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美術監督千葉一彦さん、幕末太陽傳を語る


川島雄三の「幕末太陽傳」の打ち合わせで音楽の黛敏郎が「剣の舞い」で
作品のイメージを行きたいと言い出した。
川島雄三は、それがいいねとすぐに乗った。
「幕末太陽傳」の規模が大きかったので美術監督は、中村公彦さんだけだと
大変だということで若かった千葉一彦さんと二人でやった。
そしてこの音楽打ち合わせで「剣の舞い」のテンポでやるために相模屋の中
をフランキー堺が走り回るのに小春とおそめの部屋や物置部屋と階段の位置
などを設計したと言う。
 またフランキーが駆け登る階段もその段の巾を実物より低くした。
思い切り駆け上がるためにセットの階段も映画的に変えたという。
だから佐平次のフランキー堺が居残りとなってから、映画のテンポが至極
早い。居残りの癖に女郎、手代、お客と次々にそれぞれの問題を解決して
今度は逆に頼られる存在に上り詰めるという可笑しさがにじみ出て、
その瞬く間の勢いが小気味良く粋に映る。
川島雄三の落語の世界を時代喜劇に移し変えようとした意図を音楽家が
くみ、美術監督が絵としてセットをつくり画面に活かす。
映画は、その作品のイメージによって各パートがその才能の限りのアイディア
を絞り出して完成させていく。
今回80才の千葉一彦さんの話で音楽の黛敏郎が剣の舞いで幕末太陽傳を
イメージしていたというのは、貴重な証言だった。
浅草での写真撮影会での飲み会でのこの話が千葉さんの口から出て来たの
で多少聞き取りにくいが、お元気でとても若い感性でお話された。
千葉さんは日活で美術監督として熊井啓の作品や藤田敏八の「八月の濡れた砂」
などを手がけられ、大阪万博では太陽の塔をつくった人でもあります。
 映画をひとつつくるのにその作品のイメージをどう持つかがそれぞれの
持ち場でいかに重要か、そしてそのイメージを一本に決めるのが監督の作業でも
ある。川島雄三は、映画づくりにいいスタッフに恵まれた。
作品のテンポとリズムをどうつくるか、なかなか貴重で参考になる話だった。
by stgenya | 2012-01-17 03:00 | 人物インタビュー
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