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日活100年裏インタビュー撮影所案内1


戦後日活再開からロマンポルノまで在籍した
スチールマンの目黒祐司さんとプロデューサーの結城良煕さん。
ふたりに撮影所を案内してもらった。
本館や銀座オープンセットのあったところは
今は巨大マンションになっている。
つまり経営難で切り売りした。
正門の位置も現在は、多摩川の方になっている。
ただ
食堂は昔のままでガラス窓や壁も当時と変わらない。
マンションに向かって右の奥が大道具の工作所。
そこで昭和36年に赤木圭一郎がスポーツカーで激突
して死んだところ。
目黒さんの話だとこの年の一月に石原裕次郎もスキー事故で
数ヶ月入院して映画の企画を変えざるを得なかった。
そのおかげで小林旭の渡り鳥シリーズができたり
宍戸錠や高橋英樹、和田浩二がデビューできたという。
目黒さんもや結城さんもフリーになっても
つい最近までこのスタジオで仕事していたので
会う人ごとに今日は何の撮影と聞かれていた。
自分も角川映画や「マルサの女」の頃ここで働いたが
他の撮影所より明るい印象があった。
それは一番後発の新しい会社だったことも関係していると思う。
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by stgenya | 2012-07-24 06:47 | 人物インタビュー

結城良煕プロデューサー、にっかつロマンポルノを語る


映画プロデューサーの結城良煕さんは、昭和14年仙台市生まれ。
東北大学美学科を卒業し昭和36年に日活の演出部に入社する。
助監督時代は、古川卓巳、鈴木清順、今村昌平らに就く。
特に今村昌平監督の「赤い殺意」ではシナリオハンティングから
関わり、仙台出身だということでカチンコを打ちながら
方言指導もした。
 当時の日活のプログラムピクチャーズとは違って粘りに粘って
すべてロケセットで同時録音をするイマムラスタイルに圧倒された
と言う。結城さんが印象に残っているのは、春川ますみの子供役の
子を小学校で見つけたが障害があったので監督に出来るだけ見せない
ようにしたが一目見た今村監督は、これだと即決した。
そして昭和46年日活がロマンポルノに変わった時、結城さんは、
監督にならずにプロデューサーになった。
演出に対して結城さんとしては、限界を感じていたという。
結果プロデューサーになったことでロマンポルノで田中登の
「色情めす市場」で大阪ロケの大胆な撮影もしたし、武田一成監督
とは、コンビで「濡れた海峡」なども印象に残っていたが、
その他に大作もやって山本薩夫監督「戦争と人間」や佐藤純彌監督
「敦煌」などもやった。
日活がにっかつになったとき三つの柱があったそうだ。
ロマンポルノを中心に大作・一般映画路線。そして児童映画。
この三つの企画をこなしながら、80年後半からは、NCPやアルゴ
プロジェクトで「十階のモスキート」「遊びの時間は終わらない」
「仔鹿物語」「メロドラマ」などやり東映Vシネマを95年以降
手がける。
こうして略歴を追うと、戦後日活の始まりと終わりを前線で体現
してきた生粋の日活映画人と言える。
しかし今回結城さんから預かった数々の映画の予算表を見ると31億
の「敦煌」とロマンポルノ「天使のはらわた・赤い淫画」の2800
万円との差はすごいなと思う。制作という仕事から映画を分析する
方法はやはり予算の中身から考察することである。
金は映画にどう影響を与えるか面白いとこだ。
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by stgenya | 2012-07-01 00:01 | 人物インタビュー