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パークアンドラブホテル

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「パークアンドラブホテル」ぴあスカラーシップ作品。
監督・脚本熊坂 出。出演りりィ、梶原ひかり、ちはる、神農幸、他。
 はっきり言って今の日本映画の中では、このPFFスカラーシップ
のプロデューサーたちの力は、貴重である。
ここからいい作家が出てきている。内田君は、新作が公開を待つ。
 まだ西ドイツの頃のベンダースやファスビンダーたちニュージャーマン
といわれた一群がでてきたときの低予算だが、いい短編小説の
ように切れ味のいい作品がかつてたくさんあったが、この映画
はそんなニュージャーマンシネマのテイストがする。
 新宿の今にも壊れそうな現役のラブホテルだけがほとんど
舞台で三幕劇のように話が展開する。
 昭和50年生まれの熊坂監督の力量を感じる。
彼は映画の手段を持ちえている。このしたたかさに驚いた。
映画は、カットバックとモンタージュでお話を順に撮っていけば
素人でも形になる。映画のセンスや才能は、そこにその撮影する
画にテーマに合った自分なりのルールをつくっていくことに如実に
現れてくる。作る映画シナリオのテーマやモチーフにピタっとくれば
それは、成功である。このピタっ!を監督は、シナリオを手にした時
からせっせと考えるものだ。
 熊坂監督は、この映画で面白い撮り方をしている。
人物が左で右向いているときは、問題提起で深刻なシークェンス
で右にいて左向いているときに内心吐露の回答をしている。
つまり左の表の顔と右の裏の顔というルールが出来ている。
そして正面でアップにして決心や告白を言わせる。
あとは、ほとんど手持ち移動で人物を追うというスタイル。
ここで何が現れるかといえば、ラブホテルの支配人リリィの心
の流れなのである。
 本来だったら、すれ違うだけの女三人とココロを通わせて
しまう道具としてラブホテルとその屋上の解放区的な公園が
あり、そのぶつかり合うそれぞれの孤独を理解し合う表現として
この人物の撮りかたでその心の流れを見せていく。
 物語は、雑踏を彷徨う13才の少女の新しい家族をもった父と
会えない苦しさを髪を染め直すことでりりィと心が通う章と夫婦
仲がうまくいかずジョギングで痩せることに執着する若い妻の
章や不妊症の女でラブホに毎回別の男をつれてくる章の
三つからなっていてそれぞれにラブホ支配人のりりィが自身の
秘密(新宿区の遺体係との)を最後に明かしながら、人生そんな
にうまくいくものじゃないと呟くラストに話を持っていく。
 はじめ民俗音楽のようなバックでラブホの屋上を解放区みた
いにして老人、子供、子連れとが遊んでいる発想は、ちょっと
現実離れしてひいてしまうが、これがファンタジーとしての
仕掛けだと納得すると、この王国の支配者りりィのノーメイクの
表情が天使のように見えてきてラストまで癒しと救いの顔と
なって気持ちよく観ることが出来た。
ちはるのノートの表紙の説明にでてくるセリフだが、
月の裏側は、誰も見たことがない。そこに到達するまでの
距離を走るとちはるはジョギングをしていた。
人の裏の顔。これがこの作品のテーマである。
赤の他人がどうして人の裏の顔を見て、また見られた人が
自分の裏を告白するか、それがこの映画の語り口の面白さだ。
孤独なのは、だれでもそうだ。その孤独とどう自分が折り合い
をつけて生きていくか。それを皺だらけの顔でりりィがみごとに
演じている。彼女の存在があって初めて成り立った映画だと
明言できる。
作家の目を感じる近年めずらしい映画らしい映画だった。
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by stgenya | 2008-04-30 17:02 | 映画・ドラマ

