大雪

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東京に大雪が降った。
二月の雪。
雪かきをやっていて腰を痛めて
せっかくの休日も安静にすることに。
いろいろと書くことがあったが
少しつづ書こうと思う。
さてさて最近の日本映画を見ていて思うこと。
最近と言ってもここ20年か15年。
デフレの時代。
すごいというものがなく、
いわゆる各種ベストテンに入るものについて?である。
特に若い監督のものがそうである。
昔と違って、ぴあFFなどでグランプリをとって
すぐに商業映画を撮れる。
そしていわゆる広告代理店とテレビ局が組んでつくる映画に
その例が多い。
沖田監督、山下敦弘、石井裕也など・・・
この人たちの才能は、かっている。
特に山下氏は、高い。
しかしかつて黒沢清は、デレカンで助監督修行した。
映画の能力は、現場から培われる。
それがないのが新人監督たちにとって不幸だと思う。
シナリオが練れてない。
演出が曖昧。
俳優が勝手に演技してる。
これらをどう自分と作品との範囲に入れてゆくか
誰かが教えてやるか、仕向けてやらなくちゃ
伸びない。
惜しいと思う。
たとえば「舟を編む」では、シナリオがもっと面白くなるはず。
「鍵泥棒のメソッド」では、女優の演技を確立できなかった。
惜しい。天才は別として才能は、育てる必要がある。
今邦画は、その制作数だけが低予算が可能で増えている。
なのに記憶に残るものが少ない。
それは、やはりシナリオができてないからが一番。
シナリオを軽視しすぎることを避けよう。
ライターがもっと評価され、それを読み評価する評論家がいない。
御用映画ライターばかりでは、映画界はますます不幸である。
どこからこうなってしまったか・・・
やはり失われた20年。デフレは、映画界にも影響しているのだろうか。
新人監督よ。シナリオをもっと自覚しよう。演出をもっと深めよ。
それを批評する眼をもとう。
才能は、伸びることを信じてほしい。
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# by stgenya | 2014-02-12 04:10 | 出来事

純情の都

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「純情の都」(1933年PCL)
原作島村龍三、脚本松崎啓次、監督木村荘十二、
出演竹久千恵子、千葉早智子、堤真佐子、大川平八郎、
徳川夢声、古川緑波、藤原釜足、岸井明、丸山定夫・・
 まずこの映画が80年前のトーキー初期の映画である。
しかしこの映画のファーストシーンからスタイリッシュで極めて
無駄がなく、都市生活者の青春群像といい、今見ても
斬新でポップであり、疾風のごとく男と女と若さと未熟さとを
ものすごい速さで駆け抜けて描いている。
 いま観ても切実でかっこよく粋で少しも古びていない。
この映画が現在残っていて観られることに感謝したい。
いかに映画の初期の人たちの志が高かったか、敬服する。
話が悲劇的にあっという間に終わることに違和感を感じる
ひとがあるかもしれないけど1970年代のアメリカンニュー
シネマを見ればみんな悲劇的なラストになっている。
それは、時代のペシミシズムと思えば映画としての質に
影響を与えない。
 話は、和風美人の千葉早智子とモガで男言葉を話す美女
竹久千恵子のルームシェアの現代的な生活に職場の上司
や同僚の男の言い寄りが波風をたてて、藤原釜足や堤など
の遊び仲間と新店舗でのショーの成功と並行していたずらな
すれ違いから千葉が貞操を奪われるという青春の無軌道と
現実を描いている。
千葉は、上司の徳川夢声にいう。
「あたしたち、同性愛じゃないのよ」
 これは、言ってみれば永遠のテーマでもあり、今でも何回
となく繰りかえし描かれる青春映画の王道でもある。
「勝手にしやがれ」「突然炎のごとく」「ファイブ・イージー・
ピーセス」「八月の濡れた砂」「セックス&シテイ」など・・
 そして驚くのが当時のフランス映画影響を受けてか、都会
の夜明けから夜更けまでの帝都の東京の描写がどこまでも
洋風でビルにマンションに紅茶にパンの朝食、若い登場人物
は、みんなモガモボ。かっこいい。
まるでルノワールやルネクレールの映画を見ているようで
今これだけ日本でスタイリッシュな東京を撮れる監督もカメラ
マンも想像つかない。
 それからこの島村龍三の原作は、「恋愛都市東京」といい
新宿ムーランルージュで同じ竹久千恵子で舞台化されたもの
だった。明治製菓店でのレビューダンスもムーランそのもので
ムーランのテイストが色濃く記録されて貴重である。
そのうえこれで映画デビューする竹久、颯爽とした徳川夢声
やロッパを見ることができる重要な作品でもある。
映画をめざす若い人は、必見の一本といえよう。
それにしてもこの映画をFCで原作者でムーラン初代文芸部長
だった島村龍三の娘さんとそのお孫さんたちと観た。
いや、今観ても新しいですね。というと娘さんは、80年前の父親
のキラキラした青春を感じ、25年前に亡くなった父への再会と
感動を胸に涙ぐまれていた。
作家は、小説であれ、映画であれ、永遠に情熱の爪痕を世に残す。
映画は、美も俗も切り取って100,200年と後世の人にみせてくれる。
「純情の都」をシネスウイッチ銀座当たりで「突然炎のごとく」と二本立て
でロードショーしてくれないものか。
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# by stgenya | 2013-11-25 16:20 | 映画・ドラマ

