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新版大岡政談から忠次旅日記へ

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幻の映画「新版大岡政談」がフィルムセンターでスチール構成で上映
された。原作林不忘。監督・脚色伊藤大輔。撮影唐沢弘光。
主演大河内傳次郎。共演尾上卯多五郎、伏見直江、伊藤みはる。
昭和3年(1928)日活太秦製作。無声映画。
 戦前の日本映画の黎明期の傑作といわれてその存在が未だ極く
短いフィルムの断片しかない伊藤大輔+大河内傳次郎+唐沢カメラ
のトリオを決定づけた映画。
それを大河内さんの遺族から新たに出てきた写真をつなぎ合わせて
脚本どおりに再現して澤登翠弁士と柳下美恵ピアノで上映した。
 日曜日のフィルムセンターにどうしてこんなに人が来るのかと
押し寄せて上映30分前で足切り定員オーバーで入れない人々が
いた。今回は、この写真の構成助言も兼ねた大河内傳次郎研究家
の梶田章氏(87歳)の解説講演もついていた。
新藤兼人もプロデューサーの宮川孝至さんなど昔の映画人が声を
そろえて「忠次旅日記」とこの「新版大岡政談」がすばらしくて映画
の世界へ進んだという若き伊藤大輔の傑作映画。
 ストーリーは、名刀の乾雲坤龍の大小刀を手に入れようと丹下左膳
の大河内が小野塚鉄斎の道場に道場やぶりをするところから始ま
る一部から相馬大膳への忠君から名刀を手に入れようとしていた
がその君主に大岡の役人の手がのびると簡単に丹下左膳が裏切
られ、本所の左膳に御用の手が来てお藤に逃がして貰う二部、
そして捨てられたアウトローと化した左膳が弥生に恋心を抱いた
ために惚れていたお藤から今度は追手といっしょになって急襲
され名刀坤龍をとられ井戸端で壮絶な死をとげる三部からなって
いる。
 写真ではあるが大河内の立ち回りや片目片手の一人で大勢に
囲まれて刀を振る形相のすさまじさが伝わってくる。
カメラも唐沢弘光の技量でスピード感があり、伊藤のカット運び
もシャープである。
最後に同センター所蔵の断片フィルムを観るとそのことがより
はっきりとわかって観客は思わずわあーと息を呑んだ。
特に後半のお藤が坤龍をなげるカットは、見事にカメラが追って
いてお藤の女の情念漲る顔や追い詰められる左膳の形相と
いい鬼気迫る。
この一本だけが丹下左膳映画で異質といわれることがよくわかる。
雇い主に裏切られ復讐するが大勢の権力の徒から追われる
ピカレスク・ヒーローである。言われるところのニヒリズムの極致
となっている。
この前年につくられた名作「忠次旅日記」も同じトリオですさまじ
い決闘シーンがある。大河内傳次郎が滅びの美学を体現する。
こちらは、奇跡的にフィルム(一部欠落)が見つかって、十年前
に観たがみんなが言うだけあってすばらしかった。
特に「信州血笑編」の沢蘭子の傘のミュージカル風のシーンは
まるでアイドル映画を観ているようで美しく心ときめいた。
永遠のアイドル。御用編の残酷な決闘シーンへ行く前の息の
つける美しいシーンをつくったものだと思った。
これは、今にして考えれば「時をかける少女」(原田知世)を
知らない若い人がいまの大林宣彦の映画をがっかりして観る
ようなものだろう。
しかしそれにしても時代が戦争へ進んでいく昭和のはじめに
こんなニヒルな無声映画が大ヒットしていた。
そこに若い伊藤大輔と大河内傳次郎と唐沢カメラマンとが花
咲いた。
まさに映画史に残るピカレスク・ロマンの丹下左膳だった。
ただやっぱり惜しいのは、映画のネガがないことだ。
今回のプロジェクトは、よくやってくれたと思うが動く画が
断片しかないのが本当のところは、悔やまれる。
これが全編活動大写真で見られたらどんなにか感動できたか。
まさしく伊藤大輔・大河内・唐沢トリオはモーション・ピク
チャーの申し子だったのだから。
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by stgenya | 2008-10-28 17:48 | 映画・ドラマ

