すてきな金縛りとすてきな隠し撮り

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三谷幸喜の映画「すてきな金縛り」を満員の六本木のシネコンで観る。
脚本・監督三谷幸喜。美術種田陽平、音楽荻野清子。
 前作の「マジック・アワー」がすこぶる面白かったので過度の期待
をして観たので少し批評が辛くなってしまった。
たとえばラストの草薙エピソードは、蛇足だったように思うし、落武者
の幽霊がストーリーの帰結に絡まなかったのが感情の置き所に肩すかし
されたように思った。まあ、それらは、いろいろ観てもらった方が
いいし、結構楽しんで観ている人が観客にいたので娯楽映画はそれで
いいと思う。何よりも今オリジナルでコメディー映画を撮り、客を
呼べるのは、この三谷監督しかいない現状なのでなんとかがんばって
貰いたい。
 さて今回この劇場版とテレビの「すてきな隠し撮り」を観て思った
ことを書いておこうと思う。どちらもキャストとスタッフは同じで別の
ドラマをつくった。だから俳優の力量が如実に出てしまった。
これは、役者はやりがいがあったしお金にもなったが正直その実力
を白日の元になったことは、残酷だっただろう。
いい役者。うまい役者。のってる役者。人気のある役者。
まあ、よかったんじゃないの。といわれる人も微妙に役を理解して
いなかったり、及ばなかった。それはテレビの早づくりだったので
時間がなかったのが不幸だったのかもしれない。
 一例ではとても振り付け師に見えなかった人もいた・・・
ただこの映画とテレビでどちらも力を発揮したのは、やはり西田敏行
だった。長いキャリアから来た役づくりと年齢による役者の顔のよさ
とが一番いいときではないだろうか。
とにかく自然に笑わせてくれる。相手役に対しても上にも下にもなって
あっという間に演じる。渥美清がやっていたことだ。
この人で「釣りバカ」以外のオリジナルの当たり役が世相と脂ののった
監督と組んでできたら、邦画のラインナップは実に明るくなるのにと思う。
そしてもうひとり今回の映画から面白いと思ったのは、深津絵里。
正直わたし好みの女優ではないので「・・金縛り」で深津が可愛いと
言っている人がわからない。ただ「・・隠し撮り」での深津がいい。
彼女は、どうしてこういう型をやぶった演技をしなかったのだろう。
あの「マルサの女」の宮本信子風に男の子ばりに跳んだ演技をして
いる。これは、発見であり面白かった。見直した。
30を過ぎて周りから「可愛さ」を求められ過ぎたのか、自分でその
「可愛さ」にこだわり過ぎたのか・・それは不幸だった。
この三谷監督にあって「・・隠し撮り」のコンシェルジュ役の俳優ヒント
を忘れないで次に行ってほしいと思う。たぶんこのコンシェルジュ役を
やっているときは楽しくてしかたなかったのではないだろうか。
人生も同じだが、俳優も監督も出会いでしかない。
才能は自分ひとりではどうにもならないのがこのショウバイ。
周防正行が新作を小倉で撮っているようで三谷幸喜とこのふたりが
動き出したことを喜びたい。
早く三谷には離婚の傷を癒してほしい。本人しかわからないがこの
ことが「すてきな金縛り」の持久力に多少影響したのかなとゲスの
勘ぐりをしてみたりしたが、映画とテレビと二本撮る発想の爆発が
あった作家の幸せを誰が、何がコントロールしてやればよかったか
難しい問題だ。まあ、再放送かDVDでこのテレビ版と合わせてこの
三谷の新作を観られることをおすすめします。
それは、ちょっと「すてき」かも。
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# by stgenya | 2011-11-22 05:38 | 映画・ドラマ

早稲田大学演劇博物館にムーランセット納める。

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新宿K's cinemaで上映中飾っていたムーランルージュ新宿座の
ミニチュアセット模型を演劇博物館に納める。
 この映画「ムーランルージュの青春」の製作のはじまりが
中村公彦先生だったことからも、森繁久彌さんや中村先生の
資料がすべて早稲田の演劇博物館に納入された経緯もあり、
当然の流れでした。
 ただ今後もこの映画が各地でたぶん長く上映される際に
この模型はいつでも幻野プロが使用できるのでみなさんの
目にすることがこれからもあると思います。
そしてムーランのかなりの資料が早稲田にもあり、この模型
も含めて演劇博物館にて「ムーラン展」が来年以降予定されて
います。さらにこの映画がきっかけで多くの埋もれていたムーラン
関係者の資料が発掘されました。これらもやがて博物館に
いくことになり、何十年か後若い学生がムーランの資料を目にして
新しい「演劇」や「映画」をつくるきっかけになることを
望みます。
100年、200年と保存されるに値する演劇的事件が佐々木千里
のはじめた「ムーランルージュ新宿座」だったと言えるのでは
ないでしょうか。
やがて来年でもムーラン模型が演博で展示されればいつでも誰でも
ムーランに触れることができるでしょう。
そのときは興味ある方はぜひお出かけ下さい。
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# by stgenya | 2011-11-20 03:04 | 出来事