ヤントンが死んだ。

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喪中ハガキが来て、同級生が今年の5月18日に死んだとの報。
小、中学校時代の幼馴染みの通称ヤントン。
今年の春、電話で話をして元気で今度帰郷したら
会おうと言って別れた。
 まだ五十代。心筋梗塞で命を落とした。
なんとも言えない気持ちが立ち上がって消えない。
小学生のときの濃い仲間だった。
10才のぼくたちは、毎日家出を計画し実際に実行した。
みんなで川を下って、海に行けばどこかの島で
楽しく暮らせるのではないかと夢想した。
・・・・・・・
その時代の冒険と想い出を昔シナリオにした。
「ばってんモザイク」(ATG脚本賞特別奨励賞)
内容の半分は、ヤントンのことを書いた。
フィクションだからかなり誇張して
少年たちが戦争中池に沈んだB29を飛ばすという
ドラマをつくった。
ヤントンは、風のように転校してきて
風のように親につれられ夜逃げした。
実際は、夜逃げせず野球少年になって
甲子園をめざしてかなりいいところまで行った。
父親を幼くして亡くして育ったが早く結婚をし
家族をもち、立派な家を建てた。
・・・・・・・・
あの子どもの頃一緒に雨の日も雪の日も
山に入って基地をつくった時の甘い葉っぱの屋根から
落ちるしずくの匂いを忘れない。
なぜあんなに親や学校から逃れたかったのか
山に基地をつくって、遠征して
ボタ山の向こうに楽園があると底抜けに信じていた。
そしてぼくたちだけの独立国をつくりたかったのか
・・・・・・・・
その妄想から中学生へなる手前で現実に帰ってきた。
そうぼくたちをさせたのは、初恋だった。
ヤントンとぼくは、同じ人を好きになった。
しかし心の中で最後までお互いわかっていたくせに
口にせず大人になって、三人とも別々の世界へ巣立った。
遠い遠い昔の話ー
ヤントンは、もういない。
冥福を祈る。
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# by stgenya | 2013-11-18 04:24 | 出来事