石内尋常高等小学校 花は散れども

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「石内尋常高等小学校花は散れども」脚本監督新藤兼人。
現役監督96才の新作。制作近代映画協会。
 いや。全編カットつなぎで若々しい。映画の冒険をしていた。
黒澤さんの「まあだだよ」と同じ師弟がテーマでその中に
老いと死を前にした生の有り様がトツトツと語られる。
しかし新藤兼人は、ドラマライターである。
映画監督と職業ライターのふたつのわらじを歩んできた最
古参のめずらしい映画人だ。
だから今度の新作でもドラマとは何かを自覚しながら、随所
に映画的冒険をしている。
長い新藤兼人の映画の「芝居」を書くというキャリアの中で
確かな手法として勝ち取ったドラマの書き方を見事にさらりと
やってのけている。それがさわやかで少しも衰えていない。
では、それは何かというと、人物をカリカチュアするという事。
ドラマライターを極めた達人は、リアルなドラマなどとっくに
卒業してしまった。初期の「心」や「人間」などATG作品や
川島雄三に書いた「しとやかな獣」のように人物を少し大げさ
にカリカチュアすることでドラマの発火点を仕組み、キャラク
ターとストーリーを同じに爆破へと加速させるのである。
これは、演劇的であるがゆえにそのシナリオをくみ取り、肉体化
する演出家と俳優がその力量を試される。
ホントらしさをどんな表現をしたら出せるのか、
ただ登場人物に成りきって「君が好きなんだ」とセリフを言え
ばいいのか、オーバーに言うことでそのセリフの形がころっと
変わって見ている人の心に落ちてくることがある。
これは高等技術だが出来る人がやればドラマになる。
それぞれいろいろな人生を送ったけど定年退職して病気で老年
言葉が不自由になって死んでゆく恩師をかつての生徒がみんな
で見守る、そこには、サスペンスもどんでん返しもない。
初恋の良人とみどりのすれ違いの恋がながれているだけのスト
ーリーである。だからむしろこのカリカチュアをあえて使った
のだろうと思う。どの人物もオーバー気味にセリフを言う。
そしてその心の内で葛藤しているものをぶつける。
それがある時は優しさだったり、思慕だったりする。
柄本明の市川先生の大げさな演技は見事だった。
何よりファーストシーンの三吉の居眠りを叱ってそのわけを
聞いてオレが悪かったと泣いて謝るツカミは、素晴らしく
「花は散れども」というドラマ列車に有無を言わさず乗せら
れてしまった。そして後半先生が脳卒中で倒れて言葉が不自
由になると、今度はカリカチュアしたセリフ回しでないと伝わ
らない仕組みになってしまう。人間出せない声を無理に出すと
きは、最低限必要なことしか言えない。これがドラマライター
の勘と技である。ラスト近く先生は浜辺で良人に質問して蟹は
なぜ横に歩くか」と問いかけ良人に「生きものも人間もみな
それぞれですね」と解答を導き出す。
人生に対する作家の見事な最小の答えである。
大竹しのぶもトヨエツもよかった。柄本以外にこの役は今でき
ないだろう。大杉漣は少し失敗しているように見えたが何より
徳をしたのは、三吉役の六平直政だ。生きていたら殿山泰司が
やった役で居眠りばかりして役所の助役から村長についになる
いい役だ。たぶん近年で六平の一番光った映画になっている。
六平さんが死んだら間違いなく私は代表作にこれを一番にあげ
たい。出世して東京の良人のアパートで六平とトヨエツが鰻を
食べて満足して横になるシーンでビールびんが変な倒れ方をす
る。観客はクスっと笑った。現実にあり得ないゆっくりとした
倒れ方に新藤さんは、セリフだけでなく画面そのものもカリカ
チュアするのだ。出世したって村長。大したことないよな、俺
たちといった意味を付加させている。この実験精神に驚きと若
々しさを感じた。
そしてもうひとつこの映画で驚いたことがある。
それは、クライマックスの浜辺で良人が「結婚してくれ」とみ
どりに頼む件で大竹しのぶのみどりがアップで「断る」と心と
裏腹なことを言う。そのとき大竹しのぶの顔が「乙羽信子」にな
っていた。一瞬目を疑ったが本当だった。
大げさに吐き捨てるセリフ回しが乙羽さんになっていた。
これは監督がそうさせたのか、大竹さんが自分で研究してやった
のかわからないが、こんなことが起きるんだとびっくりした。
新藤さんが自分でよく言っているが、人間年取ると枯れてくる
なんてウソだ。ますます生臭くなっていく。
この96才の新作でそのことをちゃんと証明してみせた。
すごいことだ。
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by stgenya | 2008-10-04 17:53 | 映画・ドラマ

