りても舞って
いたかもしれない。
それは、想像力と記憶によって。
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by stgenya | 2008-02-24 23:47 | 映画・ドラマ

市川崑「花ひらく眞知子より」(シリーズ処女作のころ)

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2月13日肺炎のため映画監督市川崑、死去。
 享年92才だった。巨匠が又一人星になった。
映像派のエンターテイメントの監督でアニメからドキュメント
に文芸作品から実験的な作風まで非常に多岐に渡っていた。
そして黒澤さんなどと比べても多作だった。
80本の本編とテレビドラマにテレビCMと多彩な才能を発揮
した人でユーモアあふれる演出家だったが、時として現場で
は、俳優にきびしい面もあったそうである。
 ここで市川崑の冥福を祈って、最初の現存する処女劇映画
「花ひらく眞知子より」についてふれようと思う。
原作野上彌生子。脚本八住利雄。音楽早坂文雄。昭和23年の
新東宝映画。出演高峰秀子、上原謙、藤田進、吉川満子等。
 ストーリーは、ブルジョワの娘眞知子(高峰秀子)のお見合い
の音楽会からはじまり、その押しつけがイヤでかつての同級生
のアパートを訪ねて、政治活動家の上原謙と知り合う。この
アトリエ風の部屋の近くが精神病院があり、奇妙な声が
夜な夜な聞こえることで活動家の不気味さを出している。
一方、姉夫婦の形だけの結婚生活も目の当たりにしていて
女性としてどう生きたらいいのか、悩んでいる時期でもあり
その義兄の関係の会社の若社長こと藤田進とも雪山で遭難した
ことから近づくが、資本家ということもあり、革命を夢見る
上原謙に次第次第に憧れていく。
そして活動の末端をやっていた同級生の病気でふたりの関係
がいよいよ親密になり、自分の人生をかけるのは、この人
しかいない。何でも言うとおりに行動をともにする。と
上原謙に告白し、結婚とまでなったときに実は、同級生の
女の子に彼の子供がお腹にいるという事実を彼女から知ら
される。大きなショックを受けた眞知子は、上原謙に別れ
を告げ、ひとりでもう一度自分の人生を歩いていくことを
ひとり海岸に立って思うのだった。
24才で大学で社会学の勉強をしていて、女性の自立とは
何かに悩んでいて、初めて人を本気で好きになり、裏切ら
れその挫折から立ち直るという非常に社会的なテーマの
映画である。個人と組織の論理が語られるが、崑さんの
趣向ではなかったろうが、非常にそつなく作っている。
 オルグナイザーとしての上原謙を描くのに、その怪し
いアパートや風景をドイツ表現主義的な極端にコントラ
ストの強い画面構成で怪奇的に表現していたのが崑さん
にしては、珍しかった。
ただこの初期作品でほとんどのカットが広い意味でアク
ションつなぎになっているところが驚きであった。
人物のカットバックで何らかの仕草をしている。
タバコを取り出すカットの次が火を差し出すカットと
つなげている。あるいは、動作がない場合は、目線が
必ず動いている。目線を向ける、その目線を受けると
いったカットつなぎになっている。つまり某かの動きに
よってカット割りをしている。後年「犬神家の一族」や
「細雪」などのグループ・ショットで一瞬極端に短い
犯人や姉妹の顔や仕草のカットをフラッシュ・バック
する手法を繰り替えしていたが、このアクションつなぎ
の延長のように思えた。
 ともかく初期作品としては、鮮烈なデビュー作じゃ
なかったが、ある意味難しい話をメロドラマにして退屈
させない努力が見られて一時間半があっという間である。
 また市川崑ほど撮影所を渡り歩いて、成功した監督も
いないのではないか。東宝争議で新東宝でデビューし
昭和26年に東宝に復帰し「足にさわった女」「プーサン」
とつくり、30年には日活に移籍し「ビルマの竪琴」を
ヒットさせ、一年後には大映へ移り「炎上」「野火」
「黒い十人の女」などの文芸作品の名作をつくる。
そして東宝にまた戻り角川映画「犬神家の一族」で
横溝シリーズを連作する。
私が同時代で記憶にあるのは、学校で見た「太平洋ひとり
ぼっち」とテレビの「木枯らし紋次郎」。そして東宝
の「我が輩は猫である」(昭和50年)からであるが、
何よりも衝撃を受けたのは、ATG「股旅」だった。
アメリカン・ニューシネマを見事に時代劇に置き換えて
ショーケン、尾藤イサオ、小倉一郎のキャラクターが
面白く食えない百姓の若者が支離滅裂な青春をおくる
そのリアリティーが新鮮だった。
文芸作品で興行的に堅く、こういう実験的な作品で
映像と表現の可能性を追求した最後までパイオニア
だった。
映画って何か。動く映像で人のココロに何をどう届くの
か。スタイルが多岐にわたった分カメラに写し撮られる
カットの絵造りとつなぎという視点でその真理を追求
していった映画作家だった。そしてその熱い作家の視線
を抱きつつ最後までカツドウ屋だった。
葬儀では好きだった「キャメル」と2冊の台本が棺に
入れられたという。それは、「どら平太」と「犬神家の
一族」だった。改めて冥福を祈る。
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by stgenya | 2008-02-17 22:09 | 映画・ドラマ