有島一郎さんの墓参り

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箱根は、強羅にある有島一郎の墓所へ行く。
特に今年の3月次女の誓子さんが亡くなったので
初盆でもあり、早く行くつもりだったが
今日この日になってしまった。
長女真由子さんの手紙の指示通り、
宮城野バス停からすぐだった。
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雨の登山鉄道で箱根の山を上り
宝珠院というお寺の墓所の奥に
カトリック教会の墓所がある。
その中にマリア像に見守られるように
有島さんの墓があった。
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そしてその墓に書かれていたのは、
「土に還り、天に昇り、親しき友と語りおり」
の文字。
遥々山を登って来て、ホッとする文句。

「いやいや遠くから来たね。今のり平さんとお話していたとこじゃ。」
なんて聞こえてくるようで、
お元気でしたか。
ぼくも元気にがんばります。
映画やテレビで大変笑わしてもらいました。
有り難うございます。
「そうかね。そうかね。ありゃ役だからね・・ハハハハ」
雨があがって薄日が十字架に映えた。
笑っているように映えた。
そして
また青春ドラマの校長先生のように
帰り道は、わかるかねと教えてくれそうな気がした。
好きな俳優に会えたような素敵なお墓でした。
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# by stgenya | 2011-10-23 09:04 | 人物インタビュー

三崎千恵子さんの家へゆく

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鎌倉の三崎さんの家に行く。
いま家と三崎さんを支えておられる方とお話する。
体調が少し持ち直しておられるようで
新聞記事など読まれるそうですが、
まだ病院とのこと。
庭には、飼い犬のビーグルが走り回って
主の帰るのをひたすら待っている。
三崎さんもはやく帰宅したい。
もう少しして元気になって庭を散歩されるのを祈っています。
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伊馬春部さんのお嬢さんが「ムーランー」の映画見られて
三崎さんへ連絡されたようで作家では、伊馬さんをやはり
宮坂・三崎さんの座長は、一目置いていたんでしょう。
帰り道。
鎌倉の秋の空。
トンビがピーヒョロロと鳴いていた。
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# by stgenya | 2011-09-25 04:42 | 人物インタビュー

「ムーランルージュの青春」はじまる。

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新宿K's cinemaでの映画公開の初日。
舞台挨拶が行われました。
明日待子さんが北海道から来られて元気に挨拶。
場内は、拍手と驚きの視線で迎えていました。
「ムーランの映画が出来て、本当にうれしいです。」
と明日さん。
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つづいて野末陳平さん。
当代一のムーラン研究家。
「ぼくのムーランの資料がこんな年になって役立って良かった。」
野末さんは、テレビではベテランだが映画出演は初めて。

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公開は、これから四週間はつづきます。
みなさん,是非劇場へ足をお運び下さい。
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# by stgenya | 2011-09-24 02:43 | 映画・ドラマ

永六輔さんと明日待子さん

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昨日は、TBSラジオの永六輔・土曜ワイドに明日さん出演。
永さん、明日待子バンザイの話になると
涙ぐんでいた。
早稲田の先輩の中には、そうして戦死した人がいたのでしょう。
そして映画のパンフレットが同時にムーランガイドブックになっている
ことに気に入ってくれたようです。
長いラジオの歴史そのものの永六輔さんの番組は、
家族的なスタッフに囲まれたいい空間でした。
明日さんも永さんに逢えて嬉しかったようです。
なんとなく番組終了後に撮ったカットは、
恋人が再会したような恥じらいショットになっていました。
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# by stgenya | 2011-09-18 08:31 | 出来事

ムーランルージュ新宿座シンポジウム

       ー明日待子が来るー
ムーランルージュ新宿座シンポジウムを下記の通り行います。
            記
とき: 平成23年9月18日(日) 午後1時30分から4時30まで
場所: 新宿歴史博物館2F・講堂にて(新宿区三栄町22/電話3359-2131)
料金: 無料(予約順100名)
問い合わせ: アルゴピクチャーズtel03-3584-6237

  第1部 「明日待子さんを囲んで」
      出席 明日待子、野末陳平、森川時久、大空千尋、森繁建、
         原健太郎
      司会 本庄慧一郎
  第2部 「発見された映画『陽の昇る丘』上映」
      戦後ムーランの俳優たちが出た昭和35年頃の映画。
      ヒロインは中原早苗。他藤枝利民、宮里明見、今村源兵、小川純
      貴重な資料が見つかりました。
      未公開。
       講演 中野正昭(「ムーランルージュ新宿座」出版記念)

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# by stgenya | 2011-09-07 03:43 | 出来事