新しい映画

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K監督の新作を幻野プロで制作することになって
準備をすすめている。
主役二人は、決まった。佐伯日菜子と鳥羽潤。
かなり面白い配役である。
ロケハンとして両国を歩いた。
昔からの長屋もあるが、マンションが密集して
またその間に運河が張り巡らされている。
この運河から街を撮ったら、新しい東京が見える気がする。
水の中の東京マンション。
この感じをきちんと映画にしたのは、まだないのではないか。
不思議な風景。
不思議な話には、いいと思う。
K氏が使わなければ、私の新作の舞台にしたい。
制作協力は、はじめてだが、十月クランクインに向けて
自作準備と二足のわらじをはく。
静かに淡々と進めたい。
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# by stgenya | 2013-08-15 16:41 | 出来事

幻のニホンオオカミを追いつづける男


秩父野犬を平成8年に山中で撮影した八木博さん。
このニホンオオカミと思われる野犬に
遭遇してからニホンオオカミ研究に嵌ってしまう
八木さんのバイタリティーを取材したものです。
制作は、1999年。二十世紀の最後でした。
ニホンオオカミは昭和30年代は、山中のどこかに
いたと思われる。それは証言者の数が圧倒的に増える
からです。
秩父の山はまだ人の入ったことのない沢や峰がある。
どこかにニホンオオカミがひっそりと生存している
可能性はあるのではないでしょうか。
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# by stgenya | 2013-04-06 21:04 | 人物インタビュー

この天の虹

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「この天の虹」(昭和33年松竹)脚本監督・木下恵介、出演高橋貞二
 久我美子、田中絹代、笠智衆、川津祐介、田村高広、大木実
 たまたま観たこの映画にびっくりしてしまった。
木下恵介のフィルモグラフィーにこんな映画があったことに
驚いた。木下恵介は、實は映画の可能性に挑んでいろいろな
タイプの映画を作った。
 この映画は、ドキュメント色があり、またむしろ八幡製鉄
所のプロパガンダのスタイルになっている。よく売れっ子の
エースがこんな映画を撮ったなあと思った。
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この古い映画を今どうして取り上げたかというと自分の育った
街だったからだった。八幡製鉄所は、1901年日本最初の官営
製鉄所で街全体が企業城下町で小学校のクラスの8割方が八幡
製鉄所に関わっていた。そして職員のために作られた五階建て
の当時最先端の鉄筋ひし形の穴生アパートは、私の町で同級生
や初恋の娘がいたりして、小学校から高校までよく通って、
遊んだ場所だったので個人的に懐かしく興味を惹かれた。
 
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 話は、製鉄所の全体の工程や施設の紹介しながら、独身寮に
住む作業員の高橋貞二が、田中絹代と笠智衆に間に入ってもら
って秘書課の久我美子と見合いをしようとしていたが、久我は
設計課に勤めるエリートの田村高広に惹かれていて、高橋貞二
の求愛が周囲の努力も虚しく実乗らないで終わるというもの。
 田中絹代のいる桃園アパートは、高校の同級生がいた時代
のものと変わっていなかったし、工場の中は、山手線の中と
同じぐらいの広さで溶鉱炉から圧延工場、洞海湾の積み出し
施設までどこに行くにも循環バスで移する規模の大きさも今と
同じだった。高校生のときに実際に高炉の建設のバイトをし
てバス定期を買って夏休みの一ヶ月働いた経験もある。
 だから今回は、映画の話というより自分史についてつい
考えさせられた。起業祭といって八幡製鉄所の誕生日を北九州
全体で祝い、小中学校が休みになり、町にサーカスや芝居小屋
が出て数日間カーニバル状態だった。私の家は、製鉄では
なかったが友だちのアパートや一軒家に住む優等生など
と交わって、この映画に出てくる職工と技術者との差は、
確かにあったことを知っていた。木下恵介は、この結婚相手の
問題を極めて現実的な描き方をした。
 ただ今回のこの木下映画の特徴は、この映画がデビュー
になる若い川津祐介を狂言回しのように使い、尊敬する高橋
貞二の恋の手助けを最後までする姿にある種のお姉キャラ的
な描き方をしているところにあって、兄弟映画の要素がある。
又音楽を現実のコンサートや水上ダンスの曲にのせて、物語
の人物の会話による進行を描いていて手際よい。
さすが天才的である。戦前に軍国映画も撮ったけど木下流
人間ドラマにしていたから、お手の物だったかもしれない。
 しかし自分の育ったルーツに田中絹代、笠智衆、久我美子
などが来ていたとは、驚きと同時に光栄である。
この日本最大の製鉄所には、筑豊から石炭を運ぶために
堀川を使って高倉健の父親の船が活躍したし、若松では
火野葦平が小説を書き、また実際に製鉄所の文芸部には
「無法松の一生」を書いた岩下俊作がいたし、その後輩
には佐木隆三も昼間作業服で働き、夜小説を書いた。
 この映画では、定年退職した老後が心配だというモチ
ーフが出て来るが、私たちの中学生時代=ちょうど新日鉄
に合併した頃には、小学校卒の職工でも50才で退職する
ときには一軒家を会社が建ててくれたりして終身雇用が
しっかりしていた。
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 この「この天の虹」に出て来る夢の象徴の工場
の煙突から出る七色の煙は、学校の校歌に歌われていて
もいたが、やがて公害でその歌詞を変更する所も出て来た。
それにしてもこの異色の木下恵介の企業映画が自分の
記録として極めて貴重な記録映画になっていたことに
個人的に感謝したい。
 映画は、人の恋愛と同じで巡り逢であり、文化記録や歴史
ひいては社会学的な実証記録のツールだとつくづく思った。