チーム・バチスタの栄光

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「チーム・バチスタの栄光」脚本斉藤ひろし、蒔田光治。
監督は、ぴあのPFF出身の中村義洋。制作TBSと東宝。
 原作は、第四回「このミステリーがすごい!」大賞の海堂尊。
映画が終わって渋谷シネタワーから出てきた中年夫婦がふうっと
ため息ついて「原作の方、読んでみたいわ」って言った。
せっかくプルミエ時代からチームでやってきた制作プロがつくって
いるのにもかかわらず映画がミステリーの醍醐味が出せなったのは
残念。話は、おもしろかったのになぜ方向性のない映画になったか。
まずシナリオがミステリーの仕様になっていないのが大きい。
トレンディードラマ風に始まって人物紹介も新鮮味がない。
まず心臓手術で死亡事故が連続して起きるのを検証する竹内結子の
心療医が一人一人調べていく過程と途中から厚生労働省の技官の
阿部寛が出てきてもう一度一人一人調べ直すシノプシスで初めと
全然違う人物像が浮かび上がって、犯人が二転三転していく
面白さが書けていない。クライマックスでバチスタ医のある
秘密に辿りついて、解決かと思わしていて実は、というところ
のラストに阿部がどうして辿りついたかを見せた方がよかった。
ここがシナリオ作家の腕の見せ所だったハズだ。
そしてもうひとつ手術を受ける患者の方の視点がロック願望
の山口ぐらいしかないが手術失敗とどう絡めていくかもあった
ハズである。
 そして決定的に足を引っ張ったのは、何より演出だった。
崔組の助監督をやっていた人らしいが、カッティングにテンポ
がなさ過ぎる。医療潜入ルポならこれでもいいかもしれないが
エンターテイメントの映画である。
なぜ名医が完璧なハズなのに死亡事故が連続して起したか、
もし故意だったら、殺人だ。この中で誰が犯人で何のために?
とこれを旗印にすべて構図も演技も進められるのが普通だ。
それが出来ていない。何回かケース手術がくり返されるが
毎回同じように進む。映画は、省略の芸術でもある。
このケースごとに疑いが変わり、サスペンスの迷路を構築
できなかったのだろうか。
ほとんどが手術室の狭い場面であるから、撮影も見たこと
ないようなアングルとか凝ってほしかった。
 演技者については、竹内は、コメディーがてきない。
笑いをとるとこの顔が硬すぎる。もっと突き抜けるか弾ける
かしないと笑いは取れない。せっかくいい顔してるのだから
もっと寄席に通ってほしい。
吉川晃司は、意外によかったが芸達者な人たちも演出の
基本線にベクトルされてないから感情の盛り上がりに欠けた。
ただすばらしかったのは、阿部寛だ。
 今何か自分の中で会得したものがあるのか、ずっといい。
だから彼の登場が少し遅すぎる。もっと頭をスリムにして
彼の活躍を柱にすべきだった。優秀な編集マンなら監督
が何言おうがそうしただろう。
どうかもう一度阿部の主役であっというようなアイディアの
ある企画でシャープな映画をつくってほしい。
なかなかカタチと勢いで絵になる男優は、少ない。
田宮二郎のようにいくつもシリーズものを持てる逸材だ。
制作チームは、わかってると思う。このくらいのこと。
映画界のチーム・バチスタになるためにもどこに落とし穴
があったのか、検証してほしい。
この原作でやろうした企画は、わるくないのだから。
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by stgenya | 2008-02-10 12:26 | 映画・ドラマ