おくりびと

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「おくりびと」 脚本小山薫堂、監督滝田洋二郎。
 出演本木雅弘、山崎 努、広末涼子、吉行和子、笹野高史他。
 製作セディックインターナショナル。配給松竹。
渋谷シネパレスでは、8割かたの客の入り。全国的には100万人
を突破したらしい。モントリオール映画祭でグランプリ受賞。
 いい映画で尻上がりに評判がいい。
本木さんが納棺師をやりたいというのが始まりで企画が出来て
放送作家の小山薫堂に回って来て、六稿ほど書き直して滝田
監督の撮影となった。
 モチーフが死を扱う映画ではじめて具体的に知る納棺師という
仕事で本木君がまじめに役にとりくみ、山崎努が厚みのある演技
をしている。いい映画になった。
主人公をチェロ弾きにしたのも正解だと思う。
しかしこの映画の中盤から大事なへそが隠されたまま進んで
いき、ユーモアのあるシーンやほろりとする場面もあったが、
どうも不完全燃焼のまま終ってしまった。
なぜこの映画が伊丹さんの「お葬式」のように行かなかったか。
うまくつくっているにもかかわらず、どうして心が通らなかったか。
それは、主人公がチェロ奏者をリストラされて故郷で転職する
という話でたまたまはじめた納棺師という仕事が主人公の心の
中でどう天職だと認識されたかが描ききれていないからだと思う。
納棺師の仕事をしているのが、同級生や妻にバレて仲間の中で
噂になっているという急展開で妻が実家に帰ってしまう。
ここの危機を映画はどう切り抜けるのか、それがたのしみで
ずっと追いかけていたが決定打が出てこないで主人公の父との
別れを河原の石に託して自分史の方へ決着を結んでしまった。
主人公と父の石の話は、よくできているがこれは別に納棺師で
なくても成立する話である。
納棺師という仕事に偏見をもたれ、自分も金のためだけでやって
いたのにいつの間にか死を演出するこの仕事にのめり込んで
幼くしていなくなった父との心の確執も最後に解けていくという
流れだったと思うが、その本木と納棺師という仕事という対決が
明確でないのだ。
 おかしいなと思ってシナリオを読んでみると、シナリオの序破急
のセオリーで妻が出ていった急の後に山崎努の社長と納棺師の
出会いがあって、あとは、チェロ演奏でさまざまな死と看取りとの
事例をダイジェストにして、妻が妊娠したといって帰ってくる件に
なり、忌み嫌った同級生の銭湯の母親の納棺をするところで
解決させている。
つまりここは、「砂の器」のあの親子の放浪をオーケストラの
演奏で辛い四季の旅を描いたのと同じような書かれ方をして
いる。しかしこれがクライマックスの前で効果がうまく利いてい
ない。なぜか。
それは、主人公の本木がチェロ奏者から納棺師への心の転換
の核心のシークェンスが描けていないからでしかない。
何が本木の心を動かしたか。
山崎の褒美の白子だけでは弱いのではないか。
もうひとつ本木自身に直にかかるモノがあって、納棺師の季節
のダイジェストになれば、うまく嵌ったと思う。
東北の風景や風土と死という誰もが平等に通るテーマから自分
の都会生活がどう見直されたか、とってもいいモチーフなのに
残念だ。それから出演者が押し並べていいキャスティングだ
ったのに広末だけは、芝居が出来ていなかった。
夫がリストラされて田舎に帰るという時、転職した仕事が納棺師
だと知った時、女としてどう思ったのか、どう揺れ動いたのか、
よくわからなかった。いつまでアイドル芝居をするのだろうか。
田中麗奈にもいえるけどここが脱皮のいいチャンスだったのに。
まあ、でもよく一生懸命つくっている真面目な映画になっている
のは、変わらないので是非劇場へ行かれて自分で中身を感じ
てほしい映画です。
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by stgenya | 2008-10-01 16:12 | 映画・ドラマ