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小田次男画伯の黒澤明を見た、貴重な証言


北九州在住の今年90才になられる小田次男氏は、
画学生でムーランに通っていた。
若い頃上京して絵の勉強をしていたが、
終戦後映画の道に進みたいと脚本を書いた。
そして小説も書いた。
 なかなか上手く行けず挫折。
そして役場から福岡の美術館へ就職した。
そして文楽と出会い、近松戯曲に惹かれ、画家になる。
昭和57年頃には、宇崎竜童と舞台「曾根崎神中」を
企画・製作した。
以後も歌舞伎や文楽の舞台画を描き、
国立劇場や松竹の大阪劇場などに
頼まれ劇中の場面画を描くようになる。
また月刊誌やパンフレットになって世に出る。
 その小田さんの永犬丸の家を訪ねる。
小田さんは、大正11年生まれ。昭和16年ごろ
ムーランルージュの割引に
ならんでいたら、一際背の高い男が並んでいた。
それが黒澤明だった。
それも一回でなくかなり頻繁に出会った。
ある時は、すぐ後ろだったこともある。
黒澤明がムーランの常連で割引に並んだということは、
横倉さんの本などに
書かれているが実際に会った人の証言は、はじめてだ。
助監督の黒澤明が高峰秀子と結婚をするとの噂が
一般の人まで広がっていた
ことも面白かった。
黒澤さんがまじめだったという。
今や有名な画家の小田次男さんは、戦後伊馬春部さん
とも交流が会った。
小田さん、ムーランや映画の話になったら、
いきいきとした口調になる。
黒澤明がムーランの割引に並んだのを見た人。
その証言は、貴重で記録的で宝の輝きさえ
持っている。
帰りがけ、伊馬さんの自筆の原稿のコピーを貰う。
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by stgenya | 2011-12-19 23:20 | 人物インタビュー

三木のり一さんの祖母

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           水町庸子  池上喜代子
 
三木のり一さんに会う。
もちろん父親が三木のり平さん。
でもお婆ちゃんとお爺ちゃんがムーランの初期の大幹部俳優。
水町庸子と三國周三。そしてお母さんは、水町(三邦)瑛子で
斉藤寅次郎の「子宝夫婦」(1941)など映画や舞台で活躍。
日本橋出身の三木のり平さんは、その水町庸子の娘瑛子さんと結婚。
ここも鈴懸銀子さんと同じ日本大衆芸能のサラブレット。
のり一さんには、さらに中山呑海という日本活動写真
からトーキー映画へ移行期に活躍した名監督の血も流れている。
 ムーランの水町庸子は、可憐で明日待子が子役で
入ってきていろいろお芝居を教えたりしたトップ女優だった。
座員に手を出す癖のあった佐々木千里は、中山呑海によって
連れて来られた水町庸子に恋いこがれた。
可愛いだけだった水町庸子がムーランの黄金期の昭和10年代には、
芝居のうまい女優になっていた。
佐々木千里の想いは、ついには叶えられず
三國周三と結婚されてしまう。
貴重なアルバムをお借りしたことに感謝。
のり一さん自身もテレビの黄金期と寄席や芝居の
まっただ中にいられた人。
話が面白くあっという間の時間が過ぎた。
是非「極め付昭和芸能譚」を書いてほしい。
経験者の強さは、実際に一流の芸人と付き合っていること。
単に話を聞いたではなく、生活の一部として接していた
匂いみたいなものを知っていることって貴重である。
いや、なかなかムーランは、奥が深い。
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by stgenya | 2011-12-16 05:53 | 人物インタビュー

岡田吉雄と忘れたボーイズ

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ムーランルージュ新宿座のバラエティの一コマ。「忘れたボーイズ」
地球の上に朝が来る。こちら陽気な忘れたボーイズ♪
もちろん「あきれたボーイズ」を捩ってのバンド。
名物コーナーで俳優たちが自由にのびのびと歌っていた。
岡田吉雄と山口正太郎らがメインだった「忘れたボーイズ」
この名バンドに有島一郎が加入して舞台で歌っていた。
昭和14年の出来事。
その珍しい写真が岡田吉雄さんの遺族から出て来た。
どんな歌を歌っていたのか。
数十枚あるこの演奏シーンの写真はどれも楽しそう。
戦前の幹部俳優で戦後途中からサラリーマンに転身して
子供を育てた岡田さん。
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新宿歴史博物館に寄贈された岡田さんのものは多く
さらに丁寧に保管されていた。
晩年岡田さんは、ムーランをなんとか残そうとされていた姿が
目に浮かぶ。
それにしても「忘れたボーイズ」の歌が聞きたい。
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by stgenya | 2011-12-03 19:13 | 人物インタビュー