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ムーラン最後の男性歌手・中島孝氏のレッスン


新宿ムーランルージュの存命する最後の男性歌手中島孝氏。
戦後のムーラン再開から昭和25年の閉館間近まで
バラエティ歌手の主軸としていられた。現在84才。
ムーラン解散の1951年以降ポリドール、コロンビアとレコード
歌手として活躍された。
 今回ムーランのレビューを再現するのにご協力願った。
榊原郁恵などと同じデビューの元歌手狩野雅義さんにズッペの曲を
レッスンしてもらった。
声の出し方一つ、音符の読み方一つ、ムーランの舞台ではこういう
風に声を出しますと丁寧に指導してくれました。
かろうじて中島さんが高齢でも元気でいられたので
バラエティの、歌のステージがどうだったかがわかる。
とても貴重なことだ。
歌手の狩野氏も感激されていた。
# by stgenya | 2010-12-05 03:55 | 人物インタビュー

鈴縣銀子さんへのアプローチ

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鈴縣銀子さんは健在だった。
昨日石井光三オフィスへ行く。
現在は、社長は石井光三さんの娘さんの久美子さんになっていて
親切に応対してくれた。
石井光三婦人のお母さんが鈴縣銀子さん。
だから久美子さんからしたらお祖母ちゃん。
88才でお元気だという。
戦前はムーランに昭和11年に十代で入って活躍。
実は鈴縣さんの父親は、あの迷喜劇俳優の高勢實乗さん。
「あのね。おっさん、わしゃ、かなわんよ」
のギャグを知っている方はかなり映画通か古い人。
エノケン、ロッパ、金語楼と並ぶ名優。
久美子さんの話だと作家の色川武大氏が鈴縣銀子さんの
大ファンで銀子伝を書きたいと面会に来て
書き出している最中に亡くなってしまったとか。
その残った原稿を見たかったと言われた。
まだまだこの石井家には、タカセミノルとスズカケギンコの
二代日本芸能史に残る宝が埋まっている。
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# by stgenya | 2010-11-18 10:46 | 出来事

三崎千恵子さんを見舞う

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三崎千恵子さんに会いに行く。
大正9年9月5日巣鴨生まれ。90才。
元気でいられた。
昔の戦中戦後の劇団仲間が見舞いに来た。

「わたしたちの時代は戦争があったもの。
 山あり、谷あり。
 わたしは、今は水の流れのように生きてる。
 身を任せて・・
 欲なくなったよ。もう。」

かつて新宿座で俳優だった藤枝利民さんや大空千尋さん
からしたら三崎さんは小屋主婦人で給料をもらっていただけ
でなく、母でありお姉さんであった。
# by stgenya | 2010-10-11 04:07 | 人物インタビュー

野末陳平氏、ムーランルージュ新宿座を語る

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昨日野末さんに九段で会う。
戦前のムーランの演目と歴史を書いた手書きの分厚い資料を預かる。
最初の昭和六年のはじまりから、時代の出来事も書き加えて
丁寧に書かれて和閉じされた二巻からなる1000ページを
超えるものとノート数冊。
とても貴重な資料で早稲田の演劇博物館ではぜひほしいといわれている
もの。
陳平さんは、学生の頃から戦後のムーランに通い詰めて
ムーランの作家たち、特に伊馬春部さんに師事して放送作家になられた。
そしてテレビの草創期のバラエティからドラマまで手がける。
ムーランについてかなりの資料を集めて実際にムーランの俳優たちと
仕事をしながら独自でムーランの研究をしていたという。
巷でいわれている早稲田の卒論で「ムーラン」を書いたというのは
先のことが高じたデマだった。(卒論はインド哲学について)
バラエティーという言葉もムーランから始まったものだった。
陳平さんは、政界も引退して今隠居の身になってもムーランのことを
しゃべるときは、青春がよみがえってくるように目が輝く。
又話を聞きたいと思った。
# by stgenya | 2010-09-30 10:31 | 人物インタビュー

香椎くに子さん2年前に亡くなる


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香椎くに子さんの家に行く。
息子さんが親切に応対してくれた。
香椎さんは2年前に亡くなっていた。
ご主人のプロデューサーでやはりムーランの作家だった
植野晃弘さんも5年前に亡くなっていて
ムーラン時代は、香椎くに子さんは清純派で看板女優に
のぼりつめる。
のちにテレビ初期の「名犬ラッシー」や「宇宙家族ロビンソン」
などの母親の声とかアニメの「ラスカル」の母役の声優として
活躍する。
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またご主人の植野晃弘さんは、テレ朝のはじまりから参加し
淀川さんの「日曜洋画劇場」や「土曜ワイド劇場」のテレフューチャー
を立ち上げる。
これらは、今でも生きている。どれだけ先見の明があったか。
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(ラジオ「青空娘」左から2番目植野氏)












父は千葉工大の理系で母は、芸能人に珍しくまじめ一方だったという。
しかし息子さんは、両親のことを語ると嬉しそうに懐かしむ。
いい両親が仲良く、愛情たっぷりに育てるとその息子さんは
こんなにいい子供に育つのかと理想的な見本のような人だった。
# by stgenya | 2010-09-28 04:00 | 人物インタビュー