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アバター

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「アバター」脚本・監督ジェームズ・キャメロン。主演サム・ワーシントン
 ゾーイ・サルダナ、シガニー・ウィーバー、スティーブン・ラング
「タイタニック」のキャメロンの12年ぶりの新作。
 しかも3DのCGアクターへの果敢な挑戦を試みている。
彼は、常に映画の未来の技術的な開発を目指して大作を
つくっている。言ってみれば理系監督である。
 さてこの新作。観てよかった二点から話すと、まず人間の俳優
ではなくつくられたCG俳優によって演じられる場面が約半分を
占めてその完成度が高く感情が一応入り込めて見ることができ
たこと。いままで「トロン」とかフルCG映画みたいなものは、だい
たい失敗していた。今度のパフォーマンス・キャプチャーという
技術では目の表現が本物に近くなっていたことの成果が出ている。
 もしこれがさらに精度が上がれば、ハンフリー・ボガードやヘップ
バーンが生き返って新しい映画をつくることができる。
極論をすれば「東京物語2」を小津調でキャストはそのままで
つくって新作として公開することが可能になる。
 いままで亡くなってしまった名優同士が共演することもできる。
もしこれが成り立つなら、新しい映画のジャンルができる。
再生映画。このビジネスでは、三船敏郎の版権をどこがもって
いるかとか、D・フェアバンクスのパテントを誰が買い占めたとか
が主なニュースになるかもしれない。
ある意味恐ろしい世界でこれ自体を映画にしても面白いかもしれ
ない。
 さて二番目がアートとしての映画。想像の惑星パンドラでの
風景がある意味宮崎アニメにつながるものでその想像力豊かな
オリジナリティー溢れる自然の姿が圧巻で、アニメではなくその
美しい世界に劇映画として観客を運んでくれる。
言わば美しい展覧会を2時間42分見たような感覚に陥る。
 では、物語は、どうか高度に進んだ資本主義の人間が5光年
離れた衛星パンドラで地下資源を採掘するためにそこに住む
ナヴィと呼ばれる先住民を人間の遠隔サイボーグとしてのナヴィ
=アバターを送り込んでその未開人を壊滅させようと目論む。
 しかし送り込まれた海兵隊員の主人公がナヴィの女と恋に
落ちて・・・というクラシックな話である。
このストーリーの弱いところは、ナヴィの真髄の森の精の描き方
がもっと独創的で話の展開に生かされなかったことだろう。
この星の生物が守り続けているもの。そしてその偉大で崇高な
モノリス的なものがとおり一辺倒で曖昧だった。
くらげのような生き物。大木の精。その力がどういう種類のもの
か詳しく描いていれば、人間の過ちにもっと怒りや憎悪をもち、
ラストへのカタルシスが大きかったと思われる。
 本来的には「地獄の黙示録」や「2001年宇宙への旅」の
未開の地へ足を踏み入れる白人の異文化との葛藤と哲学
的考察が深く練られるべき映画だったと思う。
このテーマは、単に環境破壊とかエコの問題ではなく侵略とは
何か、もっと言うと開発や進歩は何か、生きるとはどういうことか
などの大テーマになっていくものだ。
あえてこの映画「アバター」は、今の政権交代した日本人が
注意して観るべき映画だと思った。
一度失われた複雑なバランスの元で成り立ったユートピアは、
不可避的な根本システムである。割れたガラスは戻らない。
しかし力が世界を、宇宙を成り立たせているのも現実だろう。
とにかくキャメロンは、果敢に挑戦してCGアクター映画をつくった。
でもこつこつと俳優がああだこうだと言ってフィルムに写し取る
原始的な映画も残っていくことは間違いない。
もしこの映画がCGでなく名優のすばらしい演技だったらもっと
二人の恋の物語に感情移入ができたようにも思える。
キャメロンの冒険をかい、三時間近くを退屈させずに走りきった
力量に星三つの軍配をあげよう。
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by stgenya | 2009-12-28 16:21 | 映画・ドラマ

ゼラチンシルバー-LOVE-

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「ゼラチンシルバー-LOVE-」脚本具光然監督操上和美。
製作ファントム・フイルム。出演永瀬正敏、宮沢りえ、役所広司
 何でしょう。できるだけいい映画だけを書いて行こうとして
なかなか出会えない。でも何が駄目だったか、足りなかったか
も書くことをやらないといけないか最近思う。
 これは、この映画の監督であり製作会社の会長で有名なフォト
グラファーの個人的にやりたかった映画なのかなと思った。
港の自宅でタマゴを食べる女の生活を向かいのビルからカメラ
に記録する仕事をしている永瀬。それを依頼した役所。
女(宮沢りえ)は、殺人者だった。全体に会話のないスタティック
な映像でところどころ挿入される東映やくざ映画「網走番外地」
のインサートでこの監督は60才以上の団塊の世代かと思ったら
70に近かった。はじめは「黒い十人の女」のようなものが
やりたかったのかと思ったが、象徴的に出てくる宮沢りえのゆで
タマゴを食べるどアップばかりがくり返されてある結末で終わる。
何だろう。これは30分の短編だったらこれでよかったと思う。
しかし長編映画となるとシナリオが出来ていないとつづかない。
12分30秒という面白いタマゴのゆで方がでてくるのだから
これを生かせなかったか。
この時間は女の狙っている人物の警備の解ける唯一の時間とか。
女の設定も曖昧なまま。そして何より永瀬が女を撮り続ける
ことでどんなLOVEが生まれてくるのか、これを書けないと
シナリオにならない。
そして何よりもエロチックでない。ソバカスだらけの宮沢りえ
の口のアップじゃ申し訳ないけど萌えない。
でまたなるほどという話がないから余計に不完全燃焼になる。
在り来たりのお話はやらないんだと言われるかも知れないが
それだったらもっと高度なシナリオ・演出テクニックがいる。
反ストーリーの洗礼を受けた安保世代の映画かぶれの方は
ここを熟考せず、ゴダール的とごまかしてしまう。
あの時代にあった映画でいえば、アントニオーニの「欲望」
などがこの映画の参考になったと思うがあの名作はよく
練られた反ストーリー映画になっていた。
 新藤さんが誰でも一本は映画が撮れるという言葉がある
が短編から長編へいけるかがその試金石になる。
蓼科で会った短編映画の若い優秀な作り手たちが長編へ
の模索をしていた。
長編映画は、人生のエポック的な断面を切り取るだけで
なく人生の再構築をしなければならない。
ここに力量が問われる。
逆にいうと「ゼラチンー」をつくったプロデューサーたち
はこのシナリオを見て再構築しようと提案しなかったのかと
もったいないと思う。
これだけいい一線の俳優が出ていて格好いい映像を撮って
いてシナリオがよければスマートな快作になったのに。
いま日本にいいプロデューサーがいない証拠になった一作
だった。
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by stgenya | 2009-12-12 10:54 | 映画・ドラマ