女優・滝輝江さん

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戦後ムーランの女優・瀧輝江さん。
やっとこの八月になってお会いした。
昭和6年5月10日台湾生まれ。父親の仕事の関係で外地を渡り歩く。
台湾から満州へ。そして小学生1年の時に北九州の黒崎で小学生時代
を過ごす。東京の世田谷に来たときは、女学校2年生だった。
ムーランに入ったのは、佐々木千里が小議会として昭和21年10月に
復活した時に新聞広告で応募。
 佐々木千里は、14才の少女にとっては怖かった。
しかし若手でムーランの踊り子と演技者としてがんばる。
この滝さんの証言で昭和21年11月1日にムーランが新宿区の海城高校
へ公演に行ったことがわかった。菊岡久利の出身校で明日さんも急拵えの
ステージで踊った。滝さんはその様子をしっかりと覚えていた。
そしてムーランの終わった昭和26年以降は、日劇などでダンサー
をやったりした。
そのとき脱線トリオの由利徹などとは交流があった。
下の写真は、日劇に当時の人気ストリッパーが全員でたもの。
東京ローズなど・・・
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でもすごいのが真ん中にいるのがE・H・エリック。
岡田真澄の兄。
滝さんの交流の深さが伺われる一葉である。
(これらの写真は、滝さんの許可なく転載はできません)
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# by stgenya | 2011-08-29 18:49 | 人物インタビュー

コクリコ坂から

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「コクリコ坂から」脚本宮崎駿、監督宮崎吾郎2011年ジブリ作品。
新宿ピカデリーで昼の回。満員。ただ20分前で入れた。
この原作も知らないし、宮崎吾郎の前作も観てない。
しかしこの作品で描かれた時代の学生生活は知っている。
横浜港町と洋館の下宿、学生サークル会館と学生闘争。
1963年。上を向いて歩こう。
自分の世代からしたら一つ上の時代だが懐かしい。
最後まで涙腺がゆるんで仕方なかった。
いい映画である。使い古されているがいい話だ。
主人公少女海のひた向きさが吉永小百合にだぶって昔の日活
青春映画を観ている感覚になる。
夕焼け雲と港の海原がきれいだ。坂道を登ったり降りたり街
の舞台装置がこの男の子と女の子の物語をつつんでいる。
映画館の座席を埋めていた若い人たちは、魔法もなく空も
飛ばないジフリ作品をどう受け止めていたのだろうか。
これは、極論だがこの話は実写でやってもいい。
むしろ海が風間俊を好きになる初恋の微妙な表情はこの絵
では表現しきれていない。実写の俳優だともっと心に迫るの
ではないだろうか。
宮崎駿か高畑さんだったらもっと違ったのだろうか。
印象として吾郎監督は、結構色恋にあっさりしてるなあと思った。
しかしそれにしてもあのような古くて汚い学生サークル館は
私の大学時代もあって、同じような闘争もあった。
青嵐館。床板もやぶれ、壁の落書きも凄まじかった。
しかしそこに屯していた輩には、面白い奴がいっぱいいた。
デカルトとニーチェを語り、授業はエスケープ。
それこそカルチェラタン。
この映画脚本で宮崎駿がメッセージしていた古いものや伝統を
うまく受け継げということと青春はカルチェラタンの中にという
ものは、ストーリーの太い柱になっていた。
人は人と違って、人の中でぶつかり、生きろ。
それが青春だし、本来のにんげんの姿なのだと言っているように
感じた。今こそ日本の古いものを掘り起こすことは必要だ。
その意味でこの「コクリコ坂から」はおすすめの夏映画だ。
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# by stgenya | 2011-07-26 04:11 | 映画・ドラマ

森繁久彌の次男・建さん、試写会に来る

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赤坂の試写会に森繁久彌の息子さん建(たつる)さんが夫人とともに来られた。
昭和21年に満州から3才で父久彌と引き上げてきて、父は半年ほど失業状態
だったと話された。そしてその後森繁久彌さんは、戦前に知り合っていた
古川ロッパを頼って東宝の舞台にでるが馬の足みたいな役しかなかった。
それをたまたま見ていたムーランの作家菜川作太郎が声をかけた。
昭和24年にムーランに入り、一躍人気者になる。
建さんは、ムーラン時代は貧乏でしたと話された。
しかし昭和25年にはNHKのラジオに行き、仕事がその後映画へと
広がった。建さんは、長い間貧乏だと子供のとき思っていたが
わずか3,4年だったんですねと感慨深げに話された。
森繁建さんは、とても穏やかで朗らかな人でした。
特に奥さんは、明日待子さんの姿に感激されていたようでした。
また、ちょうどこの試写会に森繁さんのものまねの得意なTBSラジオ
の大沢悠里さんもいらしていて建さんと挨拶されていた。
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# by stgenya | 2011-07-21 03:49 | 出来事