ぼくのピアノコンチェルト

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「ぼくのピアノコンチェルト」監督・脚本フレディ・ムーラー
 出演テオ・ゲオルギュー、ブルーノ・ガンツ他。スイス映画。
 もしかしたら音楽と数学は脳において関連があるかもしれない。
少年が鉄条網を超えて、自家用飛行機を拝借して空を飛ぶ
イメージからはじまり、この同じ映像が今度は、大好きだった
お祖父ちゃん(ブルーノ・ガンツ)との思い出とヴィトス少年の
新しい出発へとつながっていく。
 この映画は、明らかに娯楽映画としてつくられている。
しかしヨーロッパの、しかもあの「山の焚き火」をつくった監督
の久々の作品となればアメリカ映画とは趣きがちがってくる。
その隠し味の調合の仕方が奇妙なファンタジー色を醸している。
 物語は、一人の天才少年の成長の話で幼児の時父の祝賀会でピアノ
を弾いて大人を驚かせて、学校でも数学が異常に出来て、飛び級。
家庭教師の女の子をつけるが、一緒に飲酒して親に首にされる。
ヴィトスは、その女の子に恋していまう。でも引き離されて
高校の授業にもピアノの高名な先生のレッスンにも拒否するよう
になってしまう。12才の天才ヴィトスにとっての思春期。
こんな鬱屈した気持ちを慰めてくれるのがお祖父ちゃんだけ
だった。祖父は、年金暮らしで工作するのが趣味で子供の頃
はパイロットが夢だったという。
やがて父の会社が傾き、生活が危ぶまれるとヴィトスは、わざ
と普通の子にカモフラーシュしていたが株の世界で天才を
発揮して大逆転・・・・
と大人も子供も楽しめるお話になっている。
ここでこのプロットの良さを言うと主人公の少年の天才ぶりと
実像の少年の体の成長を話の起や転でうまく使っているという
ことで頭の成長と女を好きになるという心の成長と一致しない。
そこから来る展開が自然である。
 ムーラーの映画作家として飛行機のイメージと自転車で広場
を普通の男の子とぐるぐる乗って遊ぶ何気ないカットで音楽
をクラシックとロックと振り分けてつないでいるシーンが
ポエティックで美しい。
 山小屋で一人暮らしの祖父との関係が処女作の「山の焚き火」
の不便な山の暮らしとリンクしているようで心の基本に自然に
対する畏敬がこの監督にはあるように思える。
それからこの作品が成立しているのがヴィトス役のテオ少年で
ある。実際にコンクールで優勝した現役のピアニストで長い
キャスティングの末に見つけた素人だが、実際にピアノを
驚くスピードで弾くワンカットがどれだけこの映画に貢献して
いるか。話がファンタジーなだけにピアノ演奏は、ホンモノ
でやった分が客の目を引く方へ役立っている。
傑作ではないが良質の映画だ。むかしだったらよく学校で
見せた優良映画鑑賞会の映画だろう。
「チャーリーとパパの飛行機」と似た要素がそういう意味で
ある。映画は、多様である。たまには、子供と一緒に観る
のもいいだろう。
ただ小学生で大学並みの天才は結構いるが、大人になったら
止まってしまうのが多い。そこからさらに上へいく天才は
実際は世界で一握り。子供の思春期にこだわっているムーラー
監督は、もうブルーノとほぼ同じ老年である。
永遠の少年のココロをもった映画作家の娯楽作品だった。
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by stgenya | 2008-04-27 07:18 | 映画・ドラマ