 
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# by stgenya | 2013-03-31 05:56 | 映画・ドラマ

東京家族と故郷

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「東京家族」脚本山田洋次、平松恵美子、監督山田洋次
 名作小津安二郎の「東京物語」のリメイク。
山田洋次が晩年の黒澤明宅へ遊びに行ったら黒澤さんが
小津の「東京物語」を熱心に観ていたとインタビーに答えて
いたが、その本人の山田さんがリメイクしたのだから、この
小津のマジックは、強大なものだと言わざるを得ない。
 松竹に入社したての山田洋次ら若い助監督たちは、大船の
小津の映画をバカにしていたという。黒澤映画の「酔いどれ天使」
のようなリアルな映画を撮りたいと思っていた。
その当の黒澤さんが小津を晩年勉強していたのに驚いたという。
 いい映画というのは、廻り回って人生の本箱に帰ってくる。
今回の「東京家族」は、多摩川や代々木上原に設定は変えている
が役名や大筋は、原作に忠実に従っている。
それこそ前半は、カメラアングルさえもまねしていたくらいだ。
ただ新しく変えたのは、妻夫木と蒼井ゆうの役と設定だった。
ああ。そうか。この若い舞台美術で働く妻夫木と近くの本屋で
働いてる蒼井とのカップルをサブストーリーとして描きたかったのか。
と思うと、なぜ山田洋次は余りにも有名な映画をリメイクしたかった
のかがわかった気がした。
 つまりこれは、偉大なシリーズ映画「男はつらいよ」の構図と
一緒なのだ。寅さん映画という動かし難い原作をつくりつづける
ためには、その中に甥っ子の吉岡君と後藤久美子のカップルを
映画の中心にして作ったりしてきた。
小津安二郎という定番に自分の現代を切り取る映画的モチーフを
しっかりちゃっかり入れて新しい映画にしたかったのではないか。
同期入社の大島渚と違って、長年大船に残ってプログラム・
ピクチャーをやらされて育った山田洋次としたら、これは、小津さん
へのオマージュと一緒に現代の日本を象徴する若いフリーターの
恋物語を描くことができると思った時にこの企画が立ったように
思う。
 ではこの違いは、どうか。原節子の戦争未亡人のラストのセリフ
「わたし、ズルいんです。」というあの有名な人生の機微であり残酷
なセリフと演出には、やはり蒼井のセリフは敵わない。
それは、現代とはいえ仕方ないことでもある。
しかしそれにしてもさすがベテラン、最後まできっちり見せてくれる。
橋爪功も吉行和子も西村も中島朋子もよかった。
確かに菅原文太だとあの、ガニ股の橋爪さんの「そうか、そんなか」
という軽い感じは出なかっただろう。
 よくよく考えると生涯家族を持たなかった小津さんが「家族」を
描きつづけ、また幼少年期を満州で育って日本という故郷を持た
なかった山田洋次が、「ふるさと・日本」を描きつづけたことは、
とても不思議な感じがする。
作家は、ないものに恋がれるのだろうか。
 有楽町で二週目の夕方で70人ぐらいの入りだった。
それもほとんどが高齢者だった。でもそれぞれ観終わった後、
満足そうに帰って行った。
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# by stgenya | 2013-02-01 11:14 | 映画・ドラマ