やわらかい手

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「やわらかい手」IRINA PALM。監督サム・ガルバルスキ。
 脚本マーティン・ヘロン、フィリップ・ブラスパン。
マリアンヌ・フェイスフル主演。渋谷ル・シネマでロングラン。
お歳暮は、黙って東急デパートでという奥様が実際多かった。
そしてエンドタイトルになって、隣の主婦ふたりが唖然として
これで終わり?って思わず声に出した。
 何を期待していたのか、男の性のはけ口となった初老の女が
息子のために改心して戻って来て、わたし、とうかしてたのよ、
って言ってハッピーエンドに終わって欲しかったのだろうか、
そして映画の後デパートの7階カフェレストランでお食事して
「人間誰でも、間違ったり寄り道することあるわよね。」
「あんな穴からペニスだけ出してイカせるショウバイって
 映画で東京で流行ってる店をまねたって言っていたけど今でも
 あるのかしら」
「いやらしくてちょっと変わったネタの、人生の過ちだったのね。
 あの映画って。シゲキを題材にした、」
「でもあれって、どんなかしら? 10分置きに大きさの違うアレ
 を握るって・・・」
「何赤くなってるのよ・・映画としてはイマイチだったわよ。」
なんて会話まで聞こえてきそうだった。
 ストーリーは、生死を彷徨う息子夫婦の幼い孫の手術費用を
捻出するために祖母マギーは、ソーホーの怪しい風俗店で働く。
そして子供のオーストラリアでの手術費用が工面できなかった
家計の苦しい息子に母マギーから大金がもたらされたが、
おかしい思った息子が尾行するとマギーは、風俗店にいた。
母にやめてくれというが、自分の柔らかい手が大人気になり
ゴットハンドとしてこんな才能があったなんてこの年まで
気づかなかった。同僚の若い子を追い抜き、他店からのひき
抜きも来るくらいのもてよう。店長のミキは、そんな彼女を
離さない。そして最後このふたりには、本当の愛が芽生えて
しまう。そんなバカな。いくら夫を亡くして淋しい老後を
送っているからって・・
ましてやお茶のみ女友達まで捨てて、男の元へ行くなんて。
ここまで見ていくと上の主婦ふたりの感想が正しい。
ただこの映画をコメディーとしてみれば、良くできてると
思える。ある意味ファンタジー・コメディーである。
いつか気がつくとアパートで孤独死するかもしれない年に
近づいて、もう一度青春を取り戻した女の話である。
しかも若い頃アラン・ドロンの「あの胸にもう一度で」で
主演女優だったあのセクシーなマリアンヌ・フェイスフル。
この変わりように驚かされるが、実生活でドラッグ、ホーム
レスと天国から地獄を味わったマリアンヌのこの年での
復活映画である。そう思うとあの最後まで動じない穏やか
な目線は納得できる。
ただ残念だと思ったのは、マギーが売れっ子になっていく
につれて、特に店長ミキから引退したら、スペインの港町
に行きたいと写真を見せられた後などから少しづつマギー
がキレイになっていくともっとよかった。
来ているダサいコートを変えたり、ショールの色を派手に
するとかもっと演出的にやりようがあったと思う。
まあ、はじめの主婦ふたりも間違ってはいないし、たぶん
映画の後の食事の味は、又違っていたかもしれない。
でもこの方が。本物の老いには、マギーの見た果実が必要
なのかも又しれない。
だってどんなに美しいバラもいつかは散るんだもの。
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by stgenya | 2008-02-02 05:48 | 映画・ドラマ