クローバーフィールド/HAKAISHA

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「クローバーフィールド/HAKAISHA」監督マット・リーブス
脚本ドリュー・ゴダード。制作J・J・エイブラムス。
 戦略的な宣伝を何の映画かタイトルも見せずに数ヶ月も前から
特にネット上で出して、やっと今年になって封切った映画。
全編手持ちのビデオカメラで素人が撮った映像でドキュメント
風に映し出される。ニューヨーク・マンハッタンに何が起きた
のか? あの自由の女神の首をもぎ取った巨大な怪物は?・・・
 これは、まさに体感映画である。単純に面白かった。
米政府がセントラルパークで入手した家庭用ビデオテープが
この物語のはじまりですべてである。
そこに映し出されている楽しそうな若い男女のベッドでの姿や
デートの様子から次がその男ロブの日本へ赴任する壮行会の
パーティーになり、ロブの弟ジェイソンからハッドがビデオ
カメラを渡され、そのカメラで会の途中でものすごい音がして
何かが飛んできてビルを次々に破壊してみんなが逃げる様を記録
する。そのカメラ映像が映画の最後まで観客に提示され貫かれる。
表道路に飛んできたものは、自由の女神の首だった。
そしてビルを壊しているものが巨大なゴジラのような怪獣で
あり、またそいつから滴り落ちてくる小さなクモのような生き
物も無数に上陸して人間を襲う。
とにかくこのマンハッタン島から逃げようとしてジェイソンが
橋の崩壊で死ぬ、兄のロブはアパートに負傷して残された恋人
のべスを助けに逆戻りしていく。それに弟の恋人リリーと偶々
会で一緒になったマリーナとカメラを回しているハッドの四人
で地下鉄のトンネルや崩壊ビルをクモの怪物に襲われながら
行き、マリーナが怪物による傷から感染症で死ぬ。
そしてベスを救い出してヘリで脱出というときに・・・・
 ストーリーは単純である。家庭用カメラによる映像という
ことから構成としてうまいアイデアが重ね撮りという設定だ。
初めの楽しい4月のデートと逃げている5月の映像の間々に
挟まれるロブとベスとの仲が進展していく映像がちょうど
編集でカットバックしている構成に見せている。
つまり前に撮った映像が録画のストップや途中再生で少し
残ってしまう現象を利用している。
「ブレアウイッチ・プロジェクト」と違うのは、実は映像が
家庭用ビデオではなく、ちゃんとパナビジョンの手持ちカメラ
で素人風に撮っているということである。画面がきれいなのだ。
まるで9.11の崩壊現場に自分がいるような臨場感があって
あっという間に終わる。あの怪獣は何なのかもわからない
ままぷっつりと終わる。これでいいのか。と思われるが
これも制作者側の作戦らしい。ロブが日本の会社タグアルト社
へ行くことになっていたが、その会社の海底油田の掘削現場
での破壊事件がこの怪獣と関係して、続編へつながるらしい。
これを見て新しいパニック映画のパターンができた。
体感パニック映画とでもいえばいいのか。
ただ、
得たいの知れない怪物に襲われて逃げるだけの米版ゴジラ
と違うのは、突然空襲される市民の恐怖が今のアメリカ人の
沈滞感に添っているということである。
つまりある日突然が9.11のニューヨークとイラクの市民と
同じ恐怖であるということだ。戦争やテロに直接関係ない
市民にとっては、こんな試練を味あわされる。
63年前の東京大空襲も同じだったのではないか。
もう核実験で怪獣ができたとか、宇宙生物の成長とかどう
でもいい、それよりリアルな恐怖を描きたかった。
ただ劇場で大学生のグループが見ていて終わったあとに
「俺だったら、恋人のベスを助けにいくのにあ、ごめん
 ってバックれる。」と感想を漏らしていた。
シナリオ的にロブがベスをあそこまでいく二人の関係の深度
と友だちのリリーやハッド、ましてや無関係だったマリーナ
まで付き合うにはもう一つ手を考えた方がよかった。
金とか何かの秘密があのアパートにあるとか・・・・
映像がリアルなので観ている間は、そのへんは抜けがち
だが確かに四人の設定はもっと練っていたらもっと面白か
っただろう。
まあ、それにして制作のエイブラムスの策略の勝利だろう。
二回目が終わって新宿トーア劇場を出るとコマ広場に珍しい
長い行列ができていた。
映画は、見せ物から始まった。
「クロバーフィールトHAKAISHA」はまさしく見せ物だ。
最後にエンドロールの音楽は、東宝「ゴジラ」へのオマー
ジュだろうか。あの太鼓の音ー。
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by stgenya | 2008-04-06 06:13 | 映画・ドラマ