新年に重ねて

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平成も25年ということは、四半世紀経ったということ。
この25年で日本映画は、どう変わったか。
世界をリードしていたアメリカ映画はどうなったか。
少なくとも西暦で2000年からの12年間でも映画で
心に残った名作、傑作と新しい巨匠というものが
あるだろうか。
 かつては、スタジオが映画を作っていた。
角川映画でもにっかつというスタジオ育ちの監督・スタッフが
下請けで作っていた。
資本を出す人も資本を使う人も押し並べて映画狂だった。
脚本家は、監督とケンカしたし、監督は、プロデューサーと
ケンカした。少なくとも映画の素人が口は出さなかった。
いま、学生がぴあなどのコンクールで賞をとって監督になる。
広告代理店とテレビ局は、安く使える。
主演俳優さえ、名のある人をブッキングすれば金は集まる。
大森一樹氏なども企画の打ち合わせでそんな映画好きじゅない
奴がいて、つまらない苦労をすると何かでこぼされていた。
ここがこの25年に起った映画界の変化だ。
映画を作品ではなく、コンテンツと見なすこと。
新年から愚痴をいっても仕方ない。
新しい年に新しい可能性を見るとすれば、
それは、デジタル映画の出現で低予算で映画をつくる流れが
出来て来たこと。50万から3000万までの自主制作シネマ。
完全自由につくるフリー・シネマ派。
現在ミニシアターでかかっている映画のいく割かがそれだ。
ここから小林政広、瀬々敬久、入江悠などが世界へ出ている。
ある意味10代から60代と年齢や経験に関係なく自由に
映画をつくる流れが見えて来ている。
そこには、希望がある。
スタジオの職人たちの技や経験とこれがどう結びつくのか。
二本立て興行とこのフリーシネマ派とシステムとして配給
できるプロデューサーが現れれば何か形が見えてこないだろうか。
新年にぼんやりと夢想する。
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# by stgenya | 2013-01-01 09:32 | 出来事

