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ポー川のひかり

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「ポー川のひかり」または「ポー川のほとりで」
なぜふたつの邦題があるのかわからない。ここではひかりにする。
監督・脚本エルマンノ・オルミ、主演マウリッツオ・ミッレノッティ。
ルーラ・ベンダンデヘィ、アミナ・シエド他
撮影ファビオ・オルミ、総指揮エリザベッタ・オルミ、2006年度。
 「木靴の樹」のイタリアの79才の監督作品。
日本公開は去年。晩年の枯れた作品になっている。
はじめのボローニャ大学の図書館で書物がすべて釘を刺している
ミステリアスな導入からポー川に行ってのシークェンスとの落差
でついていけない人もいるかもしれない。
 若き哲学教授が実は犯人で現実逃避でポー川にたどり着く。
そしてここで若い娘や川に住み着いた老人たちとの交流を通して
人生とは、神とは、知識とは、と語っていく。
そしてこの平和な川にも市の管理者から不法に住み着いた人々を
追い出して開発をするという事態になって、みんなからキリスト
と呼ばれたこの哲学教授は助けになろうとするが警察に捕まって
しまう・・
 つまり世界の悲劇は、書物では救えない。神の力は必ずしも
人々に救いを与えない。では人間はどうすればいいのか。
太陽の下で生をしっかりと味わうこと。日々を大切にすること。
実存の川のほとりで煌く生の輝きを信じよう。
そういっているように思えた。
 シナリオの肉付きで力がない。これがルノワールならもっと
川の住民たちの一人一人の顔をはっきりさせ、愛を糸に縦横に
からませるだろう。でもそんな面白くなることはやらない。
75才でこの映画を家族の支えで撮っていることから、余計な
ものはできるだけ外して、川を行く船の上の園遊会のカットが
懐かしいリズムに合わせて何回か出てくる。
ここが監督のポイントだったように見えた。
人生の輝く時間を手にとろう。そしてよく覚えておこう。
川面に跳ねる水のひかりの如く果敢なく消える。
世界は、神も書物もお金もその悲劇から救うことはできない。
これって小津作品の喪失のテーマと似ている。
そういえばメインテーマが「サセレシア」に似ていた。
 この映画でこの川を下る船の園遊会がすごく印象に残って
いて、俳優の顔と演技が日本の今の俳優では出せない風貌を
もっていることを痛感させられた。
作品としては、甘いが人と風景をどう撮るかでは楽しめる。
 
 
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by stgenya | 2010-03-31 19:09 | 映画・ドラマ

鏡ータルコフスキー映画祭2010

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「鏡」'75年モスフィルム制作。'80年日本公開。
 脚本アレクサンドル・ミシャーリン、A・タルコフスキー。
 監督アンドレイ・タルコフスキー
 出演マルガリータ・テレホワ、オレーグ・ヤンコフスキー他
  いま渋谷のイメージフォーラムでタルコフスキーの特集をやっている。
 生涯9本の映画を撮って1986年に亡命先のパリで56才で亡くなった。
ソ連という国でなかったらもっと映画を撮れていたかもしれない。
この20世紀最大の映像詩人であり映画の可能性を最も高めた映画監督の
習作「殺し屋」からがんの闘病を押してつくった最後の「サクリファイス」
まで全作品を特集上映としてやっている。
 今回最も衝撃を上映当時受けた「鏡」を観た。
冒頭どもりの少年が催眠術で治癒するドキュメントからはじまり、有名な
ロシアの田園風景で美しい母がひとりで煙草をすっているところへ行く。
旅人の中年男がやって来て煙草をねだり二人して座った柵が折れて草むら
に倒れる。母は男を追い返す。家ではふたりの幼い子供が待っている。
5歳の長男は、帰って来ない父を待ち続けている。
それはマルガリータ・テレホワの母も同じである。
そして次の場面では新聞工場の場面になる。母は編纂の仕事をしている。
雨の中慌てて深夜の印刷工場へ戻って誤植を心配して調べている。
次ぎにまた子供時代の納屋が火事になったことになり、そして現在の
その少年が成長して大人になり、子供がいて年老いた母が訪ねてくると
いうエピソードに・・・・
 ここまで書いてストーリーがあるようでないのだ。
簡単に言うと父と幼くして別れた少年期をもつ男が同じように家庭が
うまくいかず病気になって疎遠の妻や距離がある老いた母、そして息子
とに囲まれて美しかった過去の記憶を辿り、ソ連という国の歴史や形
を個人の目から浮き彫りにしていくという映画とでもいえばいいのか、
ただ正直この解説でははまりきれない恐ろしく深いイメージに溢れた
極めて美しい映画になっている。
 もうすでに10回ぐらいはこの映画を観ているが、毎回新しい発見が
ある。やはりこの映画が脈絡がなく時に眠くなるのに最も映画的に惹
き付けられるひとつの理由に「俳優の身体性」があるんだと改めて
思った。それはマルガリータ・テレホワの美しい官能的とも言える
カラダにある。雨に濡れ。風に吹かれ、宙を舞い、見つめ悶える。
これらが彼女という女優でなければ、その孤独な美はでなかったの
ではないかと思う。
 そしてこの映画がもっとも映画的表現だ言える紅茶カップの熱で
消えていくテーブルの上の湿気の粒が子供に老いた母が来たのか
どうかという現実と回想と記憶の混ざり合った場面でその表現を
日常で起きる現象を使って表すというイメージの高さ。
これに感心する。お金がなく宝石を売り行く母の回想でベッドから
宙に浮くイメージや天井から水がしたたり落ちるシーンに鳥が飛ぶ
などの映像表現のすばらしさにまして感嘆する湿気の表現。
 タルコフスキーとは何かというと、映画を絵としての構成に何重
にも意味を積み重ねることで物語の展開をすすめることに細心の
努力と才能を発揮した最も重要な監督だと思う。
 それはエイゼイシュタインがモンタージュ論を実践し、オーソン
ウェルズがパンフォーカスでカットの表現を進化させたことなどに
匹敵する業績だったと思う。
それから彼が常にテーマにしていたことがこの「鏡」ではストレ
ート出ている。それは人間が生まれて生きていくために求めてや
まないものへの希求である。
求めて待ちつづけ得られず。でも求めつづけることで生きていく。
そんな人間の根源的な性質を如実に語った映画である。
それは、時に宗教的でもあるがその表現を唯物的な具体現象のみを
カットに塗り込めることでもっと深いものへ掘り下げている。
だから何回観ても飽きずに水に風に火に心煽らされるのだ。
映画誕生百数十年。こんな監督は他にいない。
ぜひ時間があれば、劇場で彼の作品を見て欲しい。
DVDではだめだと思う。それはストーリーだけではなく暗い大画面
で語る映画のしずくだからである。
 本当に天才は早死にするものだ。21世紀のタルコフスキー映画を
是非にも観たかった。残念で仕方ない。
タルコフスキー映画祭2010 in イメージフォーラム

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by stgenya | 2010-03-05 05:52 | 映画・ドラマ