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旅の重さ


  「旅の重さ」
昭和47年(1972年)監督斉藤耕一、
脚本石森史郎。高橋洋子主演。松竹製作。
古い映画の話をしても観ていない人が多い。
ショーン・ペンの映画評でこの映画を書いたら、
そんなの知らないという声があり、予告編を見つ
けたので載せてみました。
70年代になって学生運動が収束と挫折を迎え
三島の自決があり、「1973年のピンボール」から
時代は大きく変わった。フォークが70年の後半
ニューミュージックになり、アンノン族が日本を
旅し、オイルショックを乗り越え世界経済へ躍進
して自由な空気の漂っていた頃だった。
映画は、青春と旅。自分のアイデンティティを求
めるニューシネマ的な撮影だった。
ディスカバー・ジャパン。
まさに日本を新しい日本人が見つめ直そうとした
時代の映画だった。
ここで大事なのは、地方都市である。
この後斉藤耕一は、「津軽じょんがら節」でキネ
旬1位をとる。「祭りの準備」「竹山ひとり旅」
「青春の殺人者」と東京以外の都市が舞台になっ
ていることが重要だと思う。
80年後半のバブルがはじけてからは、東京一極
集中になって、文化も日本映画も衰弱していく。
今古い映画を見直して懐かしさよりも居たたまれ
なさを感じてしまうのは、単に歳のせいではない
と思うのだが・・・
この映画と同じ頃同じように素晴らしい青春映画
に森谷司郎監督の「放課後」(栗田ひろみ主演)が
あることを付け加えておこう。
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by stgenya | 2009-05-16 17:31 | 映画・ドラマ

グラン・トリノ

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「グラン・トリノ」脚本ニック・シェンク監督C・イーストウッド。
 出演C・イーストウッド、ビー・ヴァン、アーニー・ハー
 このシェンクの脚本がハリウッドを巡り巡って最後にクリントの
ところに来て、シナリオをこのまま撮影するとのって作った作品。
特にハリウッドでは、持ち込み脚本がそのまま世に出ることはない。
プロデューサーに捏ねくり回されて、場合によっては100人の
ライターの手によって書き直され元の形が無くなることさえある。
 アメリカと現代を表現するのによくこの設定を考えたと思う。
それほどよく出来たシナリオをこれが最後だとしてどうしても
クリントは自分で主演をした。
 この映画を渋谷東急の仮住まいのクロスタワーで観たがほぼ
満席。シニア世代が圧倒的に多かった。そしてエンドロールに
なっても席を立つ人がいなかった。
 話は、ガリガリの頑固右翼親父がひっそりと妻も看取って一
人余生をグラン・トリノの名車を磨くこととポーチでビールを
愛犬を横に呑むことが楽しみな年金生活を送っていた。
その隣にモン族の家族が騒ぎを起こすことからその家族の子供
の賢い姉と気弱な弟と関わることで事態は思わぬ方へ進んでし
まう。
この毛嫌いしていた者同士が段々心を通わせていくという構成
は、丁寧にやらないと嘘くさくなってしまう。しかしこの映画
はうまくチンピラ集団のエピソードを配して姉のスーからグラ
ン・トリノを唆されて盗みに入った弟へと白人のポーランド移
民のクリント老人へ近づかせている。
 ここで扱われている重要なモチーフは、男の生き方=父の在
り方である。そしてもう一つが贖罪である。
妻の死に際して若い神父から妻の遺言で懺悔しなさいという要
求がクリント老人に迫られるが、戦争から生き残った元軍人と
しては生の生死を見てきて、そんな若い新米の神父の話なんか
本気にする気がなかった。それが最後に贖罪するに至る。
言ってみればこの贖罪がこの映画「グラン・トリノ」の大きな
柱になってラストの深い感動につながっている。
 この贖罪が又男の生き方を指し示すことでもあるのだ。
子供ともあまり仲がよくなくいつも苦虫を噛みつぶした
ような世捨て人の病気もあり、先も長くないウォルト・
コワルスキー(クリント)の過去には、朝鮮戦争で女子供
を13人も殺したキズがある。
贖罪をするとしたらこの心の重みを最後に軽くすることだ
った。モン族、ヒスパニック、黒人のガキの抗争。
ひとりの気弱なモン族の姉弟が巻き込まれることから事態
は急変する。若い神父は怒りで現実を悟り、クリント老人
はモン族の青年を守るためにあのラストで念願の贖罪を果
たす。これの構成上の倒置法が鮮やかになっているのが
このシナリオの妙で直さずやろうと決めた監督の意味と
なったのだろう。
 しかしクリント・イーストウッドがこの10年。監督作
で取り上げてきたものは、ある意味対象はマイノリティー
だった。そこに寄っていき、ならず者、女子ボクサー、
日本兵、権力につぶされた母親、モン族・・とその立場
とは違う方からアプローチしていく。そしてそこには、
必ず死と誇りという大きな壁を巡らす。でどう対処する
かが映画製作の原点になる。ここには理不尽でも不可避
でも右でも左でもなく「ひとりの人間としての生き方」
が提示される。ここに誰も不意を突かれる感情の揺さぶ
りを体験するのだ。
こんなこの連作して作品の種類を変えながらヒットし
ていく映画監督はめずらしい。というか70代の老年期
になって成し遂げるのは難しい。
それはなぜかとずっと考えている。
若い時テレビスターでハリウッドで活躍できずイタリア
に一人で行ってマカロニウェスタンで人気を得て、やっ
とアメリカに帰って職人のドン・シーゲルと「ダーティー
ハリー」シリーズでハリウッドにのし上がり、ドンを師
として安上がりで上出来のエンターテイメント映画のつ
くり方を覚えて自分で監督するようになる。
 近年のハリウッドはCGに頼りすぎて、金融資本に飲み込
まれてスカスカになった。そこで自分のマルパソ・プロで
細々とつくっていたクリントが映画の醍醐味と人生の在り
方という最良のポジションに自然とたどり着いた。
マトリックス一本で「グラン・トリノ」(35億円)が4本
は作れる。その水増ししないドン・シーゲル式の映画製作
で自分のやりたいものを作ってきた。その結果がこの10
年間の豊富な作品群になったのではないか。
いいものを早く安くつくるB級映画の進化形。これが返っ
て作品の自由と質を高めたといえる。
その証拠にこの「グラン・トリノ」にも雨の中青年が働く
モンタージュでクリントのショットの後の窓に映っている
空は青空である。編集でここは、ダイジェストモンタージ
ュにしようとして別に撮り直しはしてない。このへんが
ドン式かもしれない。話がシーンが映画になっていれば気
にならない。
 クリント・イーストウッドのヒットの作法は、何をやり
たいかわかっているものにとって貴重な指針になるのでは
ないだろうか。
死と誇りというテーマを見つけた晩年監督の勝利といえる
新作映画だった。
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by stgenya | 2009-05-05 16:58 | 映画・ドラマ