人生の特等席

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「人生の特等席」Trouble with the curve 制作マルパソ・プロ
監督ロバート・ロレンツォ、脚本ランディ・ブラウン
主演クリント・イーストウッド、エイミー・アダムス
 クリントの監督作ではないけど、今までのクリント・イースト
ウッド色の継承作。だから「グラン・トリノ」を観てよかった
人には、そう外れない仕上がり。
目も見えなくなった野球の老スカウトマンの話である。
まず日本語のタイトルがうまくつけたなと思う。
特等席ってそう座れない。
ましてや人生で特等席に座れるチャンスってなかなかない。
しかもよく考えれば特等席で野球を観るということは、
野球の選手じゃないということ。
あくまで傍観者だ。華やかなベースボール・プレーヤーに
なれなかった人。観客席でも地方の高校野球のネット裏。
ビジネスホテルを渡り歩く生活。
そんな男が、妻を失い、ひとり娘を6才にして親戚や孤児院に
預けて裏街道のスカウトマンの地方周りの人生を送る。
しかし娘は弁護士として大人になる。
 この特異な父娘の関係を静かに、オーソドックスにそして
娯楽の色逃がさずに映画にした。
これは、けっこう簡単なように見えてそう簡単に出来ない。
映画が二本立ての頃は、こういう映画は時々日本でもあった。
華やかではないが見終わった後なんとなく心にA面よりB面
の方が残ったというもの。
俳優がクリント・Eだからまた見せる。その枯れに枯れた
演技に娘のエイミー・アダムスもよく体当たりしてまず
最後まで見せる。頑固で決して曲げない、しかも過去に
抜き差しならないキズを抱えて孤独に生きている男を見事に
今回も貫いて演じてみせるクリント・イーストウッド。
 この映画の良さは、脚本にある。教科書的なシナリオだが
セリフにも構成にも神経を使って書き込まれている。
ネタばれになるから言えないが、娘が有能な弁護士で出世の
かかった仕事をしているという設定と疎遠な父親が老齢で
目が悪くなり生涯つづけてきた仕事を失うかもしれないと
いう設定で娘を父親の最後になるかもしれない仕事に付き
添わせるという発想が話の妙である。
ピザ屋の豪速球の少年や元野球選手で怪我でスカウト
マンになったクリントの後輩の配置の仕方など手垢が
ついた手法だがキチンとやっている。
実験作をやるのでなければ、今年の邦画のシナリオは、
ここも作っていないものが多すぎる。ご都合な脚本になら
ないためには俳優の領分をセオリーの枠に設けているか
どうか。クサいがその展開でそのセリフをうまく俳優が
ノレて言えるものかどうか。ここが分かれ目だ。
 このランディ・ブラウン脚本とロバート・ロレンツォ
演出はそこに神経をつかってこの映画をつくっている。
それを制作者として俳優としてクリント・Eが
かなりアドバイスしているのではないだろうか。
それは、また長年クリントの映画の助監督を努めて
来た若いR・ロレンツォにクリント・イーストウッドが
与えた初監督という特等席ではなかったかと思う。
丸の内ピカデリー、二週目の土曜の昼で六割の客。
圧倒的に高齢者だったが、みんな満足そうに有楽町
のレストラン街へ見終わって足を運んでいった。
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# by stgenya | 2012-12-10 03:56 | 映画・ドラマ

黒澤明と高峰秀子

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明日待子さんの姪っ子である盛岡の守屋さんから
リンゴが届いた。有難い。
10月の盛岡での「ムーランルージュの青春」上映会の
主催者である。
 ここで来場された沢山の岩手県人の方に感謝いたします。
この上映を手伝ってくれた藤沢昭子さんが岩手山麓の滝沢村にお住まいで
戦前昭和15年8月に山本嘉次郎監督「馬」のロケが行われた斉藤家
をご存じで貴重な写真を見せてくれた。
馬小屋として使われた斉藤清一郎さんの家で撮った記念写真。
そこに少女の高峰秀子が写っていた。
しかし映画上映後これを見せられ
てびっくりした。
その高峰秀子の右隣に写っているのは、なんと竹久千恵子だった。
当時「馬」の中でデコちゃんの母親役だった。
そのバタ臭い顔は、モダンガールとして名をはせた女優だった。
しかもムーラン初期のトップ女優で島村龍三の「恋愛都市東京」などの芝居で
活躍し,ムーランを盛り上げた女優でもあった。
それがムーランの映画上映の日に出会えるなんて奇遇である。
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またもう一つのロケの記念写真には、黒澤明制作主任と山本監督。
そして左となりに助監督だった松山善三が写っていた。
高峰秀子と恋に落ちてのちに別れた黒澤明。
その黒澤の助手で働いていた松山善三がその後
デコちゃんと結婚するのだから、この写真には複雑な思いを抱く。
地方上映の面白さと発見の旅が70年の月日をつなげてくれる。
ムーランの時を超えた響きが聞こえてくるようだ。
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# by stgenya | 2012-11-30 15:58 | 人物